第十一話  
20世紀が作り上げた新しい国際的経済体制

エネルギ問題に発言する会

天野 牧男

少しこの会の意図するところと、話の内容が違っているかもしれませんが、これからの国際問題などを考えていく上で必要ですので、取り上げて見ました。

実は20世紀の後半、これは先の太平洋戦争で、わが国が完膚なきまでに敗北し、そこから立ち直って、今日の経済大国になるまでの時期でありますが、この期間はまた世界の経済構造が大きく変った時でありました。経済構造が変ると当然ながら、世界の地政学的なあり方にも変化が起こってまいります。この点について少し注意しているのですが、少なくともわが国の中であまり論じられているのを見たことがありません。この世界の経済構造の変化の最初の動きは、やはりアメリカからですが、わが国もこの変化について大きな役割を果たしてきました。

昭和30年代における、日米の賃金格差は大体8倍でした。このためアメリカでは生産拠点の海外への移設を行うようになり、IBMのように国際的な生産体系の整備が計られて来ました。やがてわが国も産業のすさまじい発展があり、個人収入の点でも、為替の変動によって動きはありますが、時にはアメリカを凌駕するようになりました。労働集約度の高い工業製品を、高い賃金で生産していたのでは、容易に国際競争力が得られないことから、昭和50年代には、わが国の産業も其の生産地を海外に移す動きが始まり、徐々に加速されて来ました。韓国、台湾から始まったこの動きはやがて東南アジアのアシアン諸国へと移っていき、現在激しい勢いで中国に流れ込んでいます。

この生産拠点の移動は、わが国の産業の必要性から始まったものでありますが、移された地域の経済と産業の発展をもたらし、国際的な分業体制を作り上げて行きました。

現在の製造業の海外生産比率は約24%と言われています。わが国の生産の四分の一は海外にシフトされました。

このことは国家と国家との間の経済産業の間での相互依存が非常に強いものになったことを意味します。もともとわが国は海外からの依存度が高い、特に石油の産出がほとんどゼロでしたから、太平洋戦争のひとつの理由はそれを求めてという面がありました。しかし経済発展が高まるにつれ、海外への依存度は高まるばかりで、エネルギーの約80%、食料の約60%を海外からの輸入に依存し、さらに製造業における生産の24%を他国に依存している国が、それらの国々と意見の違いや、外交的な行き違いがあったとしても、戦争という手段で解決するということは全く不可能であります。

更にかって例えば列強が世界に植民地を求めて、海外に覇権を争った時代には、国を富ませる手段は、他国を事故の傘下に入れて、隷属関係にすることでありました。其の例は枚挙に暇はありません。しかし経済、産業の相互依存が高まっている今、他国を征服しそのために戦争をして、折角出来上がっているシステムを滅茶苦茶にすることが、国を豊かにする手段ではなくなってしましました。このことは戦争を放棄した戦後のわが国が極めて適切な例を示しました。

国と国との間の相互依存が強まれば強まるほど、戦争は意味なくなります。こういった国際間の特に経済産業における依存度が高まったのが20世紀の後半の大きな特長です。戦後でもまだ冷戦が続いている間には、原子爆弾の戦争抑止力が働いた面もありますが、現在は決定的にこの相互依存が強大な抑止力になっています。したがって、大国の間や、一般の国の間では、うかつな戦争は其の国を経済的にも壊滅させることになって、戦争を起こすことは不可能になってきました。わが国の生産の24%が海外にあって、どうしてそれらの国を相手にして戦争が出来るのでしょうか。エイジス艦1隻をインド洋に派遣することに対しても、中国は深い関心を払い、わが国の社会民主党は戦争に近ずくと騒いでいますが、これだけの産業投資をした中国と、もうそれだけの理由でも問題解決の手段として、戦争という形態をとることなど、ありえないのではないでしょうか。

怖いのはこの相互依存の枠の中に入らないで、孤立して頑張っている国です。其の代表的なものは北朝鮮ですし、イラクにも其の傾向があるかもしれません。そういった2,3の国を除けば、この国際的な依存体制の形成は世界に新しい秩序を作り上げました。これ等の2,3の孤立した危険な国に対しても、通常兵器でのしっかりとした防御体制は必要ですが、核武装までを必要とするとは思えません。確かに狂気とも思われる孤立した独裁国家は危険でありますが、国民を録に食べさせることも出来ない国が出来ることには限度があります。国際的な協調体制がベースとして出来ている現在、わが国までが核武装という多くの問題をはらんだ選択は、むしろ混乱を招くものになる恐れがあります。ただ筆者はこの問題についての十分な情報を持っていませんので、本当の論議は出来ませんが、基本的には、国際的な連携の中で抑止する方法を選ぶことが、新しい世紀での対応の方法ではないかと考えています。

20世紀という世紀は、人類の歴史の上で最大の殺戮が行われた時代でありましたが、また人類が大規模な戦争というものを、問題解決の最後の手段ではなくしたという大きな役割を果たした世紀でもあります。そしてそういう社会を作り上げた最大の原因は、産業の国際的な分業化であり、相互依存体制の成立と言うところが、また非常に興味のある点であります。

小学校の低学年の頃、クラスの中で幅をきかせていたのは、腕力のある、強い生徒でした。それが段々高学年に行くにつれて、勉強が出来て、仲間を引っ張っていく力のある生徒へと移って来て、級長になるのもそういった生徒になりました。世界の秩序も20世紀の半ばまでは小学校の低学年並みでしたが、21世紀になって少し高学年らしくなって来たように思われます。世界をリードするのは経済的に貢献する国家と少しずつかもしれませんが移って来ています。

この新しい国際社会を作り上げるのに、わが国の経済発展が相当な役割を果たして来たということも事実であり、日本が国際社会にはじめて実質的な意味を持った貢献を果たしたと言えると思います。さらにこういった新しい国際関係に対する、正確な認識なしに、国際問題についての間違わない論議は出来ないと考えているものであります。