原子力eye 2004年11月号

 

安全と経営の狭間で苦悩する保守管理

 

北海道大学(元教授) 石川 迪夫

 

1.原子力発電所の寿命は保全の巧拙が支配

日本が誇る法隆寺は、1,300年余を経た古い木造建築物という。木造建築物は普通100年の寿命が通り相場だが、なぜ法隆寺はこんなに長く寿命を保ち得たのか。理由は簡単、メンテナンス(保全)が良かったからだ。

現存する法隆寺は、遅くとも8世紀に建立されていた。法隆寺には有名な再建非再建議論があるが、これはもっと昔の話、本題とは無関係だ。その後、鎌倉、桃山両時代に比較的大きな修理があり、昭和に至って解体修理が施された。今日、白鳳時代さながらの法隆寺が見られるのは、これらの修理に加え、維持保存に汗を流し続けた古人の信仰の力だ。血の通った保守管理は、このように物の寿命を驚異的に延ばすのだ。

ここで部品の劣化と物の老朽化の相違を明確にしておきたい。老朽化とは物全体が傷んできて使用に耐えなくなる状態をいい、部品の劣化は交換によって現状が回復できる物の状態をいう。美浜事故を原子力発電所の老朽化問題として捉える動きが一時あったが、これは間違いだ。この事故は減肉した配管の検査取り換えに失敗があって起きたもので、保守管理上の問題だ。

老朽化について今少しふえん敷衍すれば、一般的に部品数の多い物ほど老朽化し難い。それは部品の交換によって、物全体の健全性が回復されるからだ。その好例が法隆寺で、部品数の多い原子力発電所などもその類にいる。

それはちょうど、企業や組織体の活性化や健全性が、経営陣の交代や定年による人の入れ換えで、果たされるのに似ている。“巨人軍は永遠に不滅です”。長島茂雄の引退の言葉は、これをよく言い表している。

厳密に言えば、人間一人ひとり、部品の一つひとつには、必ず老朽化があり、寿命がある。だがそれらの集合体の寿命はとなると、曰わく定め難いのだ。繰り返すようだが、寿命は保全努力次第、修理交換を適切に行えば、物は長い寿命が得られる。

余談だが、機械類の解体廃棄経験が豊富な人たちは、廃炉される原子力機器がきれい綺麗で傷んでいないことに、一様に驚く。まだ使える、もったいない、それが彼らの感想だ。事実、直接火であぶ炙られる火力の機器と違って、原子力機器に焼けこげやさび、ゆがみやひず歪みがない。強度も十分に残っている。余寿命はたっぷりとあるのに解体廃棄される、これが原子力機器の実情だ。その故か、廃炉理由には、法的または経済的、社会的なものが多い。

述べてきたように、原子力発電所の老朽化問題はまだまだ先の話だ。そしてその寿命はメンテナンスの巧拙により支配される。となれば、設備投資の大きい原子力産業にとり、適切な保守管理を行うことは最良の経営法なのだ。これが結論の第1だ。

 

2.安全規制で硬直化した日本の保全現場

原子力発電の保守管理を代表するものは“定検”であろう。定検は昭和の初めから、火力発電で毎年行われてきた保全慣行だ。これが法となり、発電設備を持つ原子力にも適用されたのが出発点だ。だが原子力には、核分裂という人類にとって未経験技術があり、その安全を確保するための機器設備の保全が関心事であった。従って定検は、安全と発電の両面を折衷兼備した制度となった。これが日本の原子力保全の特徴であり、問題点でもある。定検が毎年あるのも、安全設備に偏重するのも、すべてこの特徴の故だ。この点が諸外国と異なるところだ。

例えば、新品同様(as built)が要求される原子力では、予防保全とか時間保全と称して、指定された部品は定検の都度、新品に交換してきた。傷んでもいないのに無駄なことだが、日本人の性癖でもあろうか、これをまじめに行った。このため定検費用は、諸外国の10倍とまでいわれる。だがこの努力は、一時期実を結んだ。1990年代、日本は世界に冠たる発電実績を遂げた。世界の保守管理が未熟な時期、定検がそれなりの効果を発揮したからだ。

欧米はこの日本の実績に注目した。日本を訪れ研究し、自国流の保全習慣を改めた。ただ、この改め方は定検の模倣ではない。例えば新品同様の要求には、合理的な維持基準を作ってこた応えた。発電所の見回りを奨励して、安全機器であろうがなかろうが、状態に見合った補修を行った。血の通った管理方式だが、これは日本の家内工業からヒントを得たという。今日、欧米の発電実績は、日本をはるかにしの凌ぐ好成績を示している。

そればかりではない。さらに進めて、原子力発電の本質・特徴に合った保守管理技術の模索が、官民ともに、始めている。試行錯誤を繰り返しながら、一歩一歩、実施に移している。その根拠は過去40年の安全運転実績だ。この実績を基に、不必要な規制を廃し、技術進歩を取り入れ、原発に合った保守管理方法を探る運動だ。一人日本はそっぽを向いて、この動きに加わっていない。それは古い柵を引きずった規制が、発電所に自由な管理を許さないからだ。現場は、安全規制で硬直化しているのだ。余談だが、米国のリスク情報に基づく規制、欧州諸国が力を入れる安全文化とは、これらを実現させるための規制改革なのだ。

具体例を示そう。燃料取り換えに合わせて必要な検査修理をするのは、もう世界の常識だ。10年に1度の定期安全レビューは、フランスでは、さしずめ発電所の大掃除だ。大がかりな修理改造はその時一斉に行う。その代わり普段は多少の故障を抱えていても、安全評価上問題なければ、継続運転が認められる。だから職員は、安全評価、保守管理の仕事に力を入れる。

こんな風潮が日本に伝わっていたならば、恐らく美浜事故は防げたろう。職員の現場を見る目、安全に対する考え方が、まったく違っていたと思うからだ。残念ながら日本は、年ごとの定検が原子力の運営実体に合わないことを知りながら、変更しない。その検査項目も年々歳々相似たりだから、必然的にマンネリとなり、形式化する。当然、優秀な発電所員の目は現場を離れ、コンピュータに向かう。書面さえ整っていれば、お墨付きはもらえるからだ。美浜事故が、検定に含まれない2次系配管の破損に起因した事実が、何よりも雄弁にこの事情を物語っている。

 

3.順調な業績をあげる外国の保全に学べ

米国のフェルミ発電所は、1996年頃まで営業成績が振るわなかった。経営陣が代わり、改革が進んだ今日と比較すると、稼働率62%は93%に、発電単価は3.7ミルから1.8ミルに向上している。信じられぬ業績向上だが、安全指標も同時に飛躍的に向上した。往時は修理未了部分が800ヵ所もあったという。

この経営改革の主役は、首脳陣の強いリーダーシップにある。全職員に対し会社の窮状を率直に伝え、会社の将来を語り、一緒になって改善策を練り、実行したという。そのハイライトは、従業員をいかにしてその気にさせたかの、意識改革にある。

経営陣は職員とともに発電所内をパトロールし、不具合個所を示し、修理改善を指示し、実行し、改革が口先だけでないところを見せた。この動きに共鳴する人の輪が広がり、それに伴って従業員のモラルが高まり、業績が徐々に向上していった。

実は、この発表は電力業界内部でのレポートではない。信じられないだろうが、国際原子力機関(IAEA)主催の国際会議、“安全文化”における発表だ。安全文化とは、日本にはやる修身道徳のお説教や、他人のアラ探しではない。運転管理の向上を目指す運動なのだ。

フェルミの業績向上の裏には、経営陣が求める保守改善作業が、現場で自由に行える雰囲気が存在した。これは米国原子力規制委員会(NRC)の規制改善の効果だ。さらにその背後に、電力不足を経験した米国世論の後押しがあった。

原子力に見合った保守管理を行うには、事業者はもちろんだが、規制者の理解も欠かせない。その意味で日本の現状は、あまり芳しいとはいえない。早急な改善を求めたいが、不祥事続きの原子力には、それを促す世論の後押しが今ない。辛いが精進を重ね、耐え、けんど捲土重来を期すしかあるまい。

だが悲観はいけない。世界のエネルギー事情の変化は急だ。原子力の重要性はますます高まる。原子力の保安保全方策は世界全体で議論され、実行される方向にある。安全条約会議はその具体的に現れ、独り善がりはつまはじきされるだけだ。

われわれ日本人にいつとなく育っていた、ジャパン アズ ナンバーワン意識を捨て、海外に学ぶことが今必要だ。順調な業績をあげる外国の運転管理、保守点検を、官も民も、初心に帰って勉強し直すことだ。これが僕にできるアドバイスである。