朴論文”原子力発電所の事故被害額試算”について
エネルギー問題に発言する会
石川 迪夫
朴論文に目を通しました。
大飯原子力発電所で事故が起これば、460兆円にも登る被害が出るとか、話の壮大さに釣られたマスコミも有ったようですが、大分割引しないといけません。以下のべるように、文献の誤用や勝手なつまみ食いが幾つか見られます。
1)朴氏の被害額計算の基礎として使用しているWASH−1400について、まず調べておきます。
WASH−1400は原子力発電所についての世界最初の確率論的安全計算です。算出された事故発生確率の絶対値に対し、計算の持つ不確かさを過小評価しているとして、その信憑性に疑問が投げかけられたものであることは、朴論文の指摘通りです。NRCが採用しなかった理由は、地震と誤操作に対する確率計算の検討不足ですが、TMI事故時に放射線による影響被害が予想外に少なかった事実から、WASH−1400が採用していた事故時の放射性物質の放散量および形態(ソースターム)についてのデータについても疑問視されました。しかしながらWASH−1400の根幹である計算手法全体は概ね妥当と認められ、その後の確率論的安全評価の基礎となっています。朴論文が被害計算に使用していたSEOモデル自体も、WASH−1400の手法を踏襲して作られたものです。
WASHー1400発表の後チェルノブイリ事故が起き、
”設計基準事故(DBA)を越える事故”(シビアアクシデント)についての研究検討が原子力安全界の関心事となり、この30年間広く世界で実施され長足の進歩を遂げました。その中心が確率論にあることは論を待ちません。確率計算に必要なデーターベースが整備され、WASH−1400で問題となった不確かさも改善され、ソースタームについても多くの実験的事実が得られました。今日の知見を概述しますと、注記したようにWASH−1400当時と比較して事故の発生頻度は低く算出され、事故状況に置ける沃素やセシウムの挙動形態が明らかになった結果、格納容器から放散される放射性物質のソースタームは一桁ほど少なくなっています。
朴論文の最大の欠陥は、このような事実、学問の進歩を無視して、昔々のWASH−1400に書かれた、疑問のあるソースタームをそのまま使っている所にあります。鬼面人を驚かす460兆円という数字が出たのはこのためです。ソースタームについての今日の知見を基に計算すれば、一桁くらい低い数字が出ることでしょう。更に、この種の推定計算には必然的に付きものの、仮定の非現実性(例えば風向きが一定して長時間続く)を加味すれば、実体はさらに小さくなるでしょう。
2)朴論文の不思議さは、WASH−1400を批判しながら、自分の計算にはそのソースタームを無批判に使用している点です。
1)で述べたように、このソースタームこそ過去30年の研究によって改訂された命題です。NRCの発表したNUREG−1150と言う論文には、この事が明確に記載されデータが図示されています。WASH−1400と較べて1/10ほど小さくなっています。所で、朴論文はこのNUREG−1150を紹介し、作業内容について批判しながら、何故かこのNUREGデータを使っていません。論文を批判するのですから、朴氏は当然このソースタームの改訂を読んで知っていた筈です。ちなみにNUREG−1150が発表されたのは1990年です。誰が考えても75年発表のWASH−1400より信用できるデータです。これが朴論文の不思議第一号です。
3)不思議の第二は、ドイツの研究3つを比較した表ー1の解釈です。
被害総額に10倍、事故発生確率に300倍もの差があり、これが外部費用の差となって現れると述べています。これほど差が出る代物だから、確率論による推定には信が置けないとの主張の根拠らしいのですが、表をよく見ると左欄の結果だけが傑出して大きな数値です。他の二つは比較的似通った数値です。普通の見方をすれば、左欄の数値には問題があるのではないかと疑うところでしょう。いやそれよりも、たった3つのデータ比較だけから上記のような解釈を出すのは少し強引で、憚られるはずです。このように述べたのは、論文がOECD・NEA2000と言う報告書の存在にふれ、そこに同種の研究11個が有ると述べているからです。何故朴氏は、この11のデータを明示して、比較検討の上結論を出さないのでしょうか。これが不思議第2号です。
4) 細かい専門的な問題について言えば、論文にはまだまだ沢山の疑問があります。
PWR−2と言う類似のソースタームを持つ複数の事故のグループ名称を、決定論と称して採り上げる所などは首を捻ってしまうのですが、だがそんな事を一々述べ連ねても退屈なだけです。ところで朴氏は確率論は関心がないから決定論で計算したと、論文の冒頭で胸を張って書いていますが、決定論とは”エイヤア”と気合いで物事を決めることを指すものだと言うことを、知った上での主張なのでしょうか。決定論は明確に物事を決済決定する上で有用です。例えば物を作ったり買ったりする上で必要ですが、決定(値)そのものに学問的な意味は有りません。お金の支払いは決定論ですが、予算の作成が政治経済社会情勢を様々考慮してバランスを取ってなされるように、確率論は安全における総合的な配慮を決める上での手段です。それは経済学が決定論だけで成り立たないのと同じです。エイヤアで事故の被害額を決められては堪りません。国民が迷惑します。
以上で論文の批判を終えますが、全体として言えば、1960年の原産での試算(計算機のない時代の試算です)や75年のWASH−1400、いずれも随分昔の計算結果を槍玉に挙げての提案ですが、この論文自体も今日の研究成果を(発表済みの物は沢山あるのに関わらず)少しも取り入れておらず、その意味では五十歩百歩です。批判は猿の尻笑いと言われても仕方ないでしょう。いわば徳川時代の寿命や病気を基に現代の生命保険額を論じたようなもので、こんな発表に飛び付くマスコミの不勉強、調査不足は、全く嘆かわしいと思います。
注記:朴氏は確率論に関心を置かないと言っていますので、批判は確率計算には触れずに行いました。だがそれだけでは原子力の安全性の現状に対して舌足らずな話と成りますので、朴論文で採り上げられたPWRについてWASH−1400とNUREG−1150の結果を比較しておきます。両文献が計算対象としたサリー発電所の場合、放射線被曝による急性死亡者が数十人以上出る事故発生頻度は、NUREGではWASHより2桁低く、また10億年に1回程度の頻度の事故による急性死亡者数は、WASHでは3000人ですがNUREGでは10人程度となっています。また、晩発性がん死亡者が同数になる事故の発生頻度は一桁、頻度が同じ事故における死亡者数は1/3に、いずれも低くなっています。計算結果にこのような違いが出た主要な理由は、ソースタームの低下にあるとされています。