将来のエネルギー源「原子力」への期待
「エネルギー問題に発言する会」会員 若杉和彦
(元原子力安全委員会技術参与、元GNF、元東芝)
まえがき
原子力については賛否両論がある。最近では、「地球温暖化を防ぐため二酸化炭素(CO2)の排出量を減らさなければならない。そのためには石炭や石油の火力発電ではダメで、どうしても原子力発電が必要になる」との論調が徐々に世界の主流になりつつある。しかし他方で、「原子力は絶対ダメ」と反対する人もいる。また、「原子力は本当に大丈夫なの?」と心配される方も多いと思われるので、筆者の体験を基に原子力の現実と将来について語りたい。
筆者はこの3月末原子力安全委員会の技術参与を退任したが、もともと大学卒業後東芝に入社したところ、総合研究所原子力研究部に配属となり、以来GNF(グローバルニュクリア・フユエル、元JNF)、GEの民間会社で原子力の研究・開発・燃料製造に携わってきた。そこでウランを取扱い、原子力発電所の現場も含めて46年間原子力の仕事を体験してきたので、普通の人より原子力の事実に則した話が出来るのではないかと思う。
1.原子力は本当に危険なのか?
原子力は危ないものだと我が国では多くの人が思っている。先の戦争で原爆による被害を受けた唯一の国であること、戦後の苦しさの原体験を持つ人が多いこと等から、このことはもっともと考えられる。しかし、過去の負の財産をいつまでも引きずることは、新しい世界を見る目を曇らせる。科学の発達した現代で生活するには、原子力を含めた現実の世界を理性的に理解することが必要であり、特に指導的立場にある中高年が正しい認識を持つことが若い世代とその将来に対して正しい道しるべとなる。
結論から言えば、原子力は自動車、飛行機等の乗り物による事故、がんや心筋梗塞等の病気で死亡する割合、転落や傷害等によって死亡する割合等のリスクと比較してはるかに安全である。具体的な数字で示そう。確率や数字はよく分からないと嫌う人もいるが、ここは大切なところであり、理解するよう努めてほしい。これ以外に安全や安心を科学的に測り、正確に比較する方法はないのだから。
厚生労働省がまとめている「人口動態統計」では、2001年の1年間に交通事故で死亡した人を全人口に対する割合として、個人年間死亡率を9.6x10-5と報告している。これは交通事故で死亡する人が2001年の1年間に全国平均で1万人当たり約1人いた(全国では合計約1万2千人いた)ことを意味する。同様にがんによる個人年間死亡率は同年の1年間に2.4x10-3(千人当たり2〜3人)、転倒・転落による死亡率は5.1x10-5(10万人当たり約5人)、自殺は2.3x10-4(1万人当たり2〜3人)等々と報告している。これらに比べて原子力の平和利用によって死亡した人は、今まで我が国では1999年のJCO臨界事故による2人のみである。よく話題にされる旧ソ連のチェルノブイリ事故でも、国連の報告書*によれば事故後3か月以内に死亡した人が28人、事故後18年までに死亡した人19人を加えて合計47人としている。
*国連報告書「チェルノブイリの遺産―健康・環境・社会・経済」、2005年9月。一部ジャーナリストによるショッキングな報道には誤りが多く、注意して読む必要がある。
このように原子力の平和利用による人命の喪失は、他の文明の利器である自動車や飛行機等によるものと比較して極めて小さい。自動車は危険だと知りつつ、便利だから人は利用している。原子力による電気も便利ではあるが、その恩恵をあまり認識しないで人は利用している。電気は石炭や石油等による火力発電や水力によっても作られるが、例えば石炭を掘る中国の炭鉱で最近も数十人の生き埋め死亡事故が報告されているが、これらはあまり人の耳目をそばだてない。現代の生活にはいたるところにリスクが存在するが、何が便利で、何が危険かをバランスよく公平に、出来れば定量的に比較することが大切である。
2.太陽光、風力等による発電は将来の主要なエネルギー源になり得るか?
太陽光や風力を利用した発電はすばらしいアイデアであり、地球に優しいと考えられている。しかし、それらの発電量を増加させ、世界で使用するエネルギーの何割かまでを賄うことになれば、地球に優しいどころではなくなることを想像したことがあるだろうか。その場合には現在の地球の生態系に決定的なダメージを与えると考えられる。
下表を見てほしい。これは(財)日本原子力文化振興財団が発行している「原子力エネルギー」図面集(2004-2005)から引用した表であり、太陽光や風力を利用した発電所を作った場合の発電コストと必要な敷地面積を100万KW級原子力発電所の敷地面積と比較して示している。例えば100万KWを太陽光で発電する場合には、ほぼJR山手線の内側に相当する面積が必要となり、この面積の広大な土地に太陽光発電パネルを張り巡らすことになる。発電パネルの下は当然暗闇となり、草や木は育たなくなり、人間を含めて普通の動物は住めなくなる。最近地震で問題になった東電柏崎刈羽原子力発電所には100万KWを超える原子炉が7基あり、福島原子力発電所には同じく11基の原子炉がある。これらすべてを仮に太陽光発電所に変えたとすれば、山手線内側の面積の18倍の土地が必要となり、発電パネルの下はすべて暗闇となる。技術開発によって発電効率等は多少向上するだろうが、2倍や3倍になることはないだろう。いずれにしても、今の技術では太陽光発電が世界の主要なエネルギー源になるとする夢は現実離れしており、もう止めてほしい。
風力についても同様のことが言える。100万KWを風力で発電する場合には、山手線内側の面積の約3.5倍の敷地が必要になる。もし樹木を広範囲に伐採して風車を建てれば、樹木によって守られた生態系が変化する他、樹木によるCO2吸収効果がなくなる。あるいは海岸線の広範囲に風車を建てれば、自然の海岸線によって守られた漁業や生態系に多大な影響を与えるだろう。いずれにしても、風力を主要な電源とするために広大な土地に風車を林立させるような発想は現実的ではない。
このように太陽光や風力による発電はアイデアとしては優れており、部分的あるいは小規模には利用価値があるだろう。しかし、一見地球に優しいと思われているが、量的に世界のエネルギーを賄えるものではない。さらにコスト的にも、原子力発電の5〜7円/kwhと比較して、太陽光はその約10倍、風力はその約2倍のコストがかかる。いつまでも現実離れした夢を追い続けて、原子力を毛嫌いし、大きな判断を誤らないでほしい。遠い将来のことではなく、今の地球温暖化問題を解決し、世界のエネルギーを賄う方策を提案することが必要なのだから。
3.「原子力ルネッサンス」とGNEP計画について
スリーマイル島やチェルノブイリでの事故等が原因となって、ここ約20年間余り原子力の冬の時代が続き、米国等では原発の新規建設が途絶えていた。ところがここ数年、地球温暖化問題の深刻さが契機となり、CO2排出量の少ない原子力の優秀性が徐々に理解されるようになり、今世界は「原子力ルネッサンス」に突入している。米国では昨年から20数基の原子炉の新設申請が行われ始めており、隣の中国では21基の原子炉新設の計画がある。全世界を見ると、2006年には30カ国で435基、出力約370GWの原子炉が存在し、さらに合計350基(出力約330GW)の増設構想がある。この435基の原子炉を火力発電に置き換えた場合、最もCO2排出量の少ないLNG複合サイクル発電を用いた場合でも、世界のCO2排出量は年間11億トン(2005年の世界総排出量の4%)増大することになる。さらに370GW構想が実現して世界の原子力発電が合計700GWの規模になれば、同規模のLNG複合サイクル発電を利用した場合に比較して年間20億トンのCO2排出量低減*がもたらされる。
*参照文献:「地球環境保全・エネルギー安定供給のための原子力のビジョンを考える懇談会報告」、第15回原子力委員会資料、平成20年3月13日
「原子力ルネッサンス」の火付け役の一つがGNEP計画(Global Nuclear Energy
Partnership)である。米国ではブッシュ政権の下で積極的な原子力推進計画が進められており、2006年2月にはエネルギー省(DOE)が将来の核燃料サイクルを国際的な協調の枠の下で開発しようとしてGNEP計画を発表し、我が国もこれに参加している。地球温暖化問題への対処と世界的なエネルギー需要増加のため、原子力発電を拡大せざるを得ない状況にあるが、一方それと並行にイラン問題のような核拡散の恐れも増大するため、GNEP計画では核不拡散体制の枠を作り、将来のエネルギー源として高速炉による核燃料サイクルを国際的に開発しようとしている。下の写真は2007年
9月
ウィーンで開催されたGNEP参加国による第2回閣僚級会合の様子であり、日、米、仏、中、露等16カ国が参加した。
GNEP計画の詳細については米国DOEや我が国の原子力委員会等のホームページに載っているので省略するが、何故現在稼働している軽水炉でなく高速炉を使うのかは次の理由による。現在BWRやPWRの軽水炉が世界的に使用されており、いずれもウランを燃料として燃やしている。しかしウランの消費が世界的な規模で増大すれば、今世紀中頃以降には天然のウラン資源(現在の埋蔵量)が枯渇すると予測される。このため、ウランを燃やしても(正確にはU235が核分裂しても)燃え残りのウランを(U238が中性子を吸収して出来たPu等を)さらに燃料として活用する高速炉を使えば、天然のウラン資源は無限に近い程長く活用出来るからである。
4.日本のエネルギー確保計画とその使命
我が国の将来のエネルギー確保計画は、2005年 10月に定められた原子力委員会の「原子力政策大綱」の考え方を基にして、2006年 8月経産省総合資源エネルギー調査会が「原子力立国計画」を策定している。ここには世界の動向を踏まえて何故原子力が必要なのか、高速炉燃料サイクルを実現するために何を開発しなければならないのか、我が国原子力産業の国際的な展望と支援、原子力発電の拡大と核不拡散の両立に向けた国際的な枠組み作りへの関与、廃棄物対策を含めた国民・地域社会との共生等々、将来のエネルギー確保のため、国として今後取り組むべき課題が具体的にまとめられている。
詳細にはこれらの文献を読んでいただきたいが、要するに非核兵器国であり、核不拡散体制の枠内で再処理を含めた核燃料サイクルをここまで高度に開発し、高性能で安全な発電用原子炉の運転経験を持つ国は世界中で日本だけであること。また、その知識と経験が地球温暖化問題を背景にして、今国際的に求められており、我が国こそがそれに答えられる能力を持っている。このことを一般の人がもっと理解し、誇りにしてほしいと思うのである。
あとがき
学校を卒業して以来原子力の仕事に携わってきたが、途中逆風の吹く時期が長くあった。国の全電力の約3割を生み出す核燃料を製造し、社会に貢献しているのに何故非難やそしりを受けなければならないのか、内心忸怩たるものがあった。しかし、原子力に対する一般の理解が徐々に進行し、地球温暖化問題が契機となり、社会環境が変化しつつある今、原子力に対する科学的に正しい理解と判断を望んで止まない。原子力こそが21世紀の世界の主要なエネルギー源になり得ると考える。
最後に面白い実例を一つ挙げたい。ラジュウム温泉の中に含まれる放射能の濃度は、ウラン燃料加工施設から出る排水中の放射能許容濃度*の約3倍以上でなければ「ラジ
ュウム温泉」と呼んではならないと温泉法に定められている。
*原子炉等規制法による。なお、経産省や文科省管轄の同法と厚労省管轄の温泉法との間のこの種の不整合の問題は今後検討され、解決されるべきものと考える。
ウラン燃料加工施設の排水よりも数倍高い濃度の放射能が存在しても、多くの人は「いい湯だな」と温泉を楽しんでいるのである。放射能や放射線はどこにでも存在していること、原子力施設はこのように過剰なくらい厳しく規制されており、安全であることを知ってほしい。筆者も46年前からウランを取り扱い、現在元気に暮らしている。
以上