フジサンケイ ビジネスアイ_I.’s eye 2004年8月18日(水)
一般労働安全の重要性再確認を 〜関電美浜原発事故の教訓〜
原子力安全基盤機構顧問 石川迪夫
≪欧州は10年ごとに大掃除≫
関西電力の美浜原子力発電所3号炉で八月九日に死傷事故が起きた。原因は復水配管の減肉破裂。突発的に噴出した蒸気を浴びて、近傍で働いていた作業者が火傷を負い、四名が死亡した。被害にあった作業員は、減肉調査のための下準備作業中だったというから、不遇としか表現の仕様がない。
外国のメディアも、今回は素早く報道した。概ね事故の概要と、破断が二次系冷却水系であるから放射能の環境放出はないとの解説を加えたものが多い。この中で、フランスのEFNニュース(原子力推進の環境保護団体)が、十年ごとの定期安全レビュー制度があるのに、なぜ、二十八年間も放置されていたのかと、疑問を投げかけている。誠にもっともな疑問で、今回の反省点でもあるが、説明が必要であろう。
日本の定期安全レビューは、これまで事業者の自主的なレビューに任され、規制側はその報告を受ける、という仕組みで行われてきた。勢いレビューの主体は、十年間の安全活動の総括報告となる。
だが、欧州のそれは総括報告でなく、十年ごとの大掃除、具体的には検査修理を含む大々的な総点検だ。そのかわり、ふだんは発電所に多少の故障を抱えていても、安全評価上に問題がなければ、継続運転が許される。だから、安全検討に力が入るし、安全レビューは徹底的だ。日本の場合は、ちょっとしたことで毎度、運転停止に点検修理だから、大掃除は手軽に済むし、済ませる。この功罪、とくと検討が必要だろう。
≪辛くても判断材料明白に≫
四国、九州電力では、十年ほど前に破裂した配管部分を取り替えていたという。一方、関西電力には点検リストに記載漏れがあった。記載漏れは明白なミスだが、取り替えの有無は判断問題だ。問題の性質が異なる。関西電力は取り替えなかった判断内容を、辛くとも明白にする必要があろう。それが今後の安全に役立つ。
だが、伝えられる雰囲気は、どうやら希望に反しているようだ。関電電力と下請け事業者の日本アームとの間で、言った言わぬの、責任のなすり合いがあるという。死傷者まで出した事故だ。この期に及んでの責任逃れは見苦しい。恩讐を超え、天日に昭昭たる心映えで事に当たってほしい。原子力全体の信用は、この一事にかかっている。
十二日、原子力安全保安院に事故調査委員会が発足した。事故原因となった減肉の理由も、日ならず判明するであろう。流量計オリフィス下流での水流の乱れとの推測が巷間有力だがそれだけでは説明しきれまい。世にオリフィス流量計は数多いが、これまで減肉破裂の事例を聞いたことがないからだ。究明の結果が待たれる。
今回特筆すべき教訓は、原子力産業における一般労働安全の重要性、その再認識にある。本件は、原子力発電所で起きた日本最初の死亡事故だが、事故そのものは、原子力安全や放射能被曝といった、原子力特有の安全問題とは全く無縁であった。
われわれはこれまで、原子力安全の確保に没頭してきた。仮想に仮想を重ねた極端な事故想定を追い求め、その安全対策に努めてきた。その努力は実って、確かに、原子力発電は安全なものとなった。
米国の安全規制委員会では今、この現実を踏まえ、設計基準事故想定の見直しを考えているほどだ。
≪バランスを取って進めよ≫
ところで、人間の脳は、複数の痛みがあっても、感じるのはただ一つという。これに似て、われわれは原子力安全に傾注する余り、一般労働安全に対して不感症になっていたのではなかろうか。数百万年に一回という、あるかないかの事故対策に巨万の費用を投じ、数万年かけて深い地下から地表に移動する微量放射能量を心配しているが、その幾分かでも今日只今の一般労働安全に費やし、バランスを取って進めよ、との天の啓示ではなかろうか。この実現のためには、原子力を特別扱いせず、普通の産業として見る、社会意識の改革と協力が必要だ。