原子力を支えた物つくり

50年Atoms for peace in Japan(Asia)会議

50年を振り替える(キーノートスピーチ)

平成15年9月29日

日本電機工業会

「エネルギー問題に発言する会」会員

工学博士 益田恭尚

1.はじめに

アトムズ フォア ピース宣言の後、わが国で戦後初めて原子力研究が認められた。東京大学原子核研究所が設立されサイクロトロンの建設を始めることになった。1954年東芝に入社し、この機械部分の設計を担当したが、引き続き、日本原子力研究所の国産1号炉(JRR-3)の制御棒駆動機構の設計を担当する機会を得た。その後も研究炉の設計などに従事しつつ、原子力の勉強をすることができた。1960年に至り、米国において商用軽水炉の実績が示され、数年を経ずして、次々に軽水炉の建設計画が進むと、わが国でもこれを導入するという気運が盛り上がった。

東芝はGE社と技術契約交渉を進めていたが“ボイラーメーカーでもないのに大丈夫か”との批判もあったが、当時の土光社長の英断で原子力事業に参画することになり、1966年にはGEの下請けの立場でBWRプラントの建設に参入した。

当時、彼我の技術力の差は余りにも大きく、“軽水炉はプルーブンな技術である”との宣伝文句に、わが国として疑問を呈する力はなかったというのが偽らないところであったろう。そして、電力会社から“GEの設計からねじ1本替えるな”と言われた時代でもあった。やがて主契約者としてBWRを建設する機会を得たが、建設業務はもとより、設計・製造の分野でも苦労の連続であった。しかし、関係者の必死の努力により、納期通り、なんとか纏めることができた。

1973年には、オイルショックを経験し、原子力は石油代替エネルギーの旗手と位置付けられ、メーカーに原子力発電所の建設体制の強化が要請された。一方その頃になると、開発国である米国における経験不足から、基本設計に起因するトラブルが多発し、また使いにくい点が多々あることが分かってきた。国および電力も自力による改良の重要性を認識され、1975年には、改良標準化計画がスタートした。同じ頃、電力共同研究制度も確立し研究開発費を受けることができるようになった。
 多難の中ではあったが、明日への希望を持って開発を進めた時代でもあった。

この後も、原子力を取り巻く情勢は甘くはなく、1979年3月にはTMI事故、さらに1986年4月には、世界を震撼させたチェルノブイル事故が発生した。これらが、切掛けとなり、原子力反対運動に火が点いた。米国においては、建設の遅れなどに起因し、経済性に疑問が呈せられるようになり、ヨーロッパでは政争の具に供され、1988年以降、先進国で原子力発電所の新規着工を進めているのは、仏・露の数例を除けば、日本だけという状況になってしまった。しかし、全世界で434基の原子力発電所が運転中で、電力の約20%を供給している点は忘れてはならない点である。

わが国の状況はというと、改良標準化計画に引き続き、1982年には軽水炉高度化懇談会が発足し、経済的で、使いやすい原子炉を目指し改良を続け、なんとか着実に開発を進めてきた。

改良の成果は、新プラントは勿論、運転中プラントにもフィードバックし、一時は計画外停止率、稼働率、従事者被ばくの何れについても世界の優等生の地位を獲得するまでになった。またそれら技術の集大成として開発期間を含め20年の歳月をかけたABWR―1号機が、1996年10月に柏崎・刈羽6号機としては完成し、世界に誇りうる新型原子炉として結実させることができた。

 

2.物つくりの観点から

一口で“物つくり”といってもいろいろな要素があり、それらの複合技術の結集の成果が物として具現化されるということができると思う。

先ず、純粋な製造技術についての課題がある。品質管理に始まり、材料加工、鋳造、熱処理、表面処理、溶接、大型構造物の寸法精度の確保等、それぞれ課題を抱えていたが、順次、解決していった。特に製品の品質に大きな影響を持つ溶接については自動化を進め質の向上を図った。検査技術についても超音波探傷等各種検査機器を開発し、品質確認手法が向上した。

材料については不純物の低減、熱処理の改善を始め、溶接部を少なくするため大型鍛造材の採用を図った。欠陥の発生しやすい鋳造については、重要な部品については鍛造材から機械加工で製品を完成させる製造法に切り替えた。

ハードの設計については、周到な計画、単純化、性能向上、失敗経験のフィードバック、実証試験等の確実な実施があってこそ、故障の少ない間違いのない物ができるのだと言うことができる。これには、材料の選択、応力解析、熱伝達、振動解析、耐震設計等ハード設計のソフトとも言うべき重要な技術を含んでいる。これらの分野は計算機の発達と呼応して大きな進歩を遂げてきた。特にわが国では耐震設計は大きな課題であり、解析手法の高度化、支持方法の改善、実証試験による評価等多方面にわたり技術の進歩を見た。

配管設計やレイアウトといったプラント設計も物つくりの基本である。入り組んだ図面での設計では合理的設計ができないだけでなく、建設現場に行ってから干渉が発見されるなどの苦労を重ねた。1980年代にはプラスチックモデルを駆使した設計法を採用し、可視化することにより設計の質を高めた。このモデルを利用することにより、工期短縮にも貢献することができた。しかし、モデルの維持管理・保管に問題があることを体験した。

設計管理・製造等他分野への利用拡大を目指し、1990年代からは三次元CADへと発展させた。P&ID、配管のみならず、機器情報、躯体情報、生産設計までを含めた情報を、協力会社をも含めた技術者間で共有し、プラント設計・建設の合理化を進めた。

制御・計測系は、原子力の場合、安全性の確保、運転操作の間違い防止、無駄な計画外プラント停止の防止、使いやすいプラントの実現という立場から特に重要な分野である。TMI事故後、制御盤のマンマシンインターフェースが大きな課題として取り上げられた。指示計器とスイッチを使ったベンチ盤方式から、CRTを導入した新型制御盤へと改良し、ABWR向けには、運転員の協力も得て、自動化と人間工学を取り入れた総合ディジタルシステムの高度計装制御システムを完成させた。

この他、特に原子力分野では接近性に制限を受けることから運転中検査機器、供用期間中検査機器、保守や修理のための遠隔操作機器の設計等も物つくりの一環として忘れてはならない分野である。

これらを総合して一つのプラントとして纏め上げていくシステム設計、許認可との整合性、変更点管理、設計レビューと現物確認システム、工程管理、機器搬入計画等のシステム作りも原子力発電所を短工期で建設していくための大きな課題であった。経験を基に順次それらシステムの質を高めて行った。

代表例を挙げて事務局が課題として挙げた「何を失敗し、何を学び、何を提言するか」という立場から、私個人の考えを述べる。

 

3.失敗の経験と失敗から学んだこと

開発当初は総ての分野において失敗の連続であったといっても過言でない。そして、殆ど総ての失敗は初めて経験であった。それらの原因追求と、対策立案に忙殺された。

それと同時に、改良の重要な課題と認識した点は、BWRにおいては、燃料被覆管の破損、放射性廃棄物処理系のトラブルと大量の廃棄物の発生、運転員作業員の被ばく、さらに一番腐食に強いと思われていたオーステナイトステンレス鋼の応力腐食割れなどであった。

これらの課題解決のため、電力会社との協力、国際協力、協力会社、材料メーカーとの共同研究、国の援助などを受けながら、全力を挙げて開発を進めた。

それらの説明は省くが、一言触れなければならないのは、東電事件の発端を作ってしまったシュラウドの応力腐食割れである。応力腐食割れについては材料メーカーも含め、それこそ会社の総力を挙げての応力腐食割れのメカニズムの研究、対策工法の開発、耐SCC材の開発等を行った。しかし結果として表面加工硬化についての考えが甘く、その点の実証が十分でなかったことが大きな反省である。

 ●原因分析と再発防止
 トラブルの撲滅にはトラブルの発生傾向がどのようなものであるか分析する必要がある。

原因別には製造不良、据付ミス、ヒューマンエラーによるものなどがあるが、設計に厳しく言えば大部分のトラブルは設計に起因するものであるといえる。失敗経験を十分に生かした、きめ細かな設計をすることでこれらは防げるというのが私の持論である。設計ミスの原因には技術力の不足、使用条件や変更点についての突っ込み不足、実証試験がされていない、実施したとしても実施方法の不適切、大型化する際の外挿方法の不適切、組み立て法、使用法に対する指示ミス、他部門との取り合いミスなどが挙げられる。

運転経験を積むにつれ新しいトラブルは少なくなったが、類似事象の再発が大きな問題となった。特に、過去のトラブルについての知識不足、乃至、反映システムの不備、過去のトラブルの現象解明の不十分などが挙げられ、再発防止のためのシステム作りを進めた。それと共に、若手技術者教育にも注力した。

再発事例の代表例としては、弁の機能不良、ポンプの軸封部や、小口径管からの漏洩、電気接点等の接触不良による誤スクラムなどを挙げることができる。これらの多くは火力等の分野でも十分経験がある筈であるが、使用条件の違い、漏洩や誤動作についての厳しさの程度の違いもあり、トラブル解決の際の現象解明が不十分であったのではないかという点が印象に残った。

●軸封からの漏洩

トラブル撲滅のためには原因追求と、その対策を立てることが必要であるが、その一方、例えば軸封からの漏洩の完全撲滅は困難であるという認識を持って対応することも大切である。代替案として軸封部のないキャンドモーターポンプを採用し対応した。

ABWRでは経済性向上とSCCの発生可能性低減を考慮し再循環配管を排したが、再循環ポンプには水漬けポンプを採用し漏洩撲滅を図った。さらに、二代目のABWRである浜岡5号機では制御棒駆動機構もモーターの回転力を薄いキャンを介して磁気継手でねじに伝える設計を採用し軸封のない構造としている。

●小径管からの漏洩

小径管からの漏洩は継ぎ手にソケット溶接を採用している部分で発生する事例が多い。開発研究の結果、隅肉溶接の溶接欠陥を基点とする振動による疲労破壊に起因するものであること、応力の大きさで割れ発生部位が決ること、高サイクル疲労に対し応力集中係数が基準値よりも高い上、ステンレス鋼の疲労限が基準値よりも低い事実が判明し、高サイクル疲労に対する知識の向上に貢献した。それと共に、振動の大きい箇所には付き合わせ溶接を採用する等の対策を講じたことで、小径管からの漏洩は激減した。

●誤スクラム

わが国の場合、計画外停止を起こすと最低でも数日の運転停止を余儀なくされることから、特に、誤スクラム防止は大きな課題であった。スクラム原因を分析し、それぞれに対策を講じて行った。機械式接点や配線の接続不良が原因である事象が多いため、計測制御系のディジタル化を進めた。さらに、最終的には常用系につても計測系を3重化し中間値制御方式を採用することにした。このような努力により、世界に先駆けてスクラム略ゼロの実績を挙げることができ、スクラム防止国際会議が東京で開かれた。

 

4.過去の経験から何を学んだか

●失敗を許容しない国民性

わが国の原子力発電では、幸いにして一般民衆に直接迷惑を掛けるような事故は起こしていない。それにもかかわらずトラブルがあると、恰も大事故が起こったか、今にも起こるのではないかと思わせるような報道があり、それがまた民衆の原子力離れを加速して来た。

人間が作った機械である、残念ながら、故障を絶滅することは不可能に近いと言わざるをえない。科学技術の発展過程を見ると、西欧社会では厳しい試練を経験しつつ発展してきたことが分かる。米国のASMEも失敗の経験をもとにして築き上げてきた基準である。そして、新知見を次々に取り 入れて行くシステムとなっている。わが国は明治維新以後、西欧の技術の模倣からスタートしたため、上手く行って当たり前という客観情勢の中、技術者にも国民にも失敗を許容する雰囲気が育たなかった。その結果、失敗情報についての公開の仕方も遅れてしまっている。失敗を認めない世論は原子力業界にとっても、国民にとっても不幸なことである。失敗を起こさないことは大切だが、それよりも失敗から学び2度と同じような失敗を繰り返さない努力、そのためにも失敗を世の中に正しく伝える努力が大切だと考える。開発を始めた当時、GEの技術者から失敗の経験のない技術は信用できないと言われたのを思い出す。

●技術の進歩に呼応できない基準、前例主義

わが国は、技術の進歩に合わせ規格・基準を直していくというシステムが育っていない点は特に問題だと考える。また、法律で規定されている部分が多いため、改定が難しいだけでなく、運用に当たり杓子定規な法解釈が適応される点も問題である。

軽水炉では改良が進むにつれ、現実にそぐわない基準、不要な機器システムも散見されるようになった。先程述べた軽水炉高度化懇談会はこの点の改善を狙ったものであった。しかし、基準の変更には抵抗も大きく、結局、基準を変えない範囲で改良をすることになり、それなりの成果を挙げることができた。しかし、文書化されていない前例に縛られるなど、いろいろな抵抗があり、十分な成果を上げるまでには至らなかった。

事例を挙げると、燃料破損の撲滅、水処理技術、廃棄物系の設計も大幅な改善が図られ、原子炉冷却水の純度も向上した。その成果は各方面に現れている。外部への放射能放出率は、今や検出限界以下が常識にさえなっている。ALARAの許容限界は自然界からの被ばくの5%以下を目標とする厳しいものであるが、そこまではそれに見合った設備の簡略化が可能な筈である。しかし、前例に阻まれて達成できないのが現状である。その一つの例として、排気塔を低くし、原子炉建屋に立てようという提案は、新設計のABWRで漸く実現することができた。またSCCを防ぐため原子炉水に水素を注入する技術が海外では盛んに利用されているが、原子炉からタービン系への16Nの移行量が増加しタービン系のガンマー線レベルが上がり、空からの反射でサイト周辺の放射線レベルが上がるという理由から、中々採用に踏み切れないのが現状である。

原子炉出力のゆらぎと称する問題がある。原子炉出力は一瞬たりとも規定値を超えてはならないと言う考え方があった。最近は炉心設計、計測制御系の改善により、ゆらぎの幅が減りあまり問題にならなくなった。しかし、安全審査指針で102%の出力で安全系の設計を実施すべしという指針は残ったままである。また、タービン効率が良くなる冬場でも定格出力以上の運転は認められていなかった。長年に亘る議論の結果、最近では漸く原子炉出力が定格値を越えなければ、定格出力以上の運転も認められるようになった。海外では積極的にプラント定格出力を向上させる試みが行われているが、同様な理由で、わが国では中々実施に踏み切れずにいる。

わが国では、年間一度の定期検査が義務付けられているため、長年の懸案である長期サイクル運転の実現ができないでいる。このため、稼働率が低迷し、高燃焼度燃料の開発も中々進まない。

わが国の定期検査は定期検査期間中の分解検査が建前となっており、運転中の法的検査は認められていない。このため、費用を掛けて運転中診断をしても現実に役に立たないという矛盾があり、諸外国に比べ運転中検査技術の開発や採用が遅れ、定検短縮が進まない原因となっている。
 話は変わるが、一般の技術問題でも原子力を通していろいろなことを学んだ。
 一例を挙げると、残留応力の存在は疲労強度、SCC感受性に対して想像以上の悪影響を与えることが認識された。オーステナイトステンレス鋼の場合材料が鋭敏化するため焼鈍が禁じられている。極低炭素ステンレス鋼では鋭敏化の恐れがないのであるから、焼鈍の採用を前向に検討する時期ではないかと感じている。

 

5.努力が足りなかった点はどこであったか

原子力に従事している者総てが、エネルギーの長期見通しからも、地球環境問題からも原子力推進が必要なことは十分認識しているにも拘らず、今のような停滞ムードが続いている。原因がどこにあるのかもう一度反省し直す時期だと考える。停滞の原因の一つとして、欧米先進国の新設プラント建設の停滞があるのは事実としても、欧米各国においては運転プランとに対する規制の合理化が進み運転性能の著しい向上をみている点は学ぶ必要があると考える。

わが国としては情報公開、安全と安心とのすみ分け、放射線に対する恐怖感を如何に少なくするか等、世論への対応について反省点は多いと考える。これらは、物つくりの分野を外れるので、割愛し、次の2点を挙げたい。

●燃料サイクル完結に向けて

現在の軽水炉は未完成品だという人もいるようである。勿論、一般工業製品と同様、ニーズとシーズを入れて改良して行かなければならないのは当然である。その前提に立てば、現在の軽水炉は一応完成した製品の仲間入りができたと私は考えている。しかし、トイレなきマンションと言われ、関係者は長年に亘ってこの解決に努力してきたものの、燃料サイクル完結はその見通しの方向さえぐらついているように見える。これは大きな問題である。いろいろな障害があるのは事実であるが、国家の総力を挙げて使用済み燃料の処理・処分、高速増殖炉開発の方向と時期を定め、それに向けて努力して行かなければ、原子力の明日はないと言われても止むを得ないことだろう。

●高建設費の要因とグローバル化の時代要請に応えて

次に建設費の問題である。国際価格に対して高いことが常に指摘され、コストダウンの努力を続けて来た。しかし、高建設費の原因はメーカーだけの責任であろうか。善悪は別としても完璧主義という国民的習性があり、世論の動向を気にしすぎて規制緩和が進められない監督官庁、その指導に従い完璧主義を進めた電力会社、良い製品を追い続けたメーカーが日本の原子力発電所を世界常識に比べ冗長なものとしてしまったというのが要因の一つだと思う。

標準化が進んでいないのも事実である。改良標準化委員会の部会において電力会社もその実現に努力したが、電力会社毎の仕様の違いは避けられず、結果として標準化が進まず、建設コストが下がらない原因の一つとなっている。

残念ながら、各種改良がコスト上昇の一因となっていることも事実である。例としては被ばく低減や、廃棄物低減のための浄化系の強化、素材中のCo低減、スペース確保と遮蔽の強化、省力化・間違い防止の目的達成も兼ねた自動機器の開発・採用、信頼性向上のための材料不純物の低減、大型鍛造材やチタンコンデンサーの採用、再循環ポンプ電源の静止化、高性能制御盤、プラント効率向上のための湿分分離加熱器の採用などが挙げられる。しかし、プラントの生涯を通算し、運転コストも考えた場合、これらは正しい選択であったと今でも考えている。

これらにも増して、改良の成果が基準類に中々反映されない、また基準に縛られて改良が進まないといった点は問題である。特に、多重検査を含め杓子定規な検査制度は高建設費の大きな要因として挙げられよう。検査制度の改善、基準類の簡素化や、無駄と考えられる規制の合理化などについて抜本的改善が必要だと考える。

原子力発電は膨大な初期投資を必要とし、法定償却ベースでは最新火力に太刀打ちできないことは事実であろう。グローバリゼーションの世の中においては、いろいろな面でのリスク負担まで考えると積極導入は難しいという経営判断となるかも知れない。この解決の一方策として、定額償却で算定した許容値を明示し、その上で、建設費の目標を立て、その目標達成のために、規格・基準を含め仕様の再見直しを行い、各種の無駄を省き、不要なものをカットして、建設費を低減していくべきと考える。

●輸出に向けて

今後、輸出の問題が必ず浮上してくるであろう。先ず、国家間の原子力協力協定等、価格以前の問題についてはメーカーの能力の限界を超える課題である。国家的レベルで解決する努力が是非とも必要あるである。

それと共に、贅沢になってしまった設計をどうするかは思いの外困難な問題だと考えている。簡素化について相手国の合意を得るのは中々難しい課題だろう。

せめて基準類はIAEA等で進めている国際基準作りに積極的に参加して日本の考えを入れ、同じ土俵で戦うよう努力しなければ、国際競争に勝つことは至難だと思う。

●議論の場の必要性

規格・基準や規制が適正でないと技術進歩もそこで停滞してしまうことは心すべきことだと思う。電力会社一社が建設業務を通して規制当局と議論し改善していくことには自ずと限界がある。メーカーもプラントコスト低減にはどのような改善が必要か意見を述べていくことが必要である。産業界の代表が規制当局や関係議員と常に議論ができる場を設け、お互いの意見を尊重しながら、原子力発電推進についての改善策を検討して行くことは、今後極めて重要になって行くのではないだろうか。例えば米国原子力エネルギー協会(NEI)の活動は大きな参考となると思う。このような組織の一日も早い実現を期待するものである。

●技術継承

最後に、技術継承について述べたい。原子力発電所の運転・保守関係の技術は、“物つくり”を含め、維持・向上が可能であろう。しかし、建設関係について考えると、新規建設の停滞の中、厳しい経済情勢を受けリストラが進み、原子力技術者は減少の一途をたどっている。さらにこの影響が深刻になれば、次に立ち上げようとした時、技術者の払底に悩ませられることは必至である。これは技術者だけでなく、溶接を初め現場技術力の衰退、さらに、原子力向け特殊材料などの製造技術や設備能力、ポンプ、バルブを始めとする要素技術など裾野の広いもので、一旦消えると復活は至難の業である。

原子力開発当時と比べた時、現在はドキュメント類が多数保管されてはいるが、一方、失敗は許されない雰囲気は益々厳しくなっている。一回も失敗を経験しない技術者がドキュメントを見るだけで技術を習得できるだろうか。将来世界が原子力を必要とするならば、技術の停滞は許されず、技術を間違いなく継承していく必要を痛感している。