建設技術の伝承は正念場

多くは望めない原発プラント新設

エネルギー問題に発言する会
(元三菱重工業株式会社 軽水炉技術部次長)

松岡 強

 

1.はじめに

 原子力のプラント建設技術とはプラントの基本計画、基本設計、詳細設計(系統、配置配管、電気計装、建屋構造、炉心・燃料設計、安全解析等々)、機器設備製作、現地工事、品質管理技術等々を指し、電力、プラントメーカ、材料・部品メーカ、建築会社、協力会社等の技術を含む広範なすそ野の広い技術を指す。

 このプラント建設技術に対比される運転保守に関連する技術の維持向上については、52基の既設プラントにおいて、安全・安定運転の下での高稼働率、安全確保、高経年化対策等益々技術の高度化が求められる中での実践の場があり、確保されつつある。しかしながら上述のプラント建設技術は、プラント建設の機会が激減してきていることから、これらの技術力、特にプラントレベルの技術(個々の技術を俯瞰的・横断的に見る技術)、原子力特有の技術および取り替え等が無いような原子力特有の機器設備の技術を如何に維持していくかが大きな課題となってきた。

 ここでは主としてプラントメーカの技術を中心に述べるが、その他の分野の技術力も非常に重要なものである。以下に欧米諸国のプラント建設技術力と比較しながら我が国の実体と動向を述べる。

2.諸外国のプラント建設技術力の実情

米国の実情

 米国では1970年代後半からのエネルギー需要の低迷による原子力発電所の多数の発注取り消しと原子力発電への反対運動の激化で、急速に原子力プラント建設の機会がなくなっていった。それに伴い運転保守関連の人材は確保されたものの、プラント建設事業に関わる人材は急激に減っていった。

 このような原子力プラント建設の市場が衰退する中で1980年代早々に原子力産業界と政府はよりいっそうの安全性向上を意図した発展型軽水炉(AP600やABWR等)の開発という国家的プロジェクトを立ち上げ、その技術の維持向上に努めたが、人材・技術の逸散を長くは食い止めることはできなかったようである。1990年代後半になると、原子力界を引っ張ってきたW(ウェスティングハウス)社およびCE社は英国BNFL社に、またB&W社は仏フラマトム社に吸収され、現在米国の原子力プラントメーカはBWRメーカであるGE社以外はすべて外国企業の傘下に入ってしまった。

しかしながら軍需部門は健在であり、エネルギー省(DOE)の膨大な原子力予算の大半は軍需関係で、計画的な原子力潜水艦や原子力空母の建造で最低限の人材は確保されている。又原子力規制委員会(NRC)等の規制側にも軍関係出身の人が活躍しているので、一旦原子力発電所建設ブームが来れば、いつでも立ち上げられるだけの核となる人材は温存されていると考えて良いであろう。なお、運転保守関連の会社や人材は豊富でそれらが今の原子力界の活性化の源となっている。

欧州の実情

 一方欧州では、ドイツのジーメンス社やスウェーデンのアセアトム社等の優秀な原子力会社があったが、それらの国では高稼働率の優秀な原子力発電所を持っていたにもかかわらず、政治的な反原子力運動の中で、特に1979年の米国スリーマイルアイランド(TMI)事故、1986年のソ連チェルノブイル事故の影響の中で、新設原子力発電所が建設中止となり、この20年の間にプラント建設技術力は無くなってしまったようである。特に、ドイツでは標準化炉「コンボイ計画」を推進しようとしていた矢先に反対運動の流れで頓挫してしまった。

 その中でもフランスだけは原子力の標準化方針を立て推進した時期がドイツよりわずかに早く、TMI事故で反原発運動が世界的に吹き荒れる前に原子力の建設を多数終えており、既に国の主要電源の地位を確保していた。それで国を挙げて推進した結果、現在でも原子力大国として原子力発電所の建設技術力を維持している。

 仏電力会社EDF社の後押しで仏フラマトム社と独ジーメンス社とがフラマトムANP社を作り、現在、原子力建設技術力を維持することはもちろん、世界の原子力事業(運転保守、建設事業)を支配すべく活動している。欧州はEUとして大連合する中、フランスを中心に原子力の建設技術力の維持発展のために、次期原子力発電所としてEPR(欧州標準炉)建設に向け着実に進んでいる。

東南アジアの実情

 その他韓国、台湾、中国でも原子力発電プラントの建設はしているが、それらのプラント建設は欧米メーカの技術力に依存しており、まだまだ自前の技術力として消化されているとは思えない。

3.我が国のプラント建設技術力の実情

 そのような中で、日本の原子力建設技術力の実情とその動向はどうであろうか。筆者はPWR(加圧水型軽水炉)を長年手がけてきたのでPWRを中心に述べるが、大きな流れはBWR(沸騰水型軽水炉)も似ているものと思う。

 日本では1960年代から米W社から三菱がPWRを、米GE社から日立・東芝がBWRを技術習得して、最初は下請けとして初期の発電所を建設し、その後国産化率を上げ技術力も高めて、主契約社として建設するようになっていった。

(1)PWRにおける技術移転の流れ

 PWRの世界では、1960年代に、当時のPWR最大手のW社に独ジーメンス社、仏フラマトム社、日本の三菱等の若い技術者が多数集まり、技術習得を必死に行った。3社の技術習得および技術移転では次ぎに示すようにそれぞれ異なった道を歩み、独自の技術を確立していった。

ドイツ

 まずジーメンス社であるが、彼らは元々原子力の技術は欧州の技術であるとの思いがあったので、当時開放的であった米W社の技術をすべてコピーして、自分のものとし1970年にはW社と手を切った。当時W社は技術が盗まれたと憤慨し、ジーメンスとは喧嘩別れしたとのことである。

フランス

 次にフランスであるが、フランスは標準炉を多数建設することを条件に技術移転料として、大金を出そうとしたが、W社の合意が得られず、ついに政治的に中東問題の支援を条件に技術移転を獲得したとのことであるが闇の中である。しかしながら一企業の原子力の技術移転のために政府が強力に動いたのは事実のようである。

日本

 最後に日本であるが、W社の内部事情もさることながら、三菱もW社も互いの技術を高く評価していたことから、非常に友好的に且つスムーズに技術移転が行われ、1992年に対等のクロスライセンスとして契約更改をした。以後W社とは英国のBNFL社に吸収された後も同様に相互信頼の下に技術交流を行っている。

(2)プラント建設技術維持活動

 このようにスムーズに移転された技術であるが、1960年代後半から1970年代半ばまではW社から技術を学び、国産化率を上げることに懸命で、その後1970年代半ばからプラント建設経験及び運転経験から得られる数多くの教訓を基に、日本に合った改良技術を取り入れたプラントを作り込んでいった。この間W社PWR技術のノウハウをほぼ完全に吸収し発展させると共に、システムや機器のノウハウ、ノウホヮイを問い直し、独自の解析・実験を通じて技術の蓄積がなされた。

その成果の下に、1980年代半ばから1990年代にかけては、日本独自の技術を作り上げる時代に入った。この時期はPWRだけでも7プラントが平行して建設されており、もっとも活気があり、技術が伸びた時期でもあった。

この時期を過ぎると10数年間プラント建設の機会は急速に減退し現在に至っており、当時のプラント建設を経験した技術者が第一線から引退する時期にさしかかっている。従ってこれまで蓄積されてきた技術を次代の技術者に継承する実践の場が得られないことは非常に憂慮すべきものであり、その対応策は喫緊の課題である。

 建設技術力の継承に当たっては、建設技術を技術力維持の観点から、@炉心燃料技術等既設プラントの運転保守関連技術で維持できるもの、A機器配管設計製作等の機器の取り替えや補修技術で維持できるもの、B火力等他産業で技術が磨けるもの、C個々の技術を横断的にさばく原子力プラント特有のプロジェクト業務、系統・配置設計等の技術や原子力特有の放射線解析技術等のように何らかの処置をしなければ技術が消えていくもの等々に分類し対応してきた。

 新規プラント建設が激減している現状では、これらの違いを念頭に置きつつそれぞれの特性に合った継承の場や手段を、先ずは現状の業務から見いだし実践してきた。例えば原子炉容器や蒸気発生器のような原子力特有機器の輸出、炉心構造物、蒸気発生器、タービン、復水器のような大型機器の取り替え工事、中央制御盤を含む電気計装設備の一括デジタル化、廃棄物処理設備の大型更新工事等の準プラント建設規模の工事があげられる。

 また新型プラントの開発研究は建設技術力維持向上の観点からは新規プラント建設という実践の場に次ぐ有力な手段という側面を持っている。特に安全設計、炉心設計、系統設計等の設計分野には有効である。プラント建設最盛時に開始した改良型軽水炉(APWR)の開発は当初W社技術から出発したものであったが、その後炉心設計のコンセプトの変更を始めとする種々の改良を加え、我が国に合った独自技術のプラントに仕上げ敦賀3.4号機につないでいる。

さらに当時静的安全系を取り入れたプラントの開発が世界的に行われたが、W社開発の静的安全系プラント(AP600)は我が国の国情には馴染まない(現行の動的安全系をすべて否定した静的安全系のみで構成しているので)との判断の下、静的安全系と動的安全系を組み合わせたハイブリッド安全系プラントを次世代炉として独自開発した。そこで安全設計技術力の維持向上に大きく寄与すると共に、高機能アキュムレーターのような安全機能を一段と高めた機器を開発してきた。

これらの開発プロジェクトに参画し技術を培った当時の若手技術者が、現在の技術陣の中核をなしている。この技術陣に、今まさに第一線から引退しようとしているプラント建設経験をしてきた技術者がその技術を伝承する大切な時期に来ているが、その場がなくなってきているのが現状である。

(3)今後の動向と展開

 電力需要の伸び悩みと電力自由化を見通しての大型投資リスク回避の観点から、電力会社は既設プラントの安全・安定運転をベースにしての稼働率向上が最大の使命となり、新規プラント建設計画は繰り延べまたは中止となってきている。それに伴い、プラント建設技術力への関心は相対的に下がるのはやむを得ないものがあろう。

 また国としてもエネルギー政策基本法等で基軸電源として原子力を位置付けると共に自給率の向上を謳ってはいるが、新規プラント建設を誘導する具体案を持っていない。

 プラントメーカはこれまで原子力機器の輸出、既設プラントの大型工事、新型プラントの開発プロジェクト等で建設技術力の維持と人材確保に努めてきたが、それらの事業の縮小と建設経験者の第一線からの引退によりその限界は近づきつつある。

 このような状況にあって、現在北海道電力・泊3号機の建設が開始されるとともに、日本原子力発電・敦賀3,4号機(APWR)の建設が地元了解を得て、スローペースではあるがまさにこれから若手技術者に実践の場としてプラント建設経験者の技術伝承を行うための正念場を迎えたことになる。プラント建設経験者が定年を迎え、第一線から引退しようとしているこの時期のプラント建設は何にもまして着実な推進が望まれる。

 一方、今、革新型炉としての小型炉の開発に関心が集まっている。これは技術開発力を高めるためには貴重なものであるが、建設技術力の観点からはある時期次世代炉として開発が進められたハイブリッド安全系プラントのように既存の軽水炉技術の延長線上にある開発の方が有効であり、この分野の開発推進が望まれる。

 また電力需要の伸び悩みから今後国内での新規プラント建設の機会は多く望めないことから、プラント輸出に取り組んでいくことは自明の理である。これまでの輸出実績は機器単体の輸出である。この規模であればメーカの範疇であるが、プラント輸出に本格的に取り組むのであれば、国が民間の後押しする姿勢から国自らがセールスする姿勢に転換することが望まれると共に二国間協定、安全審査体制等の整備が必要である。

 技術伝承には過去の資料を整備しマニュアル化を図ることが重要視されているが、これはあくまでも補完的なものであって、要は人のつながりに帰結するものである。日本ではこれだけ建設プラントが減少する中で曲がりなりにもプラント建設技術力が維持されてきたのは、プラントメーカの人材維持を含む自助努力に依存するところが大きい。

しかしながら、現在、建設プラントを経験し、これら建設技術を支えてきた年代、特に団塊の世代が定年を迎える時期に来ている。今までプラント建設技術は曲がりなりにも維持されてきているのであるから、これからも維持できるであろうとの見方は甘く、プラントメーカとしてもその限界の時期に来ている。

 運転保守技術と建設技術とは個々の技術で同じ分野もあるが、基本的には白紙の状態からシステマティックに作り上げていくプラント建設技術と出来上がったプラントを扱う運転保守技術には根本的な違いがある。したがって運転保守技術を維持するだけでは建設技術を維持できるものではない。また運転・保守技術力は、その根底となっているプラント技術力が低下すれば揺るがされることになる。

 昨今、原子力技術の維持・継承の問題が取り上げられるようになってきたが、ここでの主眼は、原子力発電プラントの運転保守分野の技術であり、人材の確保である。また人材育成・確保も世代間のギャップを意識しての大学教育のあり方への関心に留まっており、プラント建設技術の話に及んでいない。しかしながら、このままではいずれは我が国からプラント建設技術力は消えていくとの真の危機感を原子力関係者が共有し、その対応は民間のメーカの自助努力に依存するだけではなく国及び電力界のさらに踏み込んだ施策が望まれる。

4.おわりに

 国家レベルで見た場合、プラント建設技術力の維持は、将来の我が国のエネルギーの安定供給の為に必須である。建設技術が失われると、エネルギー自給率の大半を占める原子力発電所の自力建設ができなくなる。エネルギーの根幹である技術を他国に握られてのエネルギーの安定供給などあり得ないし、それによる国家の損失は計り知れない。

 今現在我が国は世界の中で最高のプラント建設技術を保有しているが、それを維持することは、基軸エネルギーである原子力にとっては、核燃料サイクルの確立や原子力発電の安全安定運転と同等の重みのあるものである。またプラント建設技術そのものであるプラントレベルの技術力が失われることは運転保守技術力をも失うことにつながり、原子力発電所の安全・安定運転に大きく影響するものである。

 このような状況において、もっとも大切なことは技術を大切にする気持ちである。今我が国に維持されている原子力建設技術が如何に貴重で重要かと言うことを国民が認識すること、否、原子力関係者自身がその本当の価値を認識することである。そうすれば自ずとその維持向上のための方策が出てくるであろう。