第三話
                失敗こそが進歩を生む

                              エネルギー問題に発言する会   天野牧男


 戦後わが国が経済復興するにあたって、産業の発展が最大課題であり、官民を挙げてその課題に取り組み、それに成功した事が今日のわが国を作り上げた大きな原動力となりました。この産業を立ち上げるにあたって、産業の殆どの分野にわたって、既に欧米には先進の技術があったことから、自分で開発するより、技術提携することで、技術の導入を図り、その技術をベースにして製品を作る事が、最も効率よく進める方法でありました。
 わが国の主要な、成長した企業は、戦後いち早く欧米の優れた企業との技術契約を結び、それをベースにして事業の展開を図ったわけですが、このため、わが国で新しい製品を作った時でも、殆ど失敗がなく、順調に製品化され、市場に出回るようになりました。それは既に欧米で開発され、市場に出回っていた、プルーブン、実証済みのものであったことと、わが国独特の生産に対する真剣な対応によるものであった事は良く知られたことであります。
 この方式が非常に効率よく効果を表した事から、物を作ってもそれがうまくいかなかったり、失敗したりすると、その当事者が怠慢であったり、いい加減なことをしたのではないかという考え方が広くひろまって、わが国の常識のようになってしまいました。

 欧米で新しい製品を世に出す場合には、それは全くの新しいものであるため、いろいろの試行錯誤があって、かなりの失敗や事故がありそれを乗り越えて、はじめて完成品が出来たというプロセスを経て来ています。このため失敗を責めるよりはその失敗の原因を調べ、問題点を解決することで、きちんとした製品が出来るという、まさに「失敗は成功の母」という考え方が定着していました。
 新製品を作る時でも、失敗なしてやれれば、それに越した事はないのですが、人間の能力には限界があって、どのように留意しながら進めても、どこか抜けがあります。これは人間の持つ本質的な能力なのですから、理想ばかり追い求めても駄目なので、限界のある人間がどうより進んだ技術や産業を作る方策を、冷静に考える事が必要であります。

 わが国の産業界は欧米の後追いをしている間に、徐々に力をつけて来て昭和50年頃からは、多くの分野で肩を並べるようになり、これから先は自分自身で開発する必要に迫られるようになって来ました。
 自分で開発をする場合、我々がやれば先進の国々がやったように失敗しないでやっていくぞと思っても、日本人だけにそんなに優れた能力が与えられているわけではありません。真っ先に手掛ければ、思わないところで問題を起します。そんなにうまく行くものでははありません。
 今わが国の新技術の開発を進めるにあたって、一番の問題はこの開発過程での失敗の許容度であります。勿論その失敗から生ずる人的、金額的な損害を最小限にする努力が必要でありますが、しかし政治を含めた社会全体の新技術に対する、失敗の許容を許す風土が無い事が、自分で新しい技術を開発する上で、大きな制約になっています。

 もう10年余になりますが日本航空のジャンボ機が、尾翼隔壁の修理の不手際が原因で、その隔壁が飛行中に破壊し、そのため、ダッチロール飛行をした後御巣鷹山に墜落しました。この原因調査の時ボーイングの修理担当者は、アメリカの法制の下で過失責任を取らされることのない状態で、事情聴取が進められました。500人にものぼる死者を出した大惨事であっても、作業者が故意に行ったものでない限り、その過失を責めないという事は、その当事者から正確な報告を得るためのものであります。正直に話せば、罪に問われるというのでは、やはり人間です。どうしても自分に都合の悪いことを話さない様にしようとするでしょう。
 日本では何か事故があると、真っ先に飛んで来るのは警察で、加害者が誰かが第一の調査事項になります。それも大切でしょうが、事故の本当の原因は何かが、広く見た場合その社会にとって最も重要なことになります。アメリカの事故の責任者に刑事責任を取らせないという考え方は、新しい技術を先に立って開拓してきた長年の経験がそこに生きてきているように思われます。

 この事は原子力の分野でも同様でありまして、アメリカの実証済みのプラントを作っているのならいいのですが、既にわが国のプラントは世界最先端のものになっていますし、高速増殖炉などでも、もう全く先達がいなくなっています。
 これからの人類にとって、エネルギー問題は最大の課題の一つであり、それを解決する手段の最も有力なものは、プルトニウムの利用であります。そのプルトニウムをうまく利用するのが、高速増殖炉でありますが、先日の「もんじゅ」の問題で、その進行はストップ状態になっています。確かに温度計の設計、製作に手抜かりのあった事は事実ですが、それでこの開発が止められてしまうというのは、大きな問題であります。
 高速増殖炉の場合、原子力という潜在エネルギーの極めて大きいものであるため、まず実験炉を作り、次に原型炉を、そしてもう一段実証炉を作り実証運転を重ねた上で初めて商業炉に行こうという何段もの予備試験を行い、色々思いがけなく出るであろう問題点を、開発の過程で経験し、解決して行こうと計画されて来ました。この「もんじゅ」は実証炉でもなく、更に商業発電を目的としたものでもありません。これは原型炉であり、問題になった温度計は、商業炉には装着されるものではなく、試験のためにつけたものであります。この原型炉では、この段階でなるべく沢山の問題を出し、それらの解決をしておく事が、商業炉になった時の安全性を高めることになります。
 その思惑通りに進んで来て、予想しなかった問題が出たという、考えていた通りの事になったのに、何故この炉の試験の再開が出来ないのか、どうにも分からないと言わねばなりません。少し不謹慎と言われるかもしれませんが、「もんじゅ」の問題が出た事で、「高いお金をかけて原型炉を作った価値があった」と言う人が一人もいなかったのは、非常に残念なことと思います。

 何かあったら直ぐ駄目と言うのでは、人類の明日は閉ざされたものにしかならないでしょう。