16.6.30

エネルギー問題に発言する会 座談会記録

 


座談会テーマ

原子力行政・規制のあり方


司会および文責:石井正則、益田恭尚

 

国際的には安全規制の対象が設備から運転管理に大きく転換し、各国で運転プラントの稼働率向上の成果等として現はれている。日本の原子力は厳しい環境の中、比較的順調に推移してきたが、東電事件等をきっかけに立場の違いによる各種の不協和音がみられ、原子力行政や規制のありかたについても問題が提起されている。

一方、JCO事故の反省から、原子力安全行政を担当する組織に独立性を持たせ、使命と責任を明確化し、各分野での経験を共有化し、安全・保安行政に生かすことを目的として経済産業省の外局に“原子力安全・保安院”が設立された。さらに、その一環として、平成1510月には、独立行政法人原子力安全基盤機構(略稱JNES)が発足し、国民に安心感を与えることを基本構想とした新保安検査制度がスタートし運用を開始した。この理念は「専門技術者集団として、原子力エネルギーの潜在的な危険性から国民の安全を確保する」とされている。

「エネルギー問題に発言する会」では、このような背景を踏まえ、新体制の意義、あるべき方向へのシステム改善、安全委員会と保安院の関係、国と地方行政の関係等について、自由な立場で問題点を話し合うことは有意義であると考え座談会を開催した。

 

司会: 原子力行政および規制のあり方については、政策の立案の仕方、規制等広い範囲について、それぞれの立場で批判が多いと思うが、本日は、規制は如何にあるべきかを中心に幅広い意見を伺いたい。今後、政策立案、行政組織等についての検討も順次議論を進めて行きたい。

 


原子力規制のあり方について

規制当局は国民に対して科学的な安全に対し責任を持つという自覚が必要。

情緒的な安心ではなく、合理的、効率的な安全規制とすべきである。

世界の情勢に遅れないこと。規制当局こそセーフティーカルチャーを。

責任に権限が伴わないJNESに過大な負荷を掛けるのは無理が無いか。


 

司会:先ず規制のあり方についてご意見を伺いたい。

O 日本の規制の欠陥は、責任者が「責任をとらない」、「国民に説明しない」の2点である。JCOの時も責任を取らされたのは事業者だけ、安全審査や工事認可の欠陥に対し規制は責任をとらなかった。またこれまで事故トラブルについて、規制者が報道に対し説明したことはない。これが日本の最大の欠陥だ。

日本は機械設備に対する安全規制から運転管理における安全規制への切り替えが遅れた。世界ではこの変更が1995年から2000年にかけて行われている。日本の規制意識はまだ設備の安全審査と、火力の定検からの発想の域を出ていない。この間、各国はTMI、チェルノブイリの経験を踏まえ、自己流で行っていた安全規制から世界的なシステムに作り換える努力をしてきた。日本の原子力発電所の運転成績が良かった90年代、世界各国が見学に来たのもこの現れである。日本の定検を学んで、それぞれに運転保守、管理技術を改善した。設備の規制から運転管理規制へと切り替えていったのだ。米国のROP(Reactor Oversight Process)規制(日本では一般にリスク・インフォームド・レギュレーションと呼ばれている。但し、リスクベース規制ではないので誤用しないこと)、ヨーロッパのセーフティーカルチャー導入などがそれである。

日本は定検にお金をかけて一時は世界のトップだったが、今成績が悪い。安全指標のデーターがこの10年横ばいを続けている。世界は毎年向上して、日本を遥かに追い越してしまった。これは日本が保守作業を定検道とでも名付けるべき求道究極の世界に押し入れてしまったためで、費用の割合に効果が上がっていない。逆に欧米各国はこのところを弁え、日本の無駄は真似をせず、原子力発電所に合った運転管理、保守点検を模索した結果、少ない費用で成績を好転させた。この差が今出ている。

日本のセーフティーカルチャーはお上が定める修身道徳、世界のそれと違っている。日本は事業者にはセーフティーカルチャーを守れと五月蝿く言うが、規制側にセーフティーカルチャーがあるとは見えない。IAEAの要求するセーフティーカルチャーは一つに事業者、今一つは規制者に求めている。国民に多大の負担をかけないで行う安全規制の追求、適切な規制の実施、これが規制に求められるセーフティーカルチャーである。

規制することによって国に安心を求めているのは東洋だけ。本来、規制とは科学的な安全を求める手段である。

G:原子力規制行政検討に関する視点から一言申し上げたい。

一般産業分野においても、行政の規制緩和、簡素化の要望は従来から強かった。従来は規制する側とされる側の関係において、経済活力の向上という視点からの規制緩和の要望が強かった。その中で、一般産業分野においては安全とか安心といった議論はなく、原子力は例外とされ勝ちであった。現在の原子力保安規制は、国が国民から付託されている国の責任から発するものとされ、国民に安心感を与えることを基本的な姿勢とし、国民に対する説明責任が重視されている。

このため、新設の許認可から、運転プラントに重点が移った。しかしながら、実態を見ると、新しい規制内容のほとんどが電力の用意する保安規定の記載事項を基本とする形をとっており、保安規定の性格が変わったことを強く認識する必要がある。これはわが国では云わば初めての試みであって、経験のない分野で試行錯誤しながら出発したばかりである。

システムを作りながら進めているのが実態で、結果として細かいことへの関心が多くなり、合理的な検査ができる段階に達していない。このため、新設の許認可から、運転プラントに重点が移った。一方、このような制度ができても従来の行政官主体の規制当局には充分な人材がいない。JNESによってこの点の改善を図ろうとしているが、人事の刷新を含め運営も時間をかけ、その中でメスを入れてゆく必要があろう。

国民への説明責任にもとづく新制度の定着には時間がかかるのは止むを得ない。

G安全委員会と保安院の一体化という体制の問題、燃料サイクルのような政策の問題、検査・監査の実施面の欠陥およびそれに対する改善手段等は別の問題として処理することができる。

検査・監査の実施面の問題点については、従来、国の審議会等では扱われずなおざりにされがちであった。従来は不許可・不認可は組織の恥とされ、規制側もされる側も事前ヒヤリング等のネゴによりそのような事態を避けるのがよいとされてきた。そのため、規制と推進の両方でバランスを取っていた。効率化の観点からこれを止め不利益処分に対しては公的手段で争う方向に意識は変わりつつあるようにみえるが、原子力安全に関しては地方自治体に代表される世論、ないし、一般の人の安心感等への配慮から規制側も民間側もなかなか問題点の改正に踏み切れない。何らかの対策が必要である。

 


JNESの検査について

新制度は緒についたばかりであり、効率的に処理される段階に至っていない。検査官の個人差も多く、規制される側の対応は大きな負担となっているのが現状であり、早急に適切な運用手法を確立する必要がある。

安全に着目した規制を基本とすることが望まれる。試行錯誤しながら、方策を見つけていくにしても、方向の明確化に加え、議論の場と促進の努力が必要である。


 

M:新しい安全規制では、保安院・JNES体制により、製品検査だけでなくプロセスも監査する制度となった。このため、検査項目の増大、検査仕様の説明など作業量が膨大になった。JNESは保安院から監督され、しかも、検査だけでなくプロセス監査にも責任を持たされている。このようなシステムであるため、どうしても細部にわたり、かつ厳しくなる傾向となる。細部にわたる検査官の個人的な要求があると、その準備を含め膨大な作業量が要求されることになる。結果としてコスト増や事業担当者のモラル低下をもたらしかねない。しかも、これらは必ずしも安全の向上に関係しないものが多いのが現状である。

P:現場は問題が多い。メーカからきた検査官は細かい点をよく知っているので、細かい点を勉強しながら追及し、そのために多くの労力と時間がかかる。

F:事業者は新しいJNESの検査は大きな負担となっている。規制する側は国民の要求する安心感に振り回されている。補修員は従来の5割増もかけている。早く落とし所を見付けないと、自由化のもとでの経営が成り立たない。かつて、発電技検では、検査終了後幹部との懇談の場もあり、生々しい情報の交換もできた。こういったやりとりにより過剰規制になるのを抑制できた。現場では規制する側とされる側の緊張感が大きく、規制される側は苦情を言いたくともいえない状況である。説明責任をとらされるだけでは納得しがたい。

GJNESはまだ効率が良くなっていない。特にメーカ出身者はよく知っているので細かくなり勝ちである。JNESは問題が多いとの情報は聞いているが、なくてよいという議論はなく、存在そのものは問題にはなっていないと解される。前より大変だから元に戻せでは国民に対して説明できない。

L:試行錯誤で進められているにしても、このような問題を解決・改善してゆくための場がないのが問題である。反省の場、学習の場が必要。これには、NRCのように、検査官が日常の検査の結果を公開していくのが一つの方法ではないだろうか。

N:いずれ落ち着く所に落ち着く。加速要因もさることながら、落ち着く場所のターゲットが必要であろう。プロセス監査を主体とし、規制は最低限とし、各プロセスは事業者責任とすべきである。

S:世の中の流れとしてはプロセス監査の方向に向かうべきであろう。しかし、プロセス監査は工程に追われている日常の検査業務とは切り離し、ASMENスタンプや、ISO9001のように、別途、資格を認定する方式へと移行すべきである。工程に追われていれば、規制を受ける側は益々弱い立場になる。

N:工認の認可方法にも問題が多い。作りこみに関しては認可当局の個人の裁量が左右する。軽水炉に工認に、再処理等で行っていた旧科学技術庁の設工認のやり方が追加され、作業量が膨大になった。

G:幹部は基本的な考えを的確に理解していると考える。現場の人達のMotive Force が何であるかが重要である。多かれ少なかれ大組織に起きがちな問題であろう。

N:規制の効率化では、日本は規制のための規制になっている面がある。この面ではアメリカは進んでいる。

B:規制を受ける側は、もっと堂々と行動するようにすべきである。地方自治体も含めて許認可に関わる側に不合理があれば、最終的には訴訟などの法的解決をも念頭にそれを正すようにしていく。訴訟はお互いに痛みとリスクを伴うものなので、それを実感・認識した上で、合理性に基づく解決を指向する緊張感を両者が持つようになってくれば良いと思う。これまでのような手間や時間をかける方法は、これから自由化になれば難しくなってくる。

N:日本は国民性や習慣からいって訴訟に持ち込むのは馴染まないであろう。また、早期判決が期待される環境でないと無理がある。

R:日本では国がよいと言わないと国民は納得しない。外国はどうか?

H:日本は国民が安心を求めるが、規制者責任を問わない。この二つでおかしくしている。国民は判断能力を持てないので、やはり国に期待することになる。

O:今日の原子力の安全基準は世界的な合意の上に成り立っている。一国の規制判断だけでは国民の信用を勝ち得ない。IAEAの安全基準は国民を納得させるための要素が大きく、形式は別として各国で採用している。日本も考えるべきである。

 


アピールボードをどうするか

規制制度の運用を改善する手法として、アッピールボードのような制度が必要である。設置機関については、インセンティブをもった機関である必要があり、日本版NEIの早期立ち上げが期待される。


 

司会:アッピールボードをどのような形にすべきかに関してご意見を伺いたい。

G:規制を受ける側が堂々と対応できるようにするためにアッピールボードは是非必要である。但し保安院に置く場合は組織に関する法的検討が必要。日本の行政組織にはアッピールボードのようなものはあまり無い。NPO、保安院、産業界が、設置場所の候補であろう。

O:現行のシステムでやるとすれば、安全委員会がアッピールボードの役をやればよい。だがやらないだろう。JNESも自分では発案しないであろう。日本は事故が起こり、外圧がかからない限り変わらない国だ。アッピールボードが無くとも、現場の声がもっと素直に出ればマスコミも採り上げるだろう。それが改善に繋がる。だがどの電力も、現場も具体的アピールをしないし、出来ないだろう。これでは世の中は変わらない。ワンクッション置いて、バファー的組織を産業界(原産、電事連、日本版NEIができればそれに)が作らねば改善しないだろう。 

G:原子力に限らず行政の様々な問題に対し、日本では実効が上がる苦情処理のシステムがない。規制当局への意見提出、苦情処理手段について、アメリカのような第三者によるアピールボードの確立が望ましい。この分野は国の審議会等でも扱わない。

苦情処理を実効あるものとするには建前論ではなく、当事者を介した具体的な問題を扱わないと意味が無い。規制当局への意見具申、苦情処理手段の確立に当っては、勝手な言い分が云えないよう、全て公開処理で行ことにより、合理的措置に対する世論の理解も得られると思うが、時間がかかり非効率になるのは覚悟しなければならない。

現在行政一般についてであるが、実施面のチェックについては行政管理庁による行政監察がある。行政処分に対して不服申し立てもできる。申し立て後3ヶ月たって返事がなければ訴訟の道もある。規制当局自身の内部チェックについては、現在の運用は知らないが、制度的なものはない。

M:検査員が現場でしゃべったことや検査報告が公開されれば、改善につながるのではないだろうか。

N:安全規制の問題点の把握と検討組織の立ち上げのため、日本版NEIの立ち上げを急ぐ必要がある。

 


地方自治体との関係

国‐県‐村の信頼関係を築き、国は責任を持って執行権の行使を


 

司会:地方自治体が大きな発言権を持っている現状の問題に関して

T:自治体の長の問題は大きい。エネルギーセキュリティーの執行権は国にあるにもかかわらず、国は執行していないのは大きな問題である。

O:国―県―村の関係は大切である。愛媛県は情報をもらったらきちんと対応しており、この間の信頼関係があり非常にうまくいっている。情報を受けた側も責任ある対応が求められることを理解すべきである。

N:これは長年かけて出来上がった信頼関係である。

Q:信頼関係と言えば、六ヶ所再処理工場では今後起こり得るトラブル事例を公開した。全部網羅できるわけのものでもないので、隠したとしてかえって問題とされる可能性がある。恣意的に問題を選んだとされないようにすることが重要である。

司会:地方自治体の発言権に関しては別途議論する必要があろう。

 


安全委員会と保安院との一体化の是非

現在の原子力安全委員会が充分機能しているとは云えない。ダブルチェックシステムも果たして必要か。その意味では原子力安全委員会の下に原子力安全保安院を置くのが合理的である。政治的な要素もあり、原子力行政改革の中で今後検討すべき課題であろう。


 

司会:原子力安全委員会と原子力安全保安院との一体化、振興と規制の分離の問題について議論をしたいと思う。

D:振興と規制の分離は、原子力委員会から原子力安全委員会を独立して設置するに際しても議論された。その結果行政と安全委員会によるダブルチェックという変則的解決が行なわれた。行政側(旧MITI)が行政と規制を行なうことにより、原子力行政全般、特に電力をコントロールしようと考えたようである。しかしながら、振興と規制の間での取引排除、規制の一本化などの点から、原子力安全委員会の下に規制当局を置きNRC並の独立機関として、規制を分離し実効ある規制機関にすることが望ましいと考える。最近は独立の重要性が認識されるようになってきている。

G:原子力安全委員会は諮問機関という性格を持っており、一体化するには性格の変更も含めた法改正が必要となる。安全委員会では予算獲得がしにくいという問題もある。器の問題より実態の改善が重要である。

尚、法的には政策立案と、実施部門は必ずしも同一組織である必要はない。

N:原子力安全保安院は現状でもそれなりに独立性を保っているのではないだろうか。

O:原子力安全委員会は大きな方向を勧告すればよい。なにもしていないのに100人も抱えているのでは税金の無駄遣いといわれても仕方が無い。規制が独立しているのはアメリカNRCくらい。NRCPolice Regulation の時代は終わった。

D:分割の一番の狙いは“江戸の仇を長崎で”となることの防止が狙いである。しかし、一方振興側に予算施行権がないと推進に力が入らないという言い分もある。

U:安全委員会と安全保安院の関係をみると安全委員会への情報は安全保安院を経由するため、情報が制限されてしまう。

B:原子力の規制はスリム化、一体化が望ましい。軽水炉の安全リスクは極めて少ないのに規制関係にお金をかけ過ぎている。その意味では一体化によりダブルチェックをなくすことが合理的である。電力自由化の時代、再考する必要があろう。

O:規制は国民の安全を担保するためのものである。安心のためなどという、時のムードに支配される誤った考え方を是正する発言が必要である。NRCの変化はそれに気付いて、自分のために変わったとも云える。

H:日本人は何か変えようとする時にきっかけがないと変わらない。中国のエネルギー事情やテロとシーレーン防衛など火種は沢山ある。

G:現在の一本化議論は福島県知事が言い出した政治的な発言である。あるべき組織の内容の明確化について詰めた上で最適な組織体系を検討すればよい。

以上


日時   平成16616

場所   NUPEC MTビル 6階会議室

出席者  天野牧男、荒井利治、池亀亮、石井亨、石井正則、石井陽一郎、石川迪夫  、伊藤睦、 今永隆、 岩井正三、小笠原英雄、小川博巳、加藤洋明、斉藤修、澤井定、竹内哲夫、篠田度、柴山哲男、杉野榮美、太組健治、土井彰、林勉、”堀雅夫、益田恭尚、松岡強、武藤章、松田泰、山名康裕、(アイウエオ順)