第八話

20世紀という時代―日本における世論のありよう

 

エネルギー問題に発言する会

                                天野牧男

 

この20世紀という時代について各種の論議がなされていますが、筆者はこの20世紀は特に我が国がそうでありますが、国際的にもまた世界の歴史の上でも極めて高度に特筆されるべき時代であって、それを確り正確に把握しておかないと、21世紀に対する我々の対応を過つのではないかと考えています。

 

 この20世紀の前半に、18世紀から始まった帝国主義、或いは植民地主義の完全な終焉がありました。かっては自分の勢力を強大にし、経済力を増そうとすれば、その最善の手段は、他国を征服して自分の属国にするか、植民地にするかでした。ヨーロッパの所謂列強国家は競って植民地の開拓に走り、第一次世界大戦が始まる1914年には、世界の陸地の何と84%は植民地であったという報告があります。

 先年イタリアを旅行しましたが、そこで知ったのは隣同士の町が非常に仲が悪い、いや悪かったと言うべきかもしれませんが、相互に積年の恨みを持っていました。自分の力を強大にしようとすれば、先ず隣町に攻め込みます。攻め込まれ蹂躙された所は捲土重来、機会があればと復讐の時を窺っています。フィレンツエとシエナとの間も全くそのようでした。

 英国の発展も東インド会社を中心とする、アジアの植民地化にあった事は言うまでもない事です。西欧の国々の中で一番おそく手を出したアメリカも、ハワイを領有し、フィリッピンを植民地としてその傘下に入れました。明治維新の成功とその後の富国強兵政策によって、急激に力をつけた日本は、アジアで唯一の植民地を持つ側に立とうとして全く遅ればせに大陸に手を出しました。

 もっとも日本が満州に進出したのは、元はと言えばロシアの南下を食い止めようとする、必死の努力の結果でありましたし、当時東アジアで真剣にこの問題に対処したいと考えたのは日本だけでした。そのアジアの中で日本だけが国家の存立をかけて戦った日露戦争に、幸い勝利を得て満州の利権を手中に収めた事が、それからの我が国の方向を決めたと言えるようです。

更に大正から昭和の初期、国内には貧困などから来る社会的な問題が山積していました。これは重要な政治問題でありましたが、その解決の手段として、満州への植民政策が加速され、関東軍の独断で満州を制圧し、満州国の設立の道を歩む事になります。ところが、満州における日本の権益は認めても、日本だけが全てを独占しようとする事を許さない国際連盟の反撃を受けました。昭和8年日本が国際連盟から脱退したのも、その圧力の為であったわけです。

 この時代の日本には、今でもそうですが、そういった国の政策を立てて引っ張っていく人物が先ずいませんでした。リーダーらしい人は誰もいないのに、中国本土への進出、更に東アジアへの展開となって、しまいには誰も勝てないと思っているアメリカとの戦争に突っ走って仕舞いました。現実に戦争を始めた時の総理大臣は東条英機ですが、彼が戦争をやれと言って戦争を始めたのではなくて、もう一つの大きな流れになっていて、例えそれを止めようとしても、もはやブレーキは全く掛からない状態でありました。

 よその国に此れと同様なものがあるかどうか知りませんが、筆者は此の事が日本の持つ問題点だと考えています。日露戦争が終結して、やっとの事で終戦までたどり着いて、小村寿太郎がその苦しい中を、アメリカの援助はありましたが、ポーツマス条約を結んで帰って来た時の、国民の非難は大変なものがありました。日比谷の焼き討ち事件などが起き、暴動が起こされたりたりしました。当時の我が国の積年の恐怖は、ロシアの南下でした。その帰結が日露戦争でしたが、当時のまだ弱小な日本が、その全勢力を傾けて何とか此れに勝った途端に、国民の世論は自国の実力も知らないで過大な幻想を持ち出すようになりました。勿論国民世論はそれだけで成り立つものでなく、言論界の誘導もありました。どうも独裁者の或いはリーダーのいない日本では、こういったジャーナリストに誘導された国民世論が大きく日本の進路を支配して行っているようです。

 石原莞爾などの関東軍の青年将校が、中央の意向を無視して勢力を広げると、それを抑えようとする理性的な動きには、常に新聞を含めた世論は逆らって来ました。第二次世界大戦が始まる直前の、大新聞に支えられた世論は、戦争を避ける為、今まで克ち取って来た権益を捨てて、返却してアメリカの強要に屈するなど到底出来る状況ではありませんでした。

 何故今こんな事を言うかと言いますと、この国の世論のあり方というのは今でもあまり変わらないのではないかと思うからです。最近の政治の世界でも、どうやら秘書問題のお陰で大分収まって来たようですが、例えば田中真紀子議員に対する異常な支持を見ると、

世論の動き、それに影響を与えるジャーナリズムのあり方など、明治や昭和初期と殆んど違っているようには思えません。

 今日の我が国の教育や精神的な荒廃をももたらしたものとして、日教組があげられています。勿論日教組自身に責任はありますが、日教組にあれだけ言いたい放題言わせ、やりたい放題やらせた、それをサポートした国民の世論と大新聞が問題だと思います。民主主義国家なのだから、世論が全てだと言われればその通りですが、日本はこれだけの国家です。それにおそらくある程度の知識レベルの人の割合でも、世界の一二を争うだけのものがあります。そういった多くの優れた人達がいるにも関わらず、子供達の自主性を大切にすると称して、勝手気ままな人間を作ってしまいました。今囲碁の世界で韓国に全く歯が立たなくなっていますが、これはおそらく碁の世界だけではないと思います。技術の分野でも、科学の分野でも間もなく同じ傾向が出て来るように思います。小さい子供に何したいと聞いて、勉強したいという子供はまずいないでしょう。子供には勉強しろと言わなければ駄目なのです。

 将来資源の面でも容易ではない時代が来ようというのに、その時のために何をしなければ駄目だという話が一切なくなってしまったのでは、日本の将来はどうなるかです。間もなく、2050年には世界の人口は90億人を越える事は間違いなさそうですし、人々のよりよい生活への欲求も、決して小さいものではありません。その中で資源が極めて乏しく、食料の60%以上を、又エネルギーの80%、此れは原子力を国内での自給エネルギーと考えた時のものですが、生き延びてある程度の生活レベルを維持して行く為には如何すればいいかを考える必要があります。更に又今最も問題になっている、炭酸ガスによる温暖化を防ぐ為に、実効的に貢献出来るのは、何であるかという事を冷静に見て、その実現を考える必要があります。

 こういった将来に対応出来ない日本を作って来た日教組と、それを支持したジャーナリズムと世論とがあった事を、十分に認識する事が必要だと思います。 

 今この国の知識人の中に、かって社会党を支持していると言わないと、進歩的な知識人と言われないというようなムードがありました。その同じようなムードが原子力発電にもあります。人の前で「私は原子力発電は必要だと思う」と言えない、そういった感じです。ごく一般の数人の人の中で、原子力発電は重要だと言うと、「危険じゃない?」と聞いてくる程度で、真っ向から逆らってはきませんが、その目つきは何か冷たいものがあります。 

危険でないものは役に立たないという話を、少し前に書きました。原子力のエネルギーも作りようによっては、原子爆弾にもなりますが、設計のやりようでは極めて安全度の高い原子力発電所も又やや危なっかしい発電所も設計出来ます。安全度を極めて高く設計した原子力発電所は既に長期にわたる、素晴らしい実績を上げています。そういった事実を意図的に看過して、あまり問題にならないような事を、大きく取り上げて反対運動をあふり、世論を誤った方向に導く恐ろしさを認識していないとすれば、その責任は容易に償えるものではありません。 原子力発電に対する世論の動きと、大新聞の動きもほっておけば、極めて好ましくない方向に行ってしまうのではないかという気にさせられます。戦前の世論は全く世界の流れというものを見ていませんでした。現在も世界の動きや、社会生活に最も必要な食料やエネルギーの将来を読んで、我が国のとるべき方策を定め、それを国民に理解させるだけの事がないと、折角我が国が20世紀の後半に勝ち得た、この繁栄を21世紀のそう遅くない時期に失ってします恐れが多分にあると思います。

 

 大切な事は世の中の大きい流れを注目し、更に科学技術の実情を予断なく理解して、国の将来に対して本当に必要な事を進める事が出来るように、国民に正しい認識を持ってもらうための努力だと考えます。我々のこの「エネルギー問題に発言する会」の趣旨もそこにあります。例え微力であっても、その努力を続けて行きたいと考えています。

筆者は近代日本史や社会心理学などには、専門的な知識がなく、以上の論議も常識として持っているものがベースでありますから、 精緻な専門的な考察によれば、異なった見解が出されるかとも思われます。事実や見方の誤りなどご指摘いただければ幸でありますが、二度とあの狂気の時代のように、国民の世論がブレーキを失って暴走していくような事になって、国の将来に禍根を残さないようにだけはしたくないと思います。

20世紀の後半の50年、世界は全く新しい国際的な経済構造ひいては政治構造を作り上げました。それに我が国は大きく貢献して来ました。次回はそのあたりの事を論じてみたいと思います。