「原子力開発の進め方に関する提言」に関連して
(本内容は月刊「エネルギー」誌2003年5月号に掲載された物です。)
「エネルギー問題に発言する会」会員
工学博士 益田恭尚
本誌に「原子力開発の進め方に関する提言」と題し、元東京電力副社長の豊田氏から投稿があったのを受けて、別な立場での意見を出すよう依頼があった。豊田氏の提言は多方面にわたる薀蓄の高いもので、筆者などが意見を言う立場にないが、「エネルギー問題に発言する会」で常々議論をしている論点も入れ、私見を述べさせていただく。
1.
原子力発電の位置付け
現代社会は経済成長、エネルギーの確保、地球環境の維持というそれぞれに矛盾する課題を解決していかなければならないという宿命を負っている。この課題解決のためには、自然エネルギーの利用促進は図らなければならない。しかし、基幹エネルギーとして期待するには無理があり、50年100年先を考えた場合、原子力はその問題解決の大きな鍵を握っているものと考える。
原子力が国民の認知を受け、その開発を推進していくためには、原子力関係者は謙虚に反省すると共に、いままで以上に説明責任を果たす義務があると考える。しかし、同時に政治家もジャーナリズムも、国民も、21世紀のエネルギー問題と環境問題について真剣に考える必要があることを強く訴えたい。
2.
原子力発電所の安全性と信頼性
原子力発電所は発電に際し、有害ガスを発生しないクリーンなエネルギーである。問題点としては原子炉内に核燃料と言う高レベル放射性物質を内蔵し、使用後はそれが高レベル廃棄物となる点である。それなるが故に、原子力開発の早い段階から、止める、冷やす、閉じ込めるという固有の安全性の確保と、多重防護の思想を取入れ、原子炉の放射能や放射線が環境に影響を与えない工夫と努力を続けてきた。その結果、他の発電方式に比べても格段に優れた安全実績を示している。
しかし、世界の原子力発電所の実績という視点からみると、密室の中で軍事目的に開発された旧ソ連において世界を震撼させた大事故を起こしてしまった。自由主義社会の原子力発電所においては、米国TMI発電所で炉心溶融と言う国際評価尺度レベル5の事故が発生したが、格納容器に守られて放射能の放出は殆ど見られていない。
わが国の原子力発電所においては放射線事故での死亡者はなく、経験した事故・故障も國際評価尺度でいえば大部分が0レベルで、最大でも2を越えたことはない。しかし、残念ながら、発電所ではないものの、核燃料転換の専門メーカーJCOにおいて違反作業による臨界事故を発生してしまい、作業員の死亡事故という痛ましい結果を起こしてしまった。
このような反省事例はあるものの、原子力に従事してきた技術者としては原子力発電所の安全性は非常に優れたものであると考えている。
しかし、一般の人が原子力発電所に寄せる信頼性という視点で眺め、常に改善の努力を継続して行かなくてはならない。
(1)原子力発電所の事故・故障と運転実績
原子力開発の初期、多くのトラブル事例を経験し、それらを糧に軽水炉の改良を重ねてきた。改良の成果は運転中プラントにもバックフィットし、予防保全にも力を入れた結果、計画外停止率では世界の最高水準を維持するに至っている。運転実績という面からみても、わが国の原子力発電所の稼働率は80%を超え、被ばくについても、諸外国からも注目される実績を示していた。
しかし、ここ数年の間に、欧米諸国は規制緩和と、世界中の優れた技術を取入れることにより、運転実績の著しい改善をみるに至った。その結果、運転実績からみると、厳しく管理している日本の信頼度の方が低いのではないかと疑われるような状況になっている。
(2)情報公開
冷戦の終結以後、各分野で情報公開が進んだが、原子力は他産業以上に情報公開が進んだ分野である。情報公開法に基づき、工事認可申請書も含め、許認可資料は公開されている。トラブルについては規制当局により報告事項が明確に規定され、遅滞無く報告され、事故原因、再現試験結果、再発防止策等が公表されている。
しかし、原子力発電に対する信頼は、ジャーナリズムや住民の一部で決して高いものではなかった。このような状況下において、電力の自主検査結果内容について虚偽の報告がなされてしまった。この結果、電力の信頼は失われ、東京電力の17プラントは、最近ABWRの1機が運転を再開した以外、全面停止という事態に追い込まれている。
今後、コンプライアンスプログラムを完全実施し、情報公開についても、日常の運転実績や検査結果等の情報についても公開する方策を探るなど、信頼回復に全力を挙げなければならない。
それと並行して、規制のあり方、情報公開の仕方、住民やジャーナリズムとの対話のあり方を改善し、官と民との率直かつ厳しい意見の交換を通して、諸外国の良い実例を学ぶ等の工夫をしていく必要を痛感する。
(3)放射線被ばくとリスク
人間生活には必ず各種のリスクが伴う。例えば、わが国では交通事故で毎年7〜8千人の死亡者が出ているが、喫煙のリスク、亜硫酸ガス、窒素酸化物、微粒粉塵、ダイオキシン等空気汚染によるリスクはそれ以上であると分析されている。しかし、わが国においてはリスクの概念が一般に受け入れにくく、かつ、リスク評価研究が非常に遅れていると言われている。
放射線のリスクを考えた場合どうであろうか。国際放射線防護委員会ICRPは国民線量低減の観点から、放射線の被ばく管理を、被ばくによる発ガンのリスクが直線近似で減少するという仮定で行うことを提案している。
一方、原子力発電所は原子炉安全の設計思想により、一般公衆の受ける放射線の量をできるだけ低く抑えようというALALAの思想を導入し、原子力発電所から受ける放射線量を、人間が自然界から受けている放射線量の5%以下に抑えるよう規定し、実プラントにおいてこれを達成している。
生物は自然界に存在する放射線の影響下で進化してきたのである。低レベル放射線のリスクをこのように過大に評価することには誤りであるという意見が多い。ただでさえ放射線の知識が不足し放射線に対する拒否感を持っている一般人に、放射線の影響を過大に示すことは、いたずらに恐怖心をあおる結果となり、精神的障害のリスクの方がかえって問題となることを憂うものである。低放射線の影響研究は国立の研究所などで進められているが、公認のリスク評価が一日も早く発表されることを期待する。
3.
原子力発電所の経済性
日本の原子力発電所の発電コストは建設費、燃料費、運転費総てについて、諸外国に比べて割高なことは以前から指摘されてきた。これは、オイルショックによる諸物価の高騰、バブル経済等で円高が進み、賃金水準や諸経費が上昇したことも一因である。原子力だけでなく、他の発電方式についても大同・小異であり、電力自由化の引金となった。
(1)建設費
建設費の高い原因解明とコストダウン方策についても長年に亘り議論され、合理化努力を続け、それなりの成果を挙げてきたが、本欄での詳述は避ける。
しかし、わが国の特殊事情としては、標準化を阻む要因は多く、文書化された基準や仕様の他に、品質に直接関係が無いと考えられる検査や記録の保存義務、無駄ともいえる各種品質管理上の制約がある。コスト高の原因がメーカーだけの責任ではない事だけは明らかである。今後一層の、官、電力メーカーの率直かつ厳しい意見の交換が必要だと考える。
機器装置の海外調達については、過去に輸入品のトラブルやメインテナンスに苦労した筆者等OBが心配するほどに進みつつある。
豊田氏は「抜本対策としては、国内にある原子炉メーカー三社を他の重電機器も含めて一社に統合し、国際競争力を持たせることにより、海外の原子炉プラントも受注することによって受注する原子炉の数を多くしてコストダウンを図ることが必要と考える」と指摘しておられる。諸外国と比し、日本に原子炉メーカーが三社も必要ないという意見があるのは当然かも知れない。営利会社である3社の経営者がその方が有利だと判断すれば何時統合が行われても不思議はないであろう。
ただ、オイルショック直後、各メーカーに対し年間3プラント体制はできているのかと下問されたことや、3社の競争により原子力発電所の改良が進んだことは忘れてはならない点である。
海外で原子炉メーカーの統合が行われた実例を見ると、強大1社に統合されて行った例が多く、統合されたからといって国際競争力が付いて受注量が増えたわけではない。原子炉メーカーが1社に統合されれば、市場が冷え込んでしまった時、配置転換や研究開発について融通が利かなくなり、破綻を早める結果にならないか懸念するものである。
(2)運転プラント
「電力コストを如何に安く抑えるか」は電力自由化の問題も絡み、専門外の筆者が議論すべき問題ではないかも知れないが、簡単に概括してみたい。
@ 規格・基準
わが国の原子力発電所の運転に関する基準は火力の横並びとして構築されており、原子力なるが故にこれが厳しく適応されている。その基本として1年に1回の定期検査が義務付けられている。
火力は規制緩和で2年に1回に変更されたが、原子力は依然として1年に1回であるため、大きな矛盾をきたしている。燃料交換間隔の延長を狙う高燃焼度燃料の開発と採用も遅れる傾向にある。さらに定期検査では分解点検が検査の原則になっているため、定期検査期間が長期化すると共に、作業員の被ばくも多くなる傾向にある。諸外国で多用されつつある、運転中の機器監視技術開発とその適用も阻害されている。東電問題でクローズアップされた維持基準も以前から問題視され、機械学会で原案ができていながら適用が遅れてしまっていた例である。
このような過剰な基準のもとでは、計画外停止回数を減らしても稼働率の向上は達成できない。これらは、官、電力メーカー共、良く認識している事実であり、率直かつ厳しい意見を交換し、世界の情勢を参考にしつつ、原子力に合った制度に変えていく必要を痛感する。
A 電力自由化の及ぼす影響
電力自由化の原子力発電に及ぼす影響は我々部外者からみても予想以上に大きいように感じられる。自由化によって電力の供給責任はなくなると見るべきで、それにより短期的視野重視の経営環境となり、原子力の競争力は著しく低下する。
長期的に見れば原子力発電が安い電力を供給できる可能性があっても、多額の投資は資金運用という観点から躊躇せざるを得ない。また、新型炉の開発、燃料サイクルを完結させるための研究投資のような、将来に向けての研究・開発の切捨ても当然の成り行きとなろう。
リスクの大きい燃料サイクルや、高速増殖炉のような、国策に沿った長期的開発について、自由化後の原子力業界に費用負担を課すことには無理があり、国が責任を持つ等、考え方の変更を求められると考える。
4.
燃料サイクルについて
わが国ではエネルギー資源に乏しいという国情を踏まえ、原子力開発の初期から再処理リサイクル路線を取って来た。また、ウラン濃縮についても独自の技術を持つことにより国際的発言力を確保しようという考え方から開発を進めてきた。
開発当初と現在の情勢で変っているのは経済成長の低落、FBRの開発の遅れ、電力の自由化である。それに沿って国の長期計画も見直されたが、路線の変更はなかった。
(1)再処理について
現時点では六ヶ所再処理工場の建設は殆ど終了し、ホット試験を開始するばかりになっている。十分な準備が整えば、これを早期に操業することにより、再処理を実証し、安全かつ経済的な再処理の実現の可能性を体験しようという段階にある。
再処理のknow-howを修得することにより、乾式再処理法等を含む、次世代の再処理技術の開発に向けての貴重な経験となることが期待される。
再処理工場の運転を開始すれば、トラブルの発生により無用な停止を強いられるリスクは大きいが、それを乗り越えなければ進歩は期待できない。
もしここで再処理を凍結してしまえば、再立ち上げは殆ど不可能になることは先例の示す所である。
@
再処理とプルサーマルの経済性
六ヶ所工場の建設費が高い理由には幾つか挙げられる。研究開発を進めながらのパイロットプラントであり、生産されるプルトニウムが高コストにつくことは、ある程度止むを得ない宿命にある。
第二再処理工場の建設に際しては、再処理方式をも含め、それまでの広範囲な分野における経験を生かし、経済性の改善に努める必要があろう。
再処理コストが発電コストに占める割合が比較的低い点も考慮すれば、短期的な見方で方向変換を論ずるのではなく、燃料サイクル確立の立場から、最終処分までサイクル全体としての評価が重要であると考える。
A
海外の状況
ここで最近の米国の状況を見てみよう。ブッシュ政権のもとユッカマウンテンの処分場が動き出す気配が見えてきた。その中で、DOEの責任者から長期的にはワンスルー方式は問題であるとし、再処理路線を視野に入れた検討を開始したことが発表された。
B
余剰プルトニウム問題
余剰のプルトニウム問題は一番やっかいな問題である。核不拡散問題が益々厳しさを増し、国際的に見るとプルトニウムを持っていること自体がリスクである。余剰プルトニウムを持たないという国際公約もあり、貯蔵の安全保障と透明性が保たれればよいと言うわけには行かない。しかし、プルトニウムを高レベル廃棄物に混ぜると言う考え方はエネルギー資源を無駄にするだけでなく、NPT上は同様なリスクがあり、国際的に認められないであろう。
NPT加盟国で再処理の査察を受けているのは日本だけ(米、英、仏、露は査察を受けていない)である。国際協力で再処理開発を進めることを提案し、余剰プルトニウムを国際的な管理下に置く等の条件を示すなど、国際間の話し合いを進めることが急務であろう。
これと並行して、発電所サイトの信頼の回復に努め、プルサーマルの利用促進を図る努力を続けるべきである。
B再処理のリスク
原子力を取り巻く情勢は不透明さを増している。使用済燃料の取扱いについては複数の選択肢を用意して置くべきで、常に直接処分との比較において考える必要がある。再処理をやめ、中間貯蔵方式を採用すれば、中間貯蔵が認められない場合、原子力発電所の停止を招く恐れがある。また、最終処分方法についての方針が決まらないと、燃料サイクルが完結せず、トイレなきマンションに戻ってしまう事態になることも考慮することが必要である。
電力の自由化のもとで、再処理のリスクと、プルサーマルの高コスト分についての経済的負担等、総てのリスクを電力だけに負わせることには無理がある。使用済燃料は米国で実施しているように、電力がある程度の負担をした上で、それを超える分は国の責任で管理すべき問題であると言えよう。