もんじゅに関する読売社説に関連して

平成15年1月31日

林  勉

 

もんじゅに関する判決について、読売新聞は1月30日の社説で「疑問の多いもんじゅ判決」として下記に示す論説を発表している。

 

 「核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」を巡る行政訴訟で、名古屋高裁金沢支部が、国の設置許可を無効とする判決を出した。 一審の福井地裁判決は原告・住民側の訴えを退け、国の安全審査の妥当性を認めていた。180度の逆転判決である。

 国の安全審査を経て建設された原子炉に対し、設置許可無効の判決が下されるのは日本で初めてだ。

 原子力政策の根幹にもかかわる重大事である。国側が上告するのは当然だ。最高裁での十分な審理が求められる。

 「もんじゅ」は、限られたウラン資源の有効性を図る核燃料サイクル政策の要と位置付けされている。核燃機構の前進である旧動力炉・核燃料開発事業団によって建設された純国産炉だ。

 試運転中の1995年にナトリウム漏れを事故を起こして以来、地元などの反対で運転を停止したままだ。

 このため裁判では、設置に先立ち原子力安全委員会などが行った安全審査の妥当性が、主な争点として争われた。

 判決は、ナトリウム漏れ対策ばかりでなく、蒸気発生器など他のシステムでも安全審査に欠陥があり、重大事故が起きる危険性を否定できない、とした。

 判決について疑問を感じるのは、技術の基本についての配慮に欠けるきらいがあるのではないか、という点だ。

 原子炉には「絶対安全」が求められるとするかのような考えが、判決の随所にうかがえる。

 潜在的な危険性の付きまとう原子炉に、できる限りの安全性が求められるのは当然である。だが、リスクがゼロの工学システムは、ありえない。

 リスクの存在を認めた上で、いかにそのリスクの低減を図るか。経験の蓄積を既存施設にいかに生かしていくか。

 そうした努力を認めなければ、そもそも新たな技術開発は成り立たない。

 このような視点も忘れずに、「もんじゅ」の設置許可を無効とする判決を下したのだろうか。

 過去には、国や事業者が「絶対安全」を強調する説明をした時代もあった。これが原子力不信を招いたとの反省は、先進各国に共通する教訓である。

 昨年の東京電力の検査不正問題では、検査の現場に新品同様という「絶対」を求める弊害が、まだ残されている実態が明らかになった。

 今回の判決が確定すれば、原子力政策ばかりか技術開発全般にも影響が及びかねない。国は最高裁の場で、十分に説明する責任がある。」

 

 私はこの見解に全く賛成である。