緊急特集 事故再発防止に向けて ―― 美浜3号機事故を考える

       緊急座談会

     品質保証システムで責任体制の明確化を

日本版『INPO』で情報共有を深化

 

関電・美浜3号機事故は、単純なヒューマンエラーが組織の深層防護をいとも簡単に破ってしまった典型的な組織的事故である。JCO事故、東電不祥事に続いて、またもや発生した組織的事故にいったいどう対応すればいいのか! 電力各社は過去2年間、倫理・コンプライアンスを軸に信頼回復に努めてきたが、今回の事故では、何を反省し、どのような対策が必要なのか、「エネルギー問題に発言する会」のメンバーで話し合ってもらった。

 

《座談会参加者》50音順

天野 牧男 荒井 利治 池亀 亮 石井亨 石井 正則 小川  博巳

神山 弘章 斎藤 修 竹内 哲夫 林  勉  益田  恭尚 松田 泰

松永 一郎 武藤 せい         司会 編集長・山名 康裕

 

――過去10年ほど振り返ってみただけでも、ほぼ2年間隔で原子力に対する信頼を失うような事故、不祥事が相次いで起きている。今回の美浜事故は、稼働中の原子力発電所で、初めて死者が出た事故であり、関係者は重く受け止めないといけない。まず、亡くなられた方々に哀悼の祈りをささげ、議論に入りたい。

天野 今回の事故は、美浜3号(PWR)の2次系配管のオリフィス下流部で著しく減肉した部位が破断し、そこから高温高圧水・蒸気が噴出して、その場にいた作業員11人が死傷したというものだが、目下のところ事故の詳細が報告されていない。このため、現段階で明らかになっている範囲で議論を進めるべきだと思う。ただ、はっきりいえることは、米国における事故事例から当然点検すべき部位であった箇所が点検漏れとなっていたことが起因となっていることだ。

林 東電不祥事に続く今回の事故で、国民は原子力への不安を一層募らせ、立地地域を中心に国の管理のあり方を問う声が高まっている。また、新聞報道などでは、プルサーマル計画やもんじゅの改造工事、再処理工場の立ち上げなどにも影響が出てくるといった記事も散見される。多数の犠牲者を出した事故ゆえに、当然といえないこともないかもしれないが、減肉など経年劣化はどんな構造物でも必ず発生する。このため、従来から計画的に予防保全に努めているが、今回、なぜ配管破断事故が発生したのか。徹底した検証を行い、実効性のある再発防止策を打ち出す必要がある。検証結果は国民に広く公開し、国民から「これで安心だ」と言ってもらえるようにしないといけない。また、他の電力会社、メーカーなども、今回の事故を自らの問題としてとらえ、当該箇所だけでなく、プラント全体の健全性確保がなされているかどうか、この機会に徹底的に見直すべきだろう。

 

■「ニュークリア・セーフティ」と

「インダストリアル・セーフティ」

――今回の事故報道は、「火力発電所と同じタービン建屋で起こった事故であり、したがって放射能漏れはない」、つまり「一般産業の工場で起こった労災と同じだ」といったトーンで行われたために、一般国民は比較的冷静に受け止めたようにも思われるが。

池亀 原子力発電の安全確保にあたっては、核反応にかかわるところでの原子力安全と、労働者の労働安全という2つの面からの安全確保に努める必要があり、労働安全を軽視してよいということはない。

益田 「ニュークリア・セーフティ」と「インダストリアル・セーフティ」の2つの安全確保に気を配らないといけないということだが、原子力発電所では、火災、火傷、感電、落下事故などといった労働災害の防止に、一般産業以上に注意を払ってきている。

竹内 火力発電の現場を長年見てきた者からすると、原子力の関係者は核反応にかかわるところでの安全確保にウエイトをおき、放射線を絶対に漏らさないでおこうという意識に偏り過ぎて、2次系に対する安全管理が手薄になっているのではないだろうか。

石井(亨) 今回の事故を結果から見ると,そう言われても致し方ないが、実際には安定運転の観点から、発電を左右する二次系、電気系の信頼性の維持には十分注意が払われている。原子力発電所の安全とは、さきほどから出ているようにニュークリア・セーフティとインダストリアル・セーフティがあるわけだが,この違いをわきまえてもらわないと、「もんじゅ」事故のように、いつの間にかニュークリア・アクシデントという誤認識が世間一般に定着してしまう。だからと言って、今回の事故を軽々しく扱ってはいけない。これはこれとして作業上の安全確保について大きな課題が与えられたと思わないといけない。

林 運転中のプラントへの作業者の立ち入りについては、これまで以上に危険防止対策を織り込んだ管理システムの導入が必要だ。

池亀 BWRの場合、運転中は、タービンプラントも放射能の問題があって、立ち入りが厳しく制限されている。PWRでは放射能の問題はないが、運転中は労働安全の見地から危険防止対策が必要だろう。美浜の場合の措置は適切だったのだろうか。

石井(正)原子力発電所は高い安全性が必要とされる、という一般の認識に応えるためには、通常の労働災害に対しても高い指標が望まれる。特に重大災害をゼロにするためには、口径の大きな高温高圧配管など、一定の規模を超えた高いエネルギーを持った配管・機器については、適切な設備点検や危険区域への立ち入り制限などの対応が必要だろう。

天野 ここで、今回の事故で一つ証明されたことを強調しておきたい。あれだけのショックがあっても、原子炉系には全く問題がなかったということである。いきなり蒸気発生器への給水が止まるのだから、厳しい外乱が与えられたことになるが、補助給水ポンプなどがすぐ起動して、蒸気発生器で原子炉からの発生熱量が吸収され、バックアップシステムが完全に機能した。スリーマイルアイランド原発ではこの水が行かなかった。極めて当然なことだけど、何の問題もなく原子炉は停止し、原子炉系の安全は完全に確保されたことを忘れてないでほしい。これは原子力プラントの設計において、何か問題が起きてもそれを拡大させないというシステムが実にうまく設計されている証左といえる。

 

■2つのセイフティの確保へ

マネジメントシステムの統合化を

――ニュークリアセイフティに関連する設備や主要な二次系設備は、国の定期検査もあり、自主保安として定期事業者検査も義務付けられている。品質保証マネジメントシステムに対しても国の審査がある。労働安全面についても本来は、経営トップが先頭に立って、労働安全衛生のマネジメントシステムを推進すべきだろう。理想は、品質保証のマネジメントシステムだけでなく、労働安全衛生マネジメントシステム、それにリスクマネジメントシステムやコンプライアンス・マネジメントシステムを一つに統合したような原子力独自のマネジメントシステムを構築すべきだと思う。それぞれのシステムの要求事項は共通しているものが多いため、統合化はそれほど難しいことではない。むしろ統合化した方が一括して監査が行え、原子力発電所における安全確保がより確かなものになるのではないかと…。

松永 米国の原子力発電所の保守管理は、いくつかの発電会社から社員を提供しあうアライアンスが主流と聞いている。それに対して、日本は下請けの重層構造システムで、アウトソーシングである。この点が目の行き届かなくなっている最大の原因ではないか。こうした重層構造全体にわたって、そのようなマネジメントシステムを浸透することができれば鬼に金棒といえる。

神山 経済性と安全性という二律背反の問題にどう対応するか、という問題がある。東電の原子炉格納容器全体漏えい率試験での不正行為も、スケジュール通りに試験を終了させ、運転を再開させることが重大な関心事とされたことから発生したものであり、今回の事故も共通性があるのではないか。こうした条件に対しても、そのようなマネジメントシステムが有効に働くのではないだろうか。

 

■まだまだ説明が足りない

信頼確保へわかりやすい情報公開を

――今回の事故を他の電力会社、メーカーなども、自らの問題としてとらえるべきだといった指摘があったが。

松田 立地地域の人たちや国民が今回の事故をどのように受け止めているか、ということを考えると、電力各社はもっと説明責任を発揮すべきではないだろうか。電力9社のホームページを見てみると、各社とも保安院の指示で行った「配管減肉事象に係る点検に関する調査報告書」を掲載しているが、その内容は、報告書をそのまま掲載し、「必要な箇所は全部肉厚管理をしていました」ということだけを述べているのがほとんどである。しかし、報告内容の表では、「肉厚管理未実施部位はゼロ」であっても、実施部位のなかには少なからぬ点検未実施部位が示されている。少なくとも、こうした数多くの箇所を長期間かけて実施する保守管理については、その考え方や合理性について十分説明しないと、一般の人に納得してもらえないのではないか。むしろ、こういう機会に「われわれは日常こういう要領によって、このような検査、メンテナンスをやっているんだ」ということを、保安院への報告とは別に、積極的にわかりやすく説明し、理解してもらうように努めるべきではないだろうか。

 

――それが本当の原子力コミュニケーションだと思う。人々の関心が高まっているときに、関心の高いテーマについて積極的に情報提供してこそ、人々の理解が進み、学習が進むのではないか。今回の場合、失態だけがクローズアップされると、他の重要な部位でも同様な見落としがあるのではないか、という連想が働くのは当然なので、そのへんをきちんと説明しないといけない。

林 原子力界は、自主検査、予防保全に積極的に取り組んできているのだから、実際はこのように取り組んできた、ということをもっと認識してもらう必要がある。そのうえで、それでもこういう事態がこうした理由で起こったのだというように説明して理解してもらうべきだ。

石井(亨) PWRでは、従来から二次系、電気系設備についても積極的に予防保全に取り組んでいる。今回、検査漏れのために、不幸にして事故を引き起こしてしまったが、配管減肉の予防保全については、サリー発電所の事故発生の数年前から体系的な減肉調査が行われてきた。この蓄積されたデータがあったからこそ、サリー事故の発生後、時をおかずしてPWR電力共通の「二次系配管減肉の管理指針」ができ上がった。こういった取り組みも知ってもらいたいものだ。

天野 情報公開という点でいうと、原子力発電所の関係者は、もっと原子力発電というシステムに自信を持ち、隠すのではなく、堂々と情報を出していくべきだ。身びいきではなく、原子力というものは、人類が開発した多くのもののなかでも最高の技術の一つである。1942年にフェルミが初めて連鎖反応を実証してからまだそんなに日がたっていないのに、これだけの技術に育て上げたのである。多少のことはあっても、基本的にやましいものではないのだから、透明性を発揮し、わかりやすく説明することだ。

  

■品質保証システムの定着を

 責任体制や権限を明確に、専門家の育成も

――事故が起きると、決まったように国に規制強化を迫る声が強まる。昨年10月から事業者の自己責任を全面に打ち出した新しい検査制度がスタートしたばかりだが…。

石井(正) 原子力の安全確保のために、必要な個所は、ISI(イン・サービス・インスペクション)を実施することになっており、現在の規制は合理的にできていると思う。この規制では、2次系配管は事業者の自主的な設備保全活動に委ねられているが、自主的な品質保証マネジメントシステムによって、設備の保全だけでなく、労働安全の観点からも、高温高圧のところは、予防保全に重点的に取り組むべきだし、またこれまでからも取り組んできた。ただ残念ながら今回これが不徹底だったということだ。

武藤 何年前だったか、日本で最初のMOX燃料集合体を米国で照射試験する際に、米国から品質保証体制をチェックされたことがある。そのときの経験からいうと、品質保証マネジメントシステムを導入している限り、下請けに任せきりにするということはあり得ないということだ。そういう点からすると、わが国では品質保証体制が十分に定着していないのではないか、その一面が今回出たのではないかと思う。

天野 品質保証システムは、間違いをなくすシステムとしても非常に重要だ。原子力発電所は膨大な設備であり、特に配管の部品点数などは大変なものだ。技術も重要だが、どちらかというと数との勝負と言ってもよい。人間の注意力だけでカバーできるものではないだけに、この制度をしっかり守っていく必要がある。几帳面にドキュメントを積み上げていくという作業は、日本人に合わないところがあるようだが、アメリカはきわめてまじめに取り組んでいる。ドキュメントがどれだけ多くなろうが、ちゃんとやらないといけない。大量で込み入ったものを処理するのが管理というものだ。

林 まず電力会社が自らの管理体制を強化して再発防止に力を入れる必要がある。新たに規制をかけなくても、品質保証マネジメントシステムのパフォーマンスが上がるように、監査の観点を研究すべきだろう。必要以上の検査を要求すれば、事業者は膨大な対応を余儀なくされ、かえって安全確認作業に悪影響が出る危険性をはらんでいるといってもいい。合理的で有効な検査のありかたについて、電力会社、監督官庁、それに立地地域の人たちも加わって、より多くの国民に受容されるものにしていく必要があるのではないか。

武藤 わが国は、終戦後、「品質管理」を導入し、それをいち早く根付かせて世界に冠たる生産の品質管理体制を作った。しかし、米国の原子力施設の導入時にもたらされた「品質保証」は、すでにわが国には綿密な官庁検査があるということで、不必要なもの、余分なものという観念が強く存在していたし、いまだにそれが強く残っていると思う。今回、事故が起きた二次系は、品質保証体制上の重要度も低く、官庁検査もほとんどないからこそ、社内でがっちり守るという、本当の意味での品質保証体制が確立されていなければならない。品質保証の重要な要素は、責任体制や権限の明確化であり、これによって、今回問題になった下請け管理を徹底させる重要なツールになる。わが国の基本的な問題として、責任体制の不明確さが伝統的にある。これを無くすためにも、このシステムを定着させる必要がある。米国には多数の品質保証の専門家がいてシステムが維持されている。それを参考にして、わが国でも専門家の育成や社内配置を考える必要があるのではないか。

長くなるが、最後にこれだけは言っておきたい。品質保証のガイドラインは、ほとんど国際版の直訳と言った感じがする。日本の労働者にとっては当たり前のことがもっともらしく書かれている。もっと日本の労働環境に合った表現にできないものかと思う。こうしたことも日本には形だけの品質保証があって、いまだに本当の品質保証が定着していない大きな理由だと思う。

池亀 WANO(世界原子力運転者協会)をやった経験からいうと、世界的に、品質保証マネジメントでは、「あなたはここまで責任をもつんだよ」というように個人の責任範囲を明確にすることが基本である。しかし、日本はそこが不十分である。年功序列の絡みもあって、実力本位でポジションを決められないということもあり、年功のボスと実力のある若手とをチームにして仕事をさせるケースがあるが、チームで取り組むと、どうしても個人の責任にあいまいさが残る。今後は実力主義を貫いた任命と、個々の責任の明確化が必要だ。

石井(正)たとえ量が多くても必要な個所はすべて点検して記録に残すこと。点検個所と点検時期の設定、記録すべき内容は、きちんとしたエンジニアリングと工夫が必要だ。

益田 自由化の流れもあって、電力会社はプラントメーカー以外の会社に機器保全を直接注文するケースが増えてきている。だが、ここで大事なことは、注文に当って注文内容を文書で明記し、どこまで責任を持たせるかを明確にすることだろう。

天野 さっきも話したが、品質保証システムを確立し、それをきっちりと守っていくしかない。これはシステムの大きさと、人間の能力を考えての上の結論だ。アメリカは作業員の質が悪いから、こういったシステムが必要なのだという話があるが、そんなことはない。また、自分たちがこの点をきっちりやらないで、国の検査体制にあれこれ言うわけにはいかないのではないか。

 

■自分が問題解決するという心意気

「ラストマン意識」の醸成を

――国の安全管理審査では、今回のような検査箇所の見落としなどは チェックできないという声が聞かれる。しかし、品質保証マネジメントシステムがしっかり構築され、つまり、要求事項に受け入れ検査の方法などがしっかり書き込まれていたら、今回のような見落としは防げるのではないか。各社のマネジメントシステムの構築の仕方にかかっていると思われるが。

荒井 さきほど竹内さんが火力発電の例を挙げられたが、原子力のような重要な施設を担当する者には、「ラストマン意識」が必要だ。「自分のところでこの問題は解決してやる」といった気持ちがないとね。いま、急がれるのは、そうした意識を醸成する教育訓練だと思う。それに、原子力発電所の2次系のメンテナンス業務にも意欲を持って取り組ませるための工夫、インセンティブが必要ではないか。良くできてあたりまえ、何かあれば大々的に非難されるようでは担当者もたまらない。

益田 規制を強化するよりも、ラストマンを育成し、自己責任体制を強化するほうがずっと効果的だ。

小川 たぶん「ラストマン意識」と同じ理念だと思うが、私は「自分が最後の砦」でなければならないと信じて原子力の事業をやってきたし、後輩にも口をすっぱくして訴え続けてきた。エンジニアであれ、マネージャーであれ、経営トップであれ、人間として事に当たる原点ではないか。このような意識に裏打ちされた日常業務の積み重ねが、本当の「安全文化」だと思う。

――まさにそのとおりだと思う。むしろセーフティ・カルチャーというよりも「ラストマン意識」の方がわかりやすい。むかし「ZD運動」なるものがあったが、この際、「ラストマン活動」を展開してもよいのでは。

池亀 私自身も同世代の人間として、チームのなかで「ラストマン意識」をもって仕事をしてきた。しかし、品質管理システム構築の基本は、それぞれの担当者の仕事の範囲と責任をしっかり決め、その範囲で「ラストマン」であることを明確にすることから始まる。「ラストマン」であるかどうか分からない人に「ラストマン意識」を求めるやり方は精神的には麗しいが継続性に欠け、人の移動で抜けができる。

松田 ラストマンというのは、いわば自分の所掌範囲を超えてでも全体の目的のために積極的に立ち向かう意気のようなものに見える。こうした姿勢はかって日本の生産現場の特色として世界から注目されていたと思う。その一方、たとえばかつて東南アジア等の開発途上国へBOTなどの運転管理も含めたプラント輸出が盛んだったころ、「諸外国と比較して運転管理について経験ある有力な人材を派遣するのが難しい」と商社やプラントメーカーから聞かされたことがあった。産業界全体でみると、個人で責任をとるという厳しい環境で育っていないところもある。個人の意識や姿勢と同時に背景にある企業や社会の特徴についても考える必要があるだろう。

 

 

■新たな総合補完体制の構築が必要だ

 電力会社とメーカーの関係

――品質保証マネジメントシステムを実施するうえで経営トップに求められていることは非常に多いが、経営者がその役割をどれだけ理解しているかが問われそうだ。

神山 まさにガバナンスが問われていると思う。原子力の安全対策は、人間にはミスがあるとの前提に基づいている。見落としがあったとしても28年間も気付かなかったことが問題である。

竹内 管理責任はあくまで事業者にある。電力事業者に管理能力がないといけない。まさにラストマンというか、この管理の責任は、自分たちのほかにはいないんだ、という意識が必要だ。

――あくまで電力会社に管理責任があるわけだが、だからといって、これまでメーカー任せにしてきたものを一気にすべてを電力がやろうとしても無理があるのでは…。メーカーは設計から一貫して取り組んでおり、いろんなデータをはじめ、簡単に外には出せないもろもろのものを蓄積している。電力とメーカーの関係のあり方が問われているのではないか。

石井(亨) これまでメーカーが担当してきた仕事を電力の関連会社などにシフトする、いわゆるメーカー・シフトの問題だが、これを進めると業務の効率化とか、電力自身の技術力向上面では確かにメリットはあるだろうが、そのためには、電力に確かな評価能力や管理技術のあることが前提になる。一方、メーカーとすればプラントの生データが得られなくなり、実戦の場も少なくなるため、プラントを俯瞰できる技術力とか危険予知能力の弱体化、さらには先ほどいわれた「ラストマン意識」というか、プラントへの愛着心が薄れていくことになる。

石井(正) 原子力発電所の配管の総延長は数百キロメートルもの長さになる。その間にバルブやエルボ、拡大縮小(レデューサー)、温度の異なる流体を含む分岐合流(ティーズ)、オリフィスなど、多様な構造機能要素が組み込まれている。さまざまなトラブル要因を反映した保守と検査の作業量はかなりの量であり、技術面もさることながら、これを徹底するためには管理が重要だ。管理システムでは、単にダブルチェックではなく、しっかりしたツールとそれを実施するエンジニアの能力が必要となる。

竹内 なんと言っても管理技術が重要だ。火力と原子力を比較すると、 原子力は「常に新品同様だ」という無理な神話を守らざるを得ない時代があったが、火力発電では、たとえばボイラーでは新缶のときでも火を入れれば反ったり痛んだりする、日常が、補修・保全との戦いであり、起動停止も激しく、しばらくは長期に止め待機といったように、年中の運用状況が変わり、痛みかたもそのつど変わる。加えて修繕費はあまりないので、メーカーに高い費用を払って診断を頼むのを極力避け、自己診断する。こうすることで、電力会社の補修マンが機械を愛するようになり、保全技術を高める結果になっている。メーカーも知らない保全ノウハウを自社で持っている。メーカーの言いなりになると、余計な保全取り替えになるといった意識を持っている。これが自主保安というものだ。今回の事故で、すでに自主保安が確立している領域に、再び規制強化の手が加わってくることは、全くの時代錯誤になる。

池亀 原子力発電所を管理し、最後まで面倒を見るのは電力会社であることはいうまでもない。原子力発電の開発当初に、メーカーに大きく依存したのは止むを得なかった。当然、経験を積むなかで電力会社独自の管理体制を確立していく必要があるし、努力もしたつもりだが、そのための保修要員の増強はなかなか認められなかった。この間に、子会社の活用という経営上の要請があり、幾多の曲折を経て現在の管理体制の重層構造が生まれた。当時の管理者として責任を感じている。

 現在、現場は次々に発生する事態の収拾に追われ、多忙を極めているが、発電所の管理体制改善のために、経営トップのリーダーシップを期待している。

荒井 電力会社は発電所の運転知識は持っている。しかし、プラントの潜在的リスクを評価する技術をはじめとして、メーカーとの連携があってもいいのではないか。メーカーとしては、電力からの情報がたとえ入らなくても、安全確保に向けて電力会社をサポートしていこうという気持ちが強い。だから電力会社から頼まれなくても、メンテナンスの方法などを提案してきている。

 とはいえ、そうしたマインドを持ち、実際に提案できるぐらいの幅広い知識をもった原子力人材は、次第に絶えてきている。原子力発電所を最も多く運転開始した昭和50年ごろに活躍した世代から、次の世代への技術伝承があまり行われていない。その当時のメーカーは、専任のベテラン技術者を現場に送りこんでいたが、次第にリタイアし、伝承・継承システムが死に絶えつつある。

 こうした環境下において、次の世代にどのように技術を伝承していけばいいのか。みんなで坂の上の雲を目指してやってきたのだが、金の切れ目が縁の切れ目になれば、まさに原子力の危機である。

松田 電力とメーカーとの関係は、海外ではどのようになっているのか

林 米国を例にとると、メーカーもワン・オブ・ベンダーに過ぎない。電力は安価なところから買うという姿勢だ。しかし、日本と違うのは、電力会社が十分なマネジメント能力を持っているということだ。能力をもっていないところは、能力をもった会社を別に抱えている。

竹内 40年も使った変圧器がパンクしたといってメーカーの首脳が謝ったような、電力とメーカーの麗しき関係を懐かしがる長老もいる。これは狭い日本で大きな電力とメーカーがひしめきあっていて、謝ることが次の受注につながる、つまり逸注を避けるという想いからだが、いまは双方にこんな甘えは通用しない。設備投資も鈍化して、自由化競争も激化すれば、双方ともにドライになって当たり前だ。だからユーザーも自分で診断し、機械を長期にわたって大事に使う、ここに自主保安の原点がある。

池亀 われわれの時代は電力の技術者もメーカーの技術者も、共通の目的、原子力技術の確立のために骨身を削っていた同志意識が強かった。それは見方によっては麗しい関係かも知れないが、現場のメーカー頼りを助長することになった。今日必要なことは、電力の管理システムの自立化である。そのためには、むしろ電力とメーカーの関係は、ビジネスライクになった方がよい。

天野 確かにいつまでも、このプラントはこのメーカーと決まっているのも、だんだん許されなくなると思うが、アメリカなど欧米系の企業のようにすべて割り切って、入札にするというのにも問題がある。特に新規のもので、技術開発を伴うようなものでは、常にトラブルがあって結局大幅なコストアップになり、入札価格が変更される。アメリカのクリンチリバーの高速炉、結局駄目になったが、入札が機能しない典型的な例であった。

小川 プラントの設計・建設に長年にわたり心血を注ぎ、保守を任されたエンジニア、あるいはマネージャーにとって、プラントはわが子と同じ愛着がいつの間にか育まれて、いわば「マイ・プラント」になる。プラントは、個人的な所有物ではないが、寝食を忘れて打ち込んだ者には、馬鹿げていると指摘されるかもしれないが、限りない「コダワリ」を否定できなくなる。それぞれの立場で、多様な「コダワリ」があってしかるべきだと思う。電力会社は維持管理会社としての責任を果たすために、どれほどの「コダワリ」を持ったか? メーカーはプラントの製品責任に対して、どれほどの「コダワリ」を持ったか? 検査会社は…? その多様な「コダワリ」を生かすのが、真の経営ではないだろうか。 

林 自由化の時代には、昔のようなメーカーに頼りきりということはあり得ないと思う。しかし、メーカーの技術力も活用したほうがお互いにメリットがあるので、メーカーも何らかの形でメンテナンス業務にかかわる体制を今後検討するべきではないか。メンテナンス計画立案業務などに電力のサポートとして入るなど検討してはどうだろうか

益田 組織的事故が多くなりつつある現状をみると、電力とメーカーの過去の麗しき関係は続けるべきではないかと思う。ちょっとぐらいのトラブルであれば社会が受容してくれるといった状況になればいいが、そうでない限り、建設した責任を感じ、技術を蓄積してきたメーカーとの関係が重要だ。メーカーに技術の蓄積がなくなるようになれば新設プラントも良いものができなくなる心配がある。 

小川 さきほど電力会社の維持管理の責任に触れたが、設備の維持管理は、電力会社の社員だけでは、その遂行責任を果たせないだろう。プラントに係わるメーカーの製品責任も、メーカーだけでは達成できないに違いない。現代のビジネスは、すでに重層構造を当たり前のこととして成り立っており、企業固有のアビリティーだけでは「企業の遂行責任」を果たせなくなっていることを認識すべきではないか。言葉を代えれば、ビジネス構造に応じた「相互に補完しあう体制」の構築が求められている。肝心なことは「役割分担の境界」、すなわち「自らの責任範囲を詳らかにし、相手に何を求めるか」を明確にすることが大きな課題ではなかろうか。

 

■ヒューマンエラーの対策研究を

 材料の疲労・破壊の研究も重要だ

――今回の美浜事故の起因は、立体配管図から検査リスト表を作成する際に当該部位を見落とした、という作業者のヒューマンエラーによることは間違いない。この単純なヒューマンエラーが組織の深層防護をスルーして、大きな事故に発展してしまった。この組織的事故の原因に迫らないといけないのだが、国民からすると、ちょっとしたヒューマンエラーが大事故につながるものだから、不安感をより増大させてしまう。まずは、ヒューマンエラーをいかに撲滅するか、撲滅する研究と具体的にどのような撲滅のための努力がなされているか、そういうことをわかりやすく発信する必要があるのでは。

斉藤 今回の事故の元となったのは、管理指針に記載されている当該部位の点検が行われていなかったことにある。その過程にあって、単純なヒューマンエラーとそれを見逃していたマネジメントの問題がある。ヒューマンエラーの点から考えると、非常に多数の部位の点検を必要とする状況から、人の目によるチェックは誤りを含みやすいもので限界がある。最近の配管図にはすべての部品が記載されているので、コンピューターによるチェックなど、ヒューマンエラーの入りにくい方策の検討が必要だろう。

――構造物材料の疲労・破壊の研究がこれまで軽視されてきたような気がしてならない。東電不祥事の後、亀裂の維持基準がつくられたが、その後、保安院では超音波探傷の精度を上げるのに躍起となり、検査技術者の新しい認定制度の創設に至った。今回は減肉が大きな問題となっている。サリー事故の後、各社で管理指針が設けられたが、本来は、クラックだけでなく、損傷の種類全体にわたって、民間基準をつくるべきではなかっただろうか。どうも対症療法的過ぎるのでは。

益田 原子力分野では疲労や破壊の研究には相当力を入れてきた。もちろん、すべての現象が分かったわけではなく、今後も注力を続ける必要がある。それよりむしろ、これらの研究結果や実プラントの運転実績を基準化する動きが鈍かったことは事実であろう。減肉は設計肉厚を割らなければよいということで管理基準も、検査技術も比較的単純なので、亀裂に比べて基準化が軽視されたきらいはある。何らかの民間基準作りを急ぐべきであろう。

松永 今後、各所にある原子力発電所が高経年化時代を迎え、また新規発電所の建設があまり進展せず、高速炉の実用化が不透明では、既存の発電所を大事に使っていくという必要性がますます高くなる。また予防保全もあまり安全を見すぎると保全費用が高くなり、ぎりぎりまで使えばリスクが増大する。各社の設備の仕様や使用条件が異なるので、例えば、応力腐食割れ(SCC)のような一般的な共通事項についてしか研究できないのではないか。

 

■経営哲学、ガバナンスの伝承が不可欠

 BWR運転会社、PWR運転会社をつくったら

 ――今回の関電の美浜事故と、さきの東電不祥事と共通した点はないか、業界全体の問題として考えるべきことは。

松永 安全確保、品質保証維持向上には企業トップの哲学が一番重要だ。それが全社員に伝わり、上から下までの一貫したシステム、体制ができあがるのである。今回の事故が問題にされているが、関電ではさきに火力部門で定期検査データの改ざん間題もあった。会社として安全に取り組む姿勢がどうであったのか、厳しく問われても仕方がない。

神山 技術の伝承だけでなく、経営者の経営伝承が不十分ではなかったか。特に原子力発電を抱える企業としては、経営哲学、ガバナンスの伝承が不可欠である。原子力発電創設の初期は、文科系の経営者も熱心に原子力を理解しようと努力したが、無事故が続くと、「両刃の剣」であることを忘れ、「絶対安全」という言葉に惑わされて原子力に対する理解が乏しくなってきたと思われる節がある。今まで築き上げた安全余裕度を、コストダウンのために切り売りすることがあってはならない。社員が自らの仕事に誇りを持ち、希望の職場となるような雰囲気づくりをすることが事故防止になるのではないか。規制がすべてではない。

 国民から見れば、原子炉の運転と保修は戦闘機のパイロットと整備のようなものと認識しているだろう。電力会社は、運転については十分な教育と訓練をしているが、保修が多段階の外部委託ではバランスを欠いているように思われる。新幹線や民間航空機の整備、保修の組織を考慮して、少なくとも、原子炉周りについては電力会社と信頼出来るメーカーとの共同出資による専門の会社が担当すべきではないか。運転と保修には責任に応じた大幅な処遇の改善も必要だろう。次の段階のコストダウンとして、BWR運転会社、PWR運転会社という考えは如何なものだろうか。

小川 市民大学講座での市民の生の声に、「原子力関係者はなぜかオソルオソルの態度だ」との指摘があった。マスコミに登場する原子力関係者は、頭を下げる電力会社の責任者がほとんどだから、至極当たり前だが、市民は「もっと毅然とした姿勢」に強い期待を寄せている。原子力発電の多くのメリットを理解してくれている市民は、今回の事故に歯ぎしりをしていることを忘れてはならない。電力会社に限らずメーカーもしかり、OBも含め、平常時に市民に訴える努力が余りにおろそかではないだろうか。少なくとも、人生を賭けた原子力発電に対して、原子力関係者はもっとアクティブであるべきだ。個人の資格で、自分の主張を堂々とするべきだ。これが無いから、エセ技術者・エセ環境専門家・エセ市民運動家が跋扈(ばっこ)する。

斉藤 今回の事故に鑑み電力会社は電事連のもとに、今後何をすべきか早急に反省会を開いてもらいたいものだ。

 

■日本版INPOの設立を

 メーカーも参加して情報共有

――東電不祥事に続く今回の美浜事故で国民の原子力に対する信頼が喪失しかけている。信頼を取り戻すには、電力各社やメーカーなどが真剣に安全確保に取り組んでいる様子を見せる必要があると思う。そのためにも透明性のある安全確保への仕組みが必要ではないか。現在、原子力産業会議と電気事業連合会が、米国原子力発電運転協会(INPO)の日本版「日本原子力技術協会」の設立を準備しているが、これを早期に立ち上げ、その取り組みを国民から見えるようにする必要がある。電力各社が事故、トラブル、それにトラブルには至らなかった重要なインシデント情報を積極的に持ち寄り、それらを分析して、アクシデントに至らないように対策を講じ、それを各社が共有するという取り組みが非常に重要だ。同協会をどのように立ち上げ、機能させるべきだろうか。

神山 INPOの ような取り組みが必要なことは、ずいぶん以前からわかっていて、電気事業連合会が電力中央研究所に原子力情報センター(NIC)を開設したのだが、いつのまにか都合のいいデー タしか出されないようになってしまった。なぜ、そうなったか、原因を把握したうえで実施しないと成功しないだろう。それに電力会社だけの情報だけではだめ。設計データをはじめ、多くの情報を持っているメーカーが参加しないと…。

荒井 米国のINPOは メーカーも参加し、ユーティリティも含めて取り組んでいる。これを日本で行おうとすると、電力各社が裸になっていないという問題もあるし、メーカーの担当者レベルでは、企業秘密が流出する可能性があるということで抵抗がある。逆に「こんな情報を提供することが恥ずかしい」といったものもあり、メーカーにもまだまだ垣根がある。この際、原子力界全体のために情報をオープンにしようという気持ちになってもらいたいものだ。関係業界としてなすべきことは、日本版INPOを早急に設立し,事故、トラブル情報を共有することだ。

天野 アメリカのINPOは電力会社で構成され、メーカーが参加できる部会があると聞いている。しかし日本のJINPO「ジンポ」では最初からメーカーの技術者も入れた構成にできないだろうか。大事なのは優れた原子力発電所を持つことで、いまさらノウハウでもないのではないか。いま国民から信頼を得るには、情報の公開しかない。公開されたなかで、問題点を明らかにしていくべきだ。

池亀 NICは電気事業連合会が電中研のなかにつくるときから問題があった。各社がどこまでトラブル情報をNICに提供するかということが問題で、結局、各社の合意した比較的大きなトラブルに限定せざるを得なかった。各社トップの合意によってJ−INPOを作ったとしても、各社の情報が直ちに同じレベルで出てくるという保証はない。実際的にはトラブルが身にしみた会社からボランタリリーに始め、次第に各社が追随する形が自然だろう。

神山 情報を積極的に提供したほうが最終的に「得」となるようにしなければならない。

林 提供すべき情報の基準を設けて、インセンティブ、ペナルティを用意する必要があるのではないか。 

松永 何事もそうだが、事故やトラブルを起こした企業は骨身にしみてその痛さを感じるので、その後の対応はまず大丈夫といえる。しかし、その痛みを共有し、同じような事故を防ぐのがいわゆる水平展開である。これは安全活動で行われている「事故事例研究」「ヒヤリハット活動」とおなじで、実際に心をこめてこれを実施するのは生易しいものではない。事故を起こし、怪我をした当人が、さらにその原因から対策についての一種のモルモットとして、さらに痛めつけられるのを覚悟しなければならない。今回の事故も先発の「サリー原子力発電所事故」の水平展開が不完全だった結果として起こったものと言える。信頼回復には「水平展開」に向けて、全事業者が本気になって体制作りに協力していかねばならない。

――お疲れさまでした。