第二話
             危険でないものは役に立たない

                              エネルギー問題に発言する会   天野牧男 

 こういう表題を出すと、何かいかにも危険な話であるかと受け取られるかもしれませんが、よく今我々の身の回りを見廻して頂きたい。およそ我々に役に立っているものは、大なり小なり危険なものです。
道端に転がっている石はあまり役に立つとは思えません。しかし昔は屋根が風に飛ばされるのを防ぐために、屋根の上に石を置きました。とこの石は突然役に立つものに変身しましたが、屋根の上の石は何かのはずみで落ちてくるかも知れません。上から落ちて来る石は危険です。
 今我々の日常生活の上で自動車を欠かすわけにはいきません。この自動車の大部分はガソリンで走ります。このガソリンは非常に燃えやすく、相当危険です。戦後石油ストーブがよく使われていた頃、灯油と間違えて、ガソリンを売ってしまい、それを使った家が火事になったことがありました。最近もある消費者金融会社の支店に押し入り、ガソリンを撒いて火を付け、確か5人位だった死亡させたというケースがありました。ガソリンはそれほど危険です。しかし危険なほど燃えやすいから、またエネルギーをもっているから、僅かな量で、あの大きな自動車を100km/hの速さで、走らせることが出来るのです。
 人間でも、おとなしくてしかしあまり積極的に仕事をしない人より、『あいつはバリバリかってにやって、どうも危険でしょうがない。』といわれるぐらいの人の方が、使い方によりますが、物の役に立つものです。
危険だという事は、その言われるものが、何かすることの力になるエネルギーを持っているということになります。ですからそのエネルギーが好ましくない形で放出されると、そのエネルギーが多いほど、人類にとって非常に重大な事態が発生します。人類の歴史特に技術の歴史は、このエネルギーを、これは潜在的に危険度をはらんでいるものですが、それを上手に制御して、人類の役に立たせながら、しかし危険なことが起こらないようにして来た道程です。
 クレーンが物を吊り上げて、高い所へ運ぶ。これもかなり危険です。吊っているワイヤが切れるかもしれない。もっと酷い時には、クレーン自体が折れたり、倒れたりするかもしれない。しかしワイヤに対しても色々研究して、そのワイヤなら大丈夫という規格が出来てきて、これなら切れないという限度以内で使用し、安全に作業が進められます。クレーン本体についても同様です。
 今電気がない生活などというものは考えられませんが、電気だって使いようで危険です。電気のコードでも擦り切れたものを使っていれば、何時ショートして火事になるかも分かりません。これも相当に危険です。
こういったことを考えていくと、我々の生活や生存に役立つものは総てと言っていいようですが、危険です。さらに人類にとって役に立つ度合いの高いほど、危険の度合いも高いように思われます。
 こういった意味から言うと、原子力発電も非常に危険です。その持っている潜在的なエネルギーは非常に大きいからです。しかし自動車が危険なガソリンを使って、あのように快適に運転出来るのも、電気が扱いを間違えれば、大変なことになるのに、安全に使い勝手よく使える器具を開発したことによって、毎日の我々の生活が成り立っているように、技術はそうさせる役割を果たしています。
 原子力発電という設備も、原子炉の炉心の中には、大量のエネルギーが保有されていますが、それを安全に確保し、必要な量のエネルギーだけ少しづつ取り出せるようにしたのも技術です。
 これを危険だから駄目というのでは、近代の社会で生活して行くことは出来ないでしょう。膨大なエネルギーを保有しながら、人類に危害を与えることなく運転出来るようにした、20世紀における技術の進歩は、素晴らしいものだと思います。これは素直に、偏見を捨て去って、そこで行われた人々の叡智と努力とを注視すれば分かると思います。この技術がどういったものであるかは、別の所で述べることにします。