第一話 アイデンティフィケィション--品質を保証するという観点から
エネルギー問題に発言する会 天野牧男 この言葉を英語から借りるのは、ちょっと気にかかるのですが、なかなかいい日本語が見当たりません。意味は自己の認識ということですが、辞書では他と違っていることの証明等と言っていますが、品質管理の方では製品の一品一品、部材の一つ一つの素性がはっきりしていることを言います。我々が使う製品が信頼のおけるものであるかどうかは、やはりその全体として、さらにそれを構成する部材が、構成するものとしてもまた個々の部材としても信頼のおける物であるという確証が必要になります。
この素性がはっきりしていることの重要さは、最近起きた狂牛病などを見ると特に痛感されます。こういった問題が発生した時、もっとも大切な事は、その牛がどういう血統であるか、これは大体判っているでしょうが、毎日何を食べていたか、どういう環境であったか等がはっきり辿れるようになっていることです。このことが問題の原因や、その広がりをはっきりさせる為には非常に大切なことですし、これがはっきりしていないと、何が悪いのかわからないので、解決する方法を見出すことが出来ません。
最近多発している医療関係のミスなんかにも、同じ所に起源があるように思います。手術する患者を取り違えるなどというのは、言語道断ですが、まさにアイデンティフイケーションの問題でしょう。唯最近多発するというのは誤りで昔だってあった筈ですが、以前には表に出さないで、内緒に処理が出来ただけだった筈です。それはともかくこの頃発表されている情報を見ると、まだこういった問題に対する医療機関の対応が、すべての病院でそうだという事はないでしょうが、どうも充分であるようには思えません。
私がまだ若くて、品質保証をどうしてやるべきか、色々考えていた時期がありました。昭和42年頃だったかと思いますが、オランダで圧力容器に関する国際会議があり、論文を発表するために出かけました。アムステルダムに着いて、一緒に行った人たちと、町に出てアムステルダムで一番だと言われている、ビフテキ料理の店に入りました。ポート・ヴァン・クレーブという名前の店でした。
しばらくしてジュージュー音を立てているビフテキが出て来て、私の前におかれました。その時その皿の横に一枚の小さい札のような紙が添えられていました。見るとお城の絵の下に、店の名前と、何か番号が入っています。
「これ何?」と持って来てくれたウエイターに尋ねたところ「これは今あなたが召し上がるビフテキは、当店が1879年に創業して以来何番目になるかというものです。あなたのは4947716番目のもので、正真正銘当店指定の牛から作られたものだとの証明です。」と返事が返って来ました。今考えるとなんでもないことですが、この時は思わず膝を叩きました。アイデンティフィケーションつまり一つ一つの部材に番号が付けられていて、それらの素性がはっきりしていることが、品質を確保し、保証する基本だと何か悟ったような気がしたものでした。
現在原子力プラントを製作する企業では、この品質保証体制が確立されていて、部材のアイデンティフィケーションが取られる様になっていますが、現実には部材の量が膨大ですし、製作の期間も短くありません。このものの量と、長い時間とを組み合わせて、何時誰が何をどうしたかが、直ぐわかるような体制を作る事は、そう容易ではありません。
しかしその体制を作ることが、極めて大切であります。作るのは確かに大変ですが、こういったものは一度きちんと作ってしまえば、あとは比較的事務的に処理出来るようになり、現実的なものにすることが出来ます。
この品質を保証する体制をすることが、これからはすべての生産者にとって重要なことになりますが、特に人の安全に関する部門、医療関係とか、食料関係では必要だと思います。
もうかなり前のことになりますが、東芝機械が極めて精度の高い多次元の舶用プロペラの切削機械を当時のソ連に輸出して、大きな問題になり、結局親会社である東芝の会長、社長の退任にまで行ってしまったことがありました。この後東芝の社長に就任された青井さんは社内に輸出を管理する部門を作られ、トップが知らないうちに、ココムの禁輸項目の製品が、東側諸国に出て行かないような確認体制を作られました。この部門の主要メンバーの一人に、青井社長の特命で原子力の品質保証部から一人引き抜いて、加えられました。
このことを聞いて私は成る程青井さんだなと思いましたが、その少し後に会う機会があったので、さりげなく聞いてみました。 「どうして輸出の規制のグループに原子力から人を入れたのですか?」
「このグループにチェックはさせますよ。しかしそのチェックがきちんとやられたという保証がなければ、確実に行かない恐れもあるし、安心出来ないでしょう。だから原子力の品質保証の考え方を入れるようにしたのですよ。」
当たり前だろうというような顔で、返事がありましたが、私はやはり流石だなと思ったものでした。 直接人命にかかわる部門でも、原子力の経験者の目から見ると、このアイデンティフィケーション一つでも、かなり危なっかしく思われる面が色々あります。こういう所に、原子力の考え方や、経験者がお役に立てないかと思います。原子力の厳密な体制やその実施経験は間違いなく参考になると思っています。
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