第十話
考えていただきたいことーー原子力発電所を持つ地方に対して
天野牧男
最近の傾向として、地方が地元に発電所があるということで、その運営などについて発言する機会が増えているように思われる。それらの中には、十分事態を見極めた上での発言もあるようであるが、その地方だけを視点に入れたものとか、とにかく原子力は危険だ、危険なものはお断りといった意見がまだ後を絶たない。以下はそれらに対するコメントのひとつであるが、例を福島県にとって話をして見たい。
福島県では昭和46年3月に福島第一原子力発電所1号機が完成、運転を開始して以来今日まで40年を超え、現在10基が稼動している状態になっているわけあるが、この間に福島県が実質的にどれだけの被害を受け、どれだけのメリットを受けたかの評価が全く見られない。いったいこの42年間に福島県の住民は、原子力発電所によってどれだけ放射線などによって被害を受けたのであろうか。少なくとも筆者の知る限りでは1件もない。確かにこの間発電所の内部においていくつかの技術的な問題は発生した。どのような設備でも人間の作ったものである以上、多少のことはあるものである。しかしこれ等の問題はアメリカで昭和54年に起こったスリーマイル・アイランド原子力発電所の炉心溶融などとははるかに違う種類のものであった。勿論どんなに小さいことでも、問題はよくないから、電力会社はそのたびに真剣に対応し、小さい問題点でもそれ以後の発生を避けるため、十分な対応をし改善がなされてきている。
この最初の原子力発電所が、福島県の浪江町に建設されて以来、福島県はそれによるメリットを何にも受けていないのであろうか。筆者はそれほどの回数ではないが、浪江町の方々の意見を伺ったことがある。地元の方のご意見は、原子力発電所の建設がどれだけ地域を活性化させたかについて、それを評価する内容のものがほとんどであった。このことは浪江町や双葉町だけの問題ではない。原子力発電所立地県として受ける税金や、国などから受けた便益もそう少ないものとは思われない。
筆者がどうも理解しにくいのは、漁業補償である。海というどうにも個人や特定の団体の権益に属するものと思えないものに、多額の補償金を支払い、実際には漁業権を売ったはずの放水路近くが、いい漁場になっている。一般に原子力発電の発電コストも論じられているが、こういった支出がコスト引き上げの要因になっていることも事実である。
あまり重要ではない問題に対し、過大な対応を要求するなども、無駄な費用の発生につながり、発電コストを押し上げる要因になる。いわれのない発電コストの上昇は、原子力発電に対する反対の口実を作るもので、正当な評価を妨げる要因になる。
少し大きな問題になるが、世界の環境問題特にCO2の削減に実効力のあるのは、原子力発電所しかないことは、いまや自明の理である。この発電所の存在は、国全体に対して多大の貢献をしてくれている。福島県にある原子力発電所の総発電設備容量は910万KW。これをもし原子力以外の発電設備で発電すると、わが国のCO2発生量は3から3.5%位増加する。これがいかに大変な貢献であるかは、環境問題を真剣に考えられた方には容易に理解できるものと思う。
筆者は現在企業の透明性の不足など、問題があることは事実であるが、こういったことを関係者が協力して改善することによって、人類にとってきわめて重要な、これからの環境の維持に貢献することの出来る、ただひとつの貴重な手段である原子力発電所を大切にしもり立てていくことが、その地方にとっても、その活性化などを含めて、大切なことはないかと考えているものである。