東京電力問題に思う

                                H14.9.6

                                    石井 亨

 今回の問題は社会的信頼を裏切ったという点において、南社長の発言を借りれば「痛恨の極み」です。そして、この影響は何処まで及ぶのか?自由化、燃料サイクル、国策の中での原子力の位置付け、電力再編成等々、また、原子力の信頼回復は可能か?等思いは尽きません。しかしながら、この事件が益々社会的な問題としてエスカレートするであろう状況下にあって、今必要なものは、本件についての技術的安全性に対し社会一般の共通認識を早急に形成することではないでしょうか。

 問題発生後、高校時代の文系の友人から電話があり開口一番「おい、東電事件、あれは本当に安全なのか」と問いかけられました。こちらから「技術的には安全だ」と答えたところ、「それを聞いて安心した。しかしデータ改ざんは許せん。」と言って電話を切りました。

 その時、合わせて友人に「原子力の安全はシステムで保証している。個々の機器が壊れても原子力プラントの安全は守られるようになっている。マスコミは兎に角トラブル程度でも事故と言う。従って世間一般で言われる事故には「安全とは関係ない事故、此が大半」「機器の損傷で安全の信頼性は低下するがプラントの安全は損なわれない事故」「安全の仕組みをフル稼働して安全を守る事故」がある。」と言ったものです。

 さすがに友人は「よう判らん。」と言いつつも「事故にはいろいろあって、安全に関係のない事故もあることは判った。」と言ってくれました。

 さて、話を元に戻して、シュラウドの損傷ですが、原子力保安院も東電も技術的には安全と言っていますが立場上もう一つ説得力がありませんね。やはりここは原子力安全委員会の出番ではないでしょうか。そして安全委員会はあくまでもシュラウド損傷の技術的安全性に絞って見解を示すべきです。

 この場合避けるべきは原子力屋特有の持って回った論理ではなく、対外的にはクラックの長さを機械力学的な立場で判断し(勿論クラックの幅、深さ、当該部特有の進展速度なども勘案するのは当然ですが)大丈夫だとか、壊れるとか簡潔に言えばよいのではないでしょうか。

 更に、原子力安全保安院は運転再開、運転継続のために、取り敢えず、今までの知見だけでシュラウドに特化した維持基準を早急に策定し、内容を公表すべきでしょう。

そうしなければ運転を止め点検中のプラントを再び立ち上げることは出来なくなるのではないでしょうか。

以上