エネルギー問題に発言する会
天野牧男
筆者は現職のかなり長い期間原子力発電を含む発電関係の仕事をして来て、多くの電力会社の方々とお会いする機会がありましたが、この問題について話をした事は一度もありませんでした。ここで述べる話はしたがって全て筆者の推測によるものであります。こういった話は電力会社の方から、発言される訳には行かないという気がしますので、敢えて申し上げるものであります。この考え方が間違っていないと、勝手に確信しておりますが、電力会社の幹部で、若しそうでないという方がいらっしゃいましたら、恐縮ですがご指摘いただきたく存じます。
既に知られている事ですが、我が国の電力会社は私企業でありますが、担当地域では独占的な業務を行うという特殊な立場にあります。その為他の企業にはない責務を持っています。電力会社は自己の担当区域内で、電気が欲しいという所へは、必ず供給しなければなりません。しかしそれさえ果たすならば、どの種類の発電をしなければならないかという事への制約はありません。火力でも水力でも原子力でもかまいません。今話題になっている風力発電などの自然エネルギーであっても、電力会社の経営をおかしくするものでなければ、差支えありません。最近電力事業にも自由化の動きが進み、電力会社でなくても電力の供給が出来る様になりましたが、電力会社の基本的な役割は変わっていないと思います。
従って当然ながら原子力発電をしなければならないという規定もなければ、国からの圧力があったわけでもありません。原子力発電を採用するか否かは電力会社の自身の判断で決められるわけです。若し原子力発電が、世の反対派が言う様に危険なものなら、どうして電力会社が原子力発電を採用するのでしょうか。一般の人々に災害を与えたり、自社の従業員を危うい目にあわせるような設備を作り、万一の時自分自身も責任をとらなければいけないようなものを、どう考えても進める訳がないと思います。そこにはかなり危ないけれど、原子力発電を進めることが、経営者にとって何か大きな利得になるようなものがあるのかと考えられているのかもしれませんが、そんな理由はいくら考えても出てきません。また少し危なくても原子力発電を進めなければ、電力会社としての責務を果たせないというのでもありません。
今運転中の原子力発電所が事故でも起こして、外部に放射能が漏れたり、まして近くの住民が危害を受けるような放射線の被曝を受けることになったら大変です。電力会社の責任は一寸やそっとで償えるものでありません。原子力発電所では、発電所周辺に広大な敷地を設けることになっていますから、外部に放射線の被曝を与えるようであれば、発電所内に居る運転要員などはより酷い被害を受けるに違いありません。企業の経営者にとって、第三者に危害を与える事は重大な問題ですが、自社の従業員の安全も重要な経営のポイントである事は言うまでもありません。そのような恐れのある設備を作り、運転させる訳があるでしょうか。
こういった事が生じれば、また経営幹部が無事であるわけがありません。会長、社長以下責任のある役員は当然退陣でしょうし、刑事民事の訴追を受けることにもなります。
本当に原子力発電が、反対派の人達の言うように、危険なものであったら誰が電力会社の経営者であっても、こんなリスクを負う事はご免蒙りたいと思うでしょう。先に話したように、電力会社は電力供給の義務だけあるのです。原子力発電が危険なら、火力の石油でも、LNGでも、石炭でも電気は起こせます。それならば何故やるのか、どうしてこのことを考えないのでしょうか。
しかし実際に電力会社が原子力をやるのには色々問題があります。原子力発電にまつわる反対運動などのわずらわしさ大変なものがあります。株主総会での怒号に対して、きちんと説明するような対応だけでも、あまり簡単なものとは思えません。そんなに煩わしいなら、止めればいいではないかと言われるかと思います。しかしこれに耐えて、進めておられるのは、電力会社の経営の幹部の方々が、わが国のエネルギーを長期にわたって安全にまた経済的に確保することを考えておられるからだと思います。2百年3百年先はともかく、少なくともここ数十年先を考えて原子力発電を進めて行く必要があるという信念によるものと考えています。
昭和30年代の初め頃、まだ当然ながら環境のことなど問題になってはいませんが、石油の可掘埋蔵量が後僅かであるという予測がでて来た事から、我が国の将来のエネルギー問題を愁いた先達の方々が、原子力への道を開いて行かれました。
この時期我が国の電力業界のトップ、木川田氏を中心とする方々は、我が国のエネルギーの安定的な供給を確保する事を第一義として、この発電システムの開発に着手された事は、周知のことであります。この場合このプラントの建設費や発電コストも問題にはなりますが、より以上に石油への依存度を低下させる事による、原油価格の大幅な変動に対する、ブレーキ役としての役割が、重要な要素となっていました。皮肉な事にエネルギー供給の中心になる原油が、国際政情の最も不安定な中近東にあり、我が国が最もそれに依存しているという現状を考えた時、この判断は極めて妥当なものでありました。
それ以来東西の冷戦の終結など、国際的な政治環境は大きく変りましたが、原子力発電が果たしている、エネルギー供給を安定させるという役割の重要性はいささかも減少しておりません。むしろこれからの地球規模の環境問題などを考えれば、増えこそすれ減ることはありません。
さらに原子力発電の持つ信頼性の高さ、燃料供給の安定性、公害に対する優位性、発電コストの合理性などを考慮すると、これを進めるべきであるという確信は高まる一方です。これからの電力会社の経営は、電力の自由化など、従来以上に難しい局面が出てくると思いますが、短期的なコストの問題以上に、長期のそれを重視した配慮が必要であると考えます。日本といういろいろな面で脆弱な面を多く持つこの国の将来、特にエネルギーの将来を考えれば、この発電方式を進めることが重要であり、国の、また国民の利益に沿うからと考えておられるからだと思います。