21世紀をリード、原子力技術

受動の日本から能動の日本へ

エネルギー問題に発言する会                        

(元石川島播磨重工業株式会社)

天野牧男

 

はじめに

日本は昔からその行動が受動的であった。明治維新も、その前の開港も、日本みずから働きかけた面もあるが、所謂外圧によって始まった。戦後日本の発展は、欧米の技術の適切な導入であったが、そのときも技術提携のきっかけは、海外の企業からの働きかけの方が多かった。21世紀を生き延びるには、日本に自ら動き出す積極性が必要である。この行動をするのに、原子力発電は極めて有効な手段である。

 

20世紀における地政学的変化

20世紀において、世界には地政学的見地から見て大きな変化があった。第二次世界大戦で敗北した我が国が、どうして今日の繁栄を獲得したかを、今更論じる必要はないと思うが、わが国の産業が発達し、個人収入が生産性の伸びを越えて、大きなものになれば、当然ながら国際的な競争力は低下する。この解決手段として、韓国、台湾から始まって、生産工程の分業化が、東南アジアから現在中国に、急速な勢いで伸張しだした。この国際分業の動きは、日本より早くアメリカから始まったが、欧州も含めて急激に国際的な広がりを持つようになった。

 当然ながらこういった分業化は、その地域の産業の発展をもたらすことになり、分業を受け持っている各国も、分業を任せている国のいずれもが、それによる利益を得る。かって国が強大になるときには、その周辺に必ず犠牲者があった。しかしこの国際分業では、相互の繁栄体制が作られて行く事になる。分業相手の国との間に問題が発生した時も、かっての様に、その解決のために武力を使う事にはならない。分業相手を破壊してしまえば、困るのは自分である。自国を繁栄させるためには、他国を傘下に入れるのではなく、共同して開発に当るという、国際相互依存制が出来上がった。 このような体制の確立は、国際関係にとって非常に大切な事であるが、一方この中でわが国が、相当な役割をどう果たしていくかが、重要な問題となる。(注1)

 こういった中でわが国が、現在或いはそれ以上の生活レベルを維持していくためには、国際的にレーゾンデートルを維持し、また他国から尊敬も受けるような国家でなければならない。わが国にとって、生存の基盤は、産業の展開であるが、アジアを中心とする分業体制を、更に強化することと、その中で必要な役割を果たす地位を確保する必要がある。これには完成する機器や製品の基本的なプランを主体的に持って、全体の取り纏めの立場を堅持する事と、夫々の主要な高度な技術を必要とする部分の、生産の競争力を確保していることが必要である。現在までの所この体制は未だ、かなりのレベルで維持されているが、油断すれば直ぐ失ってしまう。

 

21世紀の世界の環境

21世紀の世界では、その人口が、2050年までに、90億人を越える。また東南アジア、特に中国の急速な発展は、エネルギーの需要の増加というような、世界環境の変化を迎えることにならざるを得ない。我が国の20世後半の経済発展の一つの原因には、原材料やエネルギー価格が比較的低廉であって、一方製品にするための付加価値に十分なコストを配分出来た事にあった。国際的な需要の増加は、当然ながらエネルギー価格の上昇が予測され、わが国発展の根拠が脅かされる。また人口が増えれば食料が不足するようになり、場合によれば、いくら金を積んでも買えないという事態すら考えておく必要があろう。

 20世紀における急激な産業の発展と、21世紀に予想される、発展途上国の一層の急激な発展によるエネルギー消費の増大は、地球環境に大きなインパクトを与えることは明白で、特に焦眉の急といわれている地球温暖化への対処が必要である。(注2) 

こういった時代に対応するために、わが国が出来る事は、優れた技術、国際貢献のできる技術を、連続して開発していくことである。これが恐らくただ一つの方策であろう。

失敗を恐れずに学ぶ事が、フロントランナーを作る

 

わが国の新しい時代への姿勢

20世紀の後半に、わが国が習得した生産技術は、優れたものであったが、その大部分は欧米から学んだものであった。このため製品に大きな問題は起きなかったし、その製作プロセスにも、間違いはほとんど生じなかった。このことは素晴らしい事ではあったが、欧米の技術が、その開発の途中になめてきた苦しみを経験しなかったために、技術の開発に失敗するのは、許す事の出来ない過失であるという認識が、世の中のある種の常識として定着してしまった。うまく行くのが当たり前で、失敗はただ糾弾の対象になってしまった。

しかしわが国の技術レベルが向上することによって、この後生産するべき新製品の技術は、何処にも開発されていないものになってきた。例えば燃料電池であるとか、携帯電話であるとか、排気ガスの少ない自動車エンジンとか、高性能の二次電池であるとか、高速増殖炉であるとか、これから人類にとって必要な多くの技術については、極めて幸いなことに、そのフロントランナーの集団に入るようになって来た。しかしそのフロントランナーとして開発を成功させることが、いかに大変かの認識が十分とは言えない。

 欧米の産業が今日の地歩を占めるまでに、多くの事故によって多数の人命を失い、物的な損害も決して僅かなものではなかった。しかしこの事故に学んだ事によって、今日のこの現代の産業社会が作り上げられたことは歴史を見ても明らかである。この認識を確りもつか持たないかが、今後の日本の将来を決定付ける重要な鍵である。

 

日本の原子力政策

わが国では既に多くの論議の後に、原子力のあるべき姿は決定されている。当面は軽水炉の発電を基本として運転を続け、発生した使用済み燃料は再処理する。一方高速増殖炉を開発し、その実用化を待って得られたプルトニウムを燃焼させ、ウランを有効に使う。またプルトニウムは高速炉が開発されるまでは、ウラン235と一緒に現在の軽水炉で燃焼させる。これはウランという元素を最も有効に利用する方策であることは言うまでもない。

この一連の技術の開発は既に相当な進捗を成し遂げてきており、真剣に集中した努力を続けさえすれば、十分達成できる領域に入っている。外乱にかく乱されること無く、国を挙げた努力が必要である。どんな優れたものでも、やらなければ達成しない。

今から46億年前、地球が出来た時、ウラン235と238とはほぼ同量あった。それが半減期の短い235の方は早く崩壊して、全ウランの中での含有量が1%を切った時期に人類が現れた。その人類が自分達の使うエネルギーを問題にするようになった時、かろうじて残った僅かな235を使って、ウラン全体を有効に利用する方策を発見した。素晴らしいストーリーであり、あまりにも見事な摂理である。神や仏を信じない者でも、何か神の恩寵といった、厳粛な気持にさせられる。

高レベル廃棄物を消滅させる技術は今のところ実用化されていないので、地層処分する。こういったものを残さない方がいいに決まっているが、ウランを無駄に使ったり、過剰に有機的資源を使ってしまうより、後世の子孫に対しては、申し開きの立つ方法であろう。しかしこれだけの新しい壮大な事業を行うのであるから、その途中に起きる可能性のある問題に対処する覚悟が必要な事は当然である。

ここで指摘しておきたいのは、原子力発電が開始された頃でも、発電単価では十分競争力があったことである。一般に新しい参入者が、価格的に対抗できる事は容易ではない。価格的な競争力は、そのシステムの優位性を示す重要なインデックスである。最近電気事業連合会が発表した発電コストの比較において、フロントとバックエンドとを合計した原子燃料コスト全体を含めたもので、他の発電方式と較べ、最も競争力のあるものであった。

ただこういったエネルギーコストは、原油でも石炭でもその時の社会情勢などで、かなり変動する。原子力の場合でも、時々の社会、政治などの影響で、多少の動きはあるであろうが、大切なのは余り瞬間的な燃料コストの変化などで惑わされることなく、確りとした長期的な方針に従って、着実な前進をすることである。

これは技術の面でも同様であって、英国やフランスに委託して作った、MOX燃料のデータの改ざんがあったから、MOX燃料の使用は駄目、「もんじゅ」でナトリウム漏れがあったから、高速炉は駄目ということで、当初の予定にかなりの狂いが来ている。信念をもって作り上げた基本方針を逸脱しないよう、あらゆる努力をするべきである。現在これに対する国のしかるべき機関の対応も、相当手ぬるいように思われる。 

 

人間からミスは避けられない・ハインリッヒの法則に学ぶ

失敗を許容する国家に

かっては労働災害は避けられないものと考えられてきたが、現在その度合いは激減している。このことに大きな貢献をしたのはアメリカの技師ハインリヒの提唱した考え方で、ハインリッヒの法則といわれているものであるが、一件の重大災害があると、軽傷の事故が29件、不休災害が300件ある。重大災害をなくすためには、軽傷の事故をへらす。更に300件の不休災害の一つ一つを、解析してその段階から、問題を起こす原因を潰しておくことが重要だとの提唱であった。

原子力における、事故の程度を示す基準として、「国際原子力事象評価尺度」(INES)は国際原子力機関などによって1989年に作られたものであるが、ここでは起きた事象を0から7までの8段階に分類し、4以上を事故(Accident)、1から3までを異状事象(Incident)、0は尺度以下(Deviation)と分類されている。チェルノブイリの事故が7、スリーマイルアイランド事故が5に判定されている。わが国の原子力発電所では、美浜2号機の蒸気発生器の伝熱管の損傷が2で、それ以外は総て1以下である。もんじゅのナトリウム漏洩は1となっている。

 原子力発電所を運転する場合、勿論いかなる問題も避ける努力をするべきであるが、軽微なトラブルもゼロにしようというのは、あまりにも非現実的すぎる。現実的に考えると、やはり事故と分類される4以上のものは如何しても避ける必要がある。これを達成するためには、先ほどのハイリッヒの法則の考え方が極めて有効である。何か発電所で問題があったとき、それを直ちに公表し、解決はすべてオープンな中で処置をすることが重要である。発電所を作ってそのまま運転するというのではなくて、絶えず発生した問題を早い時期にとらまえて、改善する。これは問題を起こした発電所だけではなく、総ての発電所で対応することが既におこなわれている。

1979年にスリーマイルアイランド発電所で、炉心溶融事故をおこしたが、この後同種の発電所の安全性は飛躍的に向上している。失敗に学ぶ事は、極めて積極的な対応であって、その点の対応の充実が重要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

21世紀の日本で必要なもの

人類が進めてきた原子力の技術に対して、我々はもっと誇りを持っていいと思う。そしてより強力な努力を傾ける必要がある。今わが国が、他国に先んじて高速増殖炉の技術を確保する事が、どれだけ21世紀の日本にとって大切な事かを真剣に考えていただきたい。ここで一言付け加えれば、これから開発される高速増殖炉では、軽水炉で経験した誤りを繰り返さない事が重要である。過度の多重な安全対策は決して好ましい事ではない。実用化される高速炉では、少なくとも二次系の冷却システムは取り去るべきである。優れたプラントはシンプルでなければならないというのは、エンジニアリングのグランドルールである。このことで、真に安全で高い性能と競争力とを持つ高速増殖炉が実現する。

人間の社会は静止していない。これは歴史を見れば明らかである。科学技術の面では特にそうである。50年前には新幹線は無かった。原子力発電も無かった。商業用のジェット機は無かった。コンピューターも無かったと言ってもいいであろう。遺伝子が二重ラセンであることも知らなかった。プレートテクトニクスの理論が認められたのも、50年前である。人は努力すれば、素晴らしい速さで進んでいくものである。進まなければ置いて行かれるだけである。前進するにはどうすればいいのか、わが国が世界の技術開発のトップランナーの集団の中で、優位をた持っていく為にはどうすればいいのか。この国の世論が、失敗の許容を許すようになる事が極めて必要である。

21世紀は日本が、受動的な体質を捨て、能動的に切り替える時である。この切り替えに成功しなければ、世界での経済大国としての存在を保つ事は極めて難しいのではないかと思う。神があたえてくれた恩寵とも思える、原子エネルギーは、人類の対応の仕方によって、人類への貢献度が変わる。それをどう生かすかは我々の問題である。

 平成7年12月8日、高速増殖炉の原型炉である「もんじゅ」がナトリウムの漏洩事故を起こした。漏洩により発生した火災は直ぐ消火され、原因の調査も直ちに行われた。勿論人的な被害は全く無かった。この「もんじゅ」はほぼ9年たった今日、いまだに運転の再開が認められていない。運転しない「もんじゅ」では、問題は発生しない。技術の進歩も得られない。人類が学んだ技術開発のための、最も現実的で効果的な方法が、わが国では認められていない現状は極めて憂うべきものである。日本人とはこんなにも情けない民族だったのかとすら思えてくる。 

                                               

原子力の技術に誇りを持ち、世界をリードする国にしよう

 

注1 エネルギー問題に発言する会 ホームページ 原発反対の風潮の広がりを憂う 第十一話 20世紀が作り上げた新しい国際的経済体制 参照

注2 こんなにも脆弱な地球の大気、これを守る最強の手段は原子力」(21世紀の環境とエネルギーを考える 時事通信社 Vol.24  参照