原子力発電反対の風潮の広がりを憂う
第十六話
朴勝俊氏の原子力発電所の事故被害額試算―筆者の理解を超えるもの
エネルギー問題に発言する会
天野 牧男
朴氏が発表され共同通信が配信した原子力発電所の事故被害試算では、温室効果ガス削減のために重要であるといわれるが、事故時の大量の被害という負の問題もあわせて判断する必要があるとして、大飯原子力発電所3号機で過酷事故が発生したケースを計算され、被害は最大で460兆円、死者40万人となるというものでありました。これは筆者の理解を遠く超えるものであります。
日本人の良識
この論文の事をはじめて知ったのは、10月28日、この会のHPのトピックス記事に林勉氏から提供されたトピックスでした。被害最大で460兆円、急性障害やガンによる死者も40万人、大飯原発事故で試算というすさまじいものでした。
これを見たときその余りにも、常識を逸脱した数字なので、こういった記事など誰も相手にしないであろうという印象を持ちました。
ところがこのことを発表したのが、京都産業大学という、名前の通った大学の講師であり、記事を配信したのは、日本で一番大きい通信会社である共同通信であると知って、少々驚きました。日本という国は国際的にも、相当に良識のレベルが高く、何やかやがあっても、適切に対応している方ではないかと思っています。今回の衆議院議員選挙の結果や、小泉首相に対する支持率などを見ても、まあまあかと思っていました。
しかしこんな全くの常識はずれの論文を、ご自身の勉強のために内部で検討されるのならともかく、学会で発表されるという事であるし、それを又共同通信が取り上げ、その結果幾つかの地方新聞が記事にしました。日本の社会の良識は大丈夫かと思いましたが、流石に中央紙では何処も記事にせず、NHK他民間のテレビ放送も取り上げていなかったようでした。
相当に強引な対応
この論文の序文にこれを書かれた目的が述べられています。「原子力の意義は温室効果ガスを排出しないという便宜面でなく、廃炉費用、放射線廃棄物保管費用や、炉心溶融事故の潜在的な被害額など、見えにくい費用も考慮して判断すべきである」。 これ自身は全くお説のとおりでありますが、さらに「日本では1960年以来、それに引き続く定量的評価は見られない。そこで本研究では、現時点で大規模な放射性物質の放出を伴う原子力発電所事故が起こったとき、周辺住民に及ぼす被害の金額を、決定論的な手法を用いて推計した」と続きます。
こういった効果とリスクとの相対的比較をすることは非常に必要な事で、筆者達も常に考えている事であります。ただ二つの物を比較する時には、大体同じような確からしさの上で比べないと、比較になりません。
原子力発電所がCO2の発生に対してどれだけの貢献をするものかは、この会のHPの「会の討論公開」にあります「地球環境問題と原子力発電」のなかでも紹介しています。廃炉費用や放射線廃棄物保管費用なども、相当な精度で分ってきています。燃料再処理コストなどもかなり推定が進んできていて、電力代1KWに対し、1円のオーダーでの数字が示されて来ています。CO2が地球上の気象にどれだけの影響をあたえるかは、諸説あって定かではありませんが、この温室効果ガスの発生抑制に対する原子力発電所の影響力は明白です。
それに較べてこの論文の試算は余りにも荒っぽすぎます。色々根拠や出典が一杯並べられていますが、その確実性には全くといっていいほど触れられていません。この論文の出発点は放射性物質が格納容器外にどれだけ放出されるかですが、いとも簡単にチェルノブイリの事故の時の放出量とほぼ同量とされています。またここではリスク評価のための仮想事故の内容をそのまま取り上げているようですが、使われた手法は既に時代遅れのものだという認識が欠如しているように思われます。
論文ではチェルノブイリのような膨大な放射性物質の放出があったとして、きわめて詳細な計算がなされていますが、このような気象的な要素の非常に多い解析を、高い精度で出来るとは思えません。というか自分で勝手にとりあげた仮定や条件で計算したらこうなったというだけのものです。 チェルノブイリの場合、死亡したのは事故現場に来て直接消火作業などに当った運転員と消防士の31名だけで、それ以外に直接間接を問わず、死亡者が出たと聞いていません。この違いを見るだけでも、今回の試算の精度を確かめることが必要で、それなしに比較するというのは本質的に無理ではないでしょうか。
チェルノブイリの事例での試算を提案する
チェルノブイリ発電所のあるベラルーシは、国土は日本の半分より少し大きい程度ですが、人口は1、019万人で人口密度は日本の7分の1程度です。ベルラーシの首都ミンスクは発電所から約350kmのところにあり、これは直線距離で福井と東京より少し近い程度です。人口は170万人と言われていますから、そんなに小さな町ではありません。状況はかなり違うようですが、一人当たりのGNPはロシア連邦より高く、かなりの国家のようです。
このチェルノブイリのような全くとんでもない事故ですら、そのプラント外では一人も、急性も晩発性でも死者がいないのに、この論文では40万人も死者が出るというのが、よく分りません。筆者の提案ですが、朴氏がこの論文でおやりになった手法で、一度チェルノブイリの事故を再現なすったらいかがでしょうか。気象条件などのデーターは恐らく調べられてあるでしょうから、そういったデータを使って、お持ちの手法で計算を行って、あの事故のシミュレーションをおこない、チェルノブイリの実際の被災状況と較べてご覧になったらいかがでしょうか。計算の信頼性がある程度評価できるように思います。今回ご提示の数字はチェルノブイリのシミュレーションの結果を拝見してから、見直す方が良さそうです。
結論の身勝手さ
この論文の結びに、「大型原子力発電所の仮想事故が現実化すれば」とありますが、実際には先ずなりようのないものを現実にしてしまって、数字だけを一人歩きさせるような巧妙さがどうも共同通信社を走らせてしまったようですが、少し勝手すぎる結論ではないでしょうか。
又最後に「・・・潜在的な被害者に対する補償に備えた制度の再構築が早急に求められる。また、それが不可能であるとするならば、仮想事故のような大事故が起こる確率は無視しうるほど低いとする考え方自体が、大きな疑念に直面する事になるのではなかろうか?」とありますが、残念ながら、筆者には全くその意味が分りません。
論文発表者の責任
どうもこの論文を一読した程度ではその真意が分りません。しかしあまりにも独断的な又根拠の薄弱なベースで、こういった重要な問題に対して国民の疑念を生じさせるおそれのある事に対する責任感を、論文の発表者は常に持つ必要があります。日本人の良識がかなり高いとしてもです。 こういった論文などが、誤まって広まりなどして、原子力発電所の有効な利用に阻害があったら、それはきわめて高い損害を国民にも国家にも与える事になる恐れがあるというのがその理由です。