日本のエネルギー政策論議の視野狭窄性を憂う

                         金子熊夫 (外交評論家)

 

筆者は、10月半ばから2ヶ月間の予定でベトナムに来ており、現在首都ハノイにある国家社会・人文科学研究委員会の日本研究センターで客員教授として「日本の外交政策」に関する講義や講演を行っておりますが、外から見ていて、最近の日本国内の状況には大いなる不安や疑念を感じますので、この際、忌憚の無い私見を明らかにしておきたいと思います。           

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わが国の原子力政策は、国家のエネルギー政策の根幹に関わるものであり、そのような国家的、大局的な視点から考えるべきであることは、改めて申し上げるまでもありません。私は半生を外交分野で過ごし、エネルギー問題にも常にそのような立場で関与して参りましたから当然かもしれませんが、それにしても、最近の日本におけるエネルギー関係の論議、とくに「東電事件」以後の原子力発電に関する議論は、あまりにも国内的視点に偏っており、視野狭窄的としかいいようのない状況に陥っていると思われ、その点に関して深い憂慮と危機感を感じております。

まず手始めに、国際政治の現状を一瞥してみましょう。

目下米国によるイラク攻撃問題が全世界の注目を集めております。当面イラクが国連安全保障理事会の決議に基づく国際査察を全面的に受け入れるか否かが問われていますが、あくまでもサダム・フセイン政権自体の打倒を狙う米国は、最終的には単独ででも対イラク武力行使に踏み切る構えを崩しておりません。

その米国と同盟関係にある日本としては、問題の平和的解決のために、引き続きあらゆる外交努力を尽くすべきですが、他方で、最悪の事態をも想定した対応策を固めておく必要があります。しかるに、外から見ておりますと、日本人の無関心ぶり、無防備ぶりには大いなる不安を禁じ得ません。とりわけエネルギー安全保障への配慮があまりにも欠如していると思われます。

周知のようにイラクは、サウジアラビアに次ぐ世界第二の石油埋蔵国であり、主要諸国、とりわけ米露両国は「フセイン以後」の権益に鎬を削っております。安保理決議採択の裏にもそうした各国の打算と駆け引きが絡んでいたことは疑いありません。膨大な人口を抱え、エネルギー需要が急増中の中国も、独自のエネルギー戦略の下で、積極的な対中東外交を展開しております。

他方、米国のイラク攻撃については色々なシナリオが考えられます。もし11年前の湾岸戦争のように比較的短期間で終了すればよいが、もし長期化し、イスラエル、パレスチナ、さらには他のアラブ・イスラム諸国をも巻き込んだ大規模紛争にエスカレートしたり、戦火がサウジアラビア、クウェート等にも直接及ぶような事態となれば、中東の石油供給能力に重大な支障が生ずる危険性があります。

そのような緊急事態を予想して、米国はつとに、国内油田・ガス田の開発促進と平行して原油輸入先の多角化に力を入れており、その結果原油輸入における対中東依存度は20%以下に抑えられています。グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長も最近、イラク攻撃により中東石油市場が混乱しても米国経済が打撃を受ける惧れはないと明言しています。

これに対して、石油のほぼ100%を海外に依存する日本は、30年前の石油ショックで人一倍痛い目に遭ったのに、昨今は石油が本来的に「戦略商品」であることを忘れ、ただ安いから、便利だからという理由で中東原油に殺到し、その結果対中東依存度は30年前の水準を越え、90%近くに達しております。確かに現在の日本には官民合わせて約160日分の石油備蓄があり、国際的な緊急融通制度も整っているので、直ちに困ることはないでしょうが、もし異常事態が長引けば無傷では済みますまい。原油価格が暴騰すれば、不況に喘ぐ日本経済には重大な追い討ちとなりかねません。

 他方、地球温暖化防止のためには、二酸化炭素を多量に排出する化石燃料の消費量を削減しなければならず、京都議定書批准に先立って3月に政府が策定した「地球温暖化対策推進大綱」では、対策の一つとして、今後10年間に原発の3割増大が必要としております。

 ところが、頼りの原子力は、今般の東京電力事件で大打撃を蒙りました。自業自得と言えばその通りかもしれませんが、現実問題として、目下東電ほかの電力会社は半数近い原発の運転を停止中で、不足分は遊休火力発電所をフル回転させて補っております。冬場を迎えただでさえ石油需要が増加しつつありますが、そこへイラク攻撃による石油市場の混乱が重なったら、どういうことになるでしょうか。

 

問題は、勿論イラク攻撃というような目前の、一過性の問題だけではありません。世界の、とりわけアジアの現状と将来動向をつぶさに観察すれば、今後益々エネルギー需給関係が逼迫し、早晩石油、天然ガス等の化石燃料資源の配分を巡って各国の間で激しい争奪戦が起こるであろうことは火を見るよりも明らかです。その際、原子力が、結局のところ、最も頼りになる代替エネルギー源であることは、これまた否定できないところです。これは個人的な、好き嫌いを超越した事実の問題です。

しかるに、今回の東電事件がきっかけとなって、福島、新潟、福井県等の原発所在県だけでなく日本国民全般の間に原子力否定のムードが拡大すれば、日本の原子力は壊滅的状況に追い込まれることは必定です。若い研究者や技術者も育たなくなります。そのような状況を放置したままで、もし21世紀のある時点でエネルギー危機が現実のものとなり、やはり原子力に頼らざるを得ないこととなっても、もはや原子力は役に立たないということになります。ご承知のとおり、原子力は、火力発電等と基本的に異なって、小回りが利かず、一旦放棄したら急に復活できるものではなく、また一定数の研究者や技術者がいなくなれば安全で効率的な運転は出来ないからです。

60年前、大東亜戦争中の日本では「油の一滴は血の一滴」といわれました。30年前の第1次石油ショックで、日本人は、自国のエネルギー脆弱性をいやと言うほど痛感させられました。そのように昔も今も変わらぬ「資源小国日本」にとって、石油代替の柱である原子力発電の重要性は、好き嫌いに関わらず、何人も否定できないはずです。 

そうであるならば、この際、一日も早く、安全性を大前提とした原子力の復活を図り、エネルギー安全保障を確保することこそ国家的急務であると言うべきでしょう。

そのための具体的な方策については、この小論では詳述することが出来ませんが、実は、そのような各論的なことより、いま日本人に最も強く求められていることは、従来のような国内的、短期的な視点からだけではなく、真に国家的、大局的見地に立って、自国のエネルギー安全保障に思いを致し、その上で苦しくとも正しい選択を行う理性と勇気――まさに小泉首相の言う「米百俵」の精神――であることをはっきり自覚しなければなりません。この最も基本的なことを、遥か南十字星の下、東南アジアの一隅から祖国に向かって声を大にして訴える次第です。                   (2002.12.02)   

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金子熊夫

外交評論家、エネルギー環境外交研究会会長、(財)日本国際フォーラム理事、(財)地球環境センター理事、(社)ベトナム協会理事。元外交官、国連環境計画(UNEP)アジア太平洋地域代表、初代外務省原子力課長、東海大学教授。 著書は、「日本の核・アジアの核」(1997年、朝日新聞社)、「問われるエネルギー戦略:日本は油断していないか?」(2002年、「世界週報」)ほか。