FBR を今一度考える
平成15年2月13日
小林
弘昌
<はじめに>
本小紙は、小生のかっての職場(日立製作所・日立工場・原子力開発部)の一先輩から問い掛けられた命題、「高速増殖炉(FBR)は我が国の将来に必要か?」に対しての私の見解を示すものである。
ただ、真正面からの議論ではなく、FBR を許容するに足る土壌が日本にはあるのか?」という Paradox 的な論旨になっている。
1. FBR が日本に必要であることの認識の土壌について
1-1.
Geopolitics (地政学)的側面からの土壌 <正論の部>
先ずは、原子力発電そのものの日本における維持・継続の必要性の議論は、主としてGeopolitical
な観点からのものが、既に多方面でなされている。
それらを整理すると、
(A) 資源論的観点 ・・・ 小資源国日本と、化石燃料の枯渇からの議論。
(B) 世界の人口増加とエネルギー Share の観点・・・ アジアを中心に急増するであろと見られる世界の人口とその際のエネルギー不足の観点からの議論。
(C) 同じく、世界の人口増加と食料不足の観点・・・一年間に地球上で生産しうる穀物の量は、降雨量(耕地面積に非ず)から制限を受け、100
億 Ton が限度である。
しこうして、 一人当たり1 Ton/年 の穀物が必要であることから、地球上に生存しうる人口は、高々 100 億人(現在、65億人)であり、50年後の人口には耐えられない(東大生研教授)。したがって、海水の淡水化(Desalination)が必要となるが、それには、原子力が最も適しているとの議論(IAEA)。
(D) 環境保全の観点・・・いわゆる CO2 発生抑制からの議論。
等であるが、(A) に、さらに「U 資源の近未来の枯渇」を加えるならば、FBR
は、勿論、(B)、 (C) & (D) もその対象範囲となる。
そして、その議論は、そこで用いられるデーターの拠って立つ根拠の科学性、合理性、すなわち、信憑性の問題を若干は含むものの、筆者は正しい議論と捉えている。
尤も、「世界の人口の急増」については、「自然界の神は、あの手この手を使って、人類に試練を与え、人口の急増を Control している。エイズ然り、新型インフルエンザしかりである」と、まことしやかに論ずる学者もいるがーーー。
然しながら、将に然しながら、我が国においては、「Geopolitical」な観点から物事を捉える習慣、或いは
Training が完全に欠如していると思われる。
戦前の大学では、「地政学」なる講座が存在した(といわれる)が、戦後全く姿を消してしまったのも少なからず影響があるとみる。
このことは、戦後60年近く、日本政府や、官庁(特に外務省)がとってきた、日本の姿勢や外交問題への対処に、「我が国の地政学上からの判断」が微塵も伺えなかったことからも明白である。
ちなみに、今、騒然としている、米国のイラク攻撃近しの問題も、米国の表向きの主張は、「テロ撲滅」「アルカイダ殲滅」「大量破壊兵器の破棄」であるが、世界の産油量の 40% を占める、サウジ、イラク、クエートの地域で、米国の意のままにならないイラクのフセイン政権を倒し、結果として「イラクの石油資源を意のままにしたい」との「米国の
Geopolitics」によることが見え見えである。( 武器・弾薬庫を数年に一度、棚卸し、国内の兵器産業の梃入れをする、との穿った見方をする人もいるが。)
上述、(D) は、「何故 Geopolitics
の範疇に入るのか?」との疑念をもつ方もおられるかもしれない。これは、本来 Global Standard に属するものであるが、米国の「京都議定書からの脱退」は、「米国の
Geopolitics 」そのものであろう。
世界の先進国は、一見、Global Standard に従う顔をしながら、その実、自国の「Geopolitics」で、陰に陽に、凌ぎを削っているのである。
と言うことで、「Geopolitical な側面」から、「FBR が日本で必要である」との論拠は正しいと思うが、それを受け入れる土壌が日本には残念ながら出来ていない、と断じざるを得ない。
ある先人が、「高速増殖炉の『高速』を、『開発、設計が高速に出来る』と誤解している方がおられるのではないか?」と諧謔的に揶揄されたことがあるが、蓋し、日本の土壌の現状をいみじくも言い表していると思える。
如何に情報化の時代に突入したとは言え、日本が島国である地理的な条件を鑑みる時、「地政学」的見地で日本人が思考できるのは、半世紀後位になろうと思われる。
1-2. 日本の現在のエネルギー、経済情勢からの近視眼的土壌 <逆風の部>
この項では、下記の因子が存在する。
(E) 国内のエネルギー(電力)の需給の観点・・・ 東電問題から発した電力供給不安を別にすれば、そして、それが解決すれば、「電力がだぶついている」状態であること。
この状態は、景気低迷が継続する間は変化しないと思われる。
そして、その景気状況の本質をなす2次産業、つまり、製造業の活気が、アジア諸国の「安価な労働力と安価な土地と電力」からくる攻勢によって、容易には回復し難い、と見るべきであろう。
(F) FBR の建設コストの観点・・・火力発電はおろか、軽水炉に比べても、現状、極めて Costly
であるという問題。実証炉計画では、FBR 実証炉1号機で、(軽水炉 x 1.5)以内の設計検討が真剣に行われ、少なくとも Paper 上では、それを Clear
したのではあったがーーー。
(G) 原発からの「ごみ」(Radioactive Waste)の観点・・・FBR だけの問題ではないが、FBRが成立するためには、再処理が必要であり、そこからの
Waste も上乗せして考えねばならない、との議論。勿論、再処理により、最も核エネルギー的に有効な Pu を回収し、そのことで、生物学的に最も有毒である Pu
を同時に消滅させるとの議論よりも、「 Pu は核兵器に繋がる」に短絡する議論が優位を占める傾向が強い日本。
(H) 1/28 経団連奥田会長の発言・・・「原発(FBRに非ず)依存度の見直しの必要性」の談話。日本の経団連の会長が、この時期にこの様な発言をする無神経さに呆れ果てた人は、小生だけではない筈。本紙の評価の対象外とする。
等の観点からは、やはり、現在という時間切断では、「FBR受け入れ許容の土壌」は肥えていないと言わざるを得ない。
1-3 FBR(Na 冷却の) は、日本人に馴染む土壌はあるのか? <やや本音の部>
'95/12 の "もんじゅ”の Na 漏えい事故発生の際、私は、FBECに勤務していたが、事故後の、特にマスコミを中心にした騒ぎの大きさを目の当たりにして、つくづく思ったことは、「火事の起きる施設は日本では、一般市民には受け入れられないのではないか?」ということであった。
日本人が古来から、恐れおののいていた、4大厄事の、「地震」、「雷」、「火事」、「親爺」の3番目に位置する[火事]が起きる施設は、簡単には日本人の思考・判断の許容範囲の中には入れて貰えないのだなあ、と。
FBR の開発では、日本よりも数歩先んじていた仏国の Phenix
炉や、Super Phenix炉において、20数回にも及ぶ Na 漏えい事故を起こし、その内で数回に及ぶ Na 火災 を起こしているが、石、煉瓦、モルタルで作られた家で生活してきた欧州人は、それを許容してきた。しかし、木、竹、藁のすぐに燃え尽きる家(現在も一般住居は同じようなもの)で何千年も生活してきた日本人とでは、「火事」に対する感覚がまるで異なるのではないかと思える。それが、コンクリートと鉄で成り立つ構築物であるか、ないかはお構い無しに、である。
仏 FBR で何度か起きた、Na 火災が、”もんじゅ”で唯の1回だけで済むとは、工学屋としては、とても思えない。確かに、日本のメーカーの製造(物造り)技術は欧米のそれと比べると数段上かもしれない(筆者が
仏UP-2 再処理工場の廃液タンクの溶接線の仕上がりをつぶさに観察した範囲においても)。しかし、'95/12 の事故の発端である、Thermo-Couple
の「R を採らない Sheath」製造技術も日本の技術そのものでもある。
FBEC時代に、私は、開発機構幹部によく申し上げたことであるが、「”もんじゅ”再開への諸活動と平行して、『運転再開後も、一寸したNa
漏えいは起こるかもしれないが、それは大事に至らず収束できるような改造を行うので、“Na が漏れた”、“部分的に火災が起きた”ことで騒がないでほしい』との説明も行って頂きたい」旨の話を何度かした覚えがある。
しかし、それが行われた形跡は何もない。
尤も、これは、文字通り ”言うは易く”の部類に属することで、「“もんじゅ”は、また何時か、火災が起きますよ」などとの説明は、とても出来なかったとは思うのであるが、
技術者も含めて、「設備改造後の”もんじゅ”では、Na火災は起こらない、起こりえない」との仮想神話をまたまた作ってしまっていることも否めない事実である。これを許してしまっている土壌を私は極めて遺憾に思うのである。
しからば、一体どうすればよいのか? はっきり言って、私は解を持たない。ただ、冷却材である、高温
Na が、少量漏れても、空気中の水分と過激に反応し、一部的にせよ火災を招く、Na 冷却型炉を、上述した土壌しか持たない日本国内で継続することは、FBR にとって、将来の道を自ら閉ざすことになりかねないのでは、とも危惧する。
半分冗談、半分本気で言わして貰うなら、「Na 冷却型 FBR を継続開発するのであれば、ロシアへの経済協力の一環として広大なシベリアの地に 300Mwe 1台、600Mwe
1台を日本の金で作り、電力事情が疲弊しているシベリア各地の電力需要に供するとともに、Na 型炉の性能を、日/露共同で、徹底的に追求する。そして、その見返りとして、北方4島の返還を求める」というような、政治・外交を展開してもらいたいものだが、「地政学」の”いろは”も知らぬ日本政府ではとても無理な事であろうし、巣鴨の独房に蟄居する宗男氏では少しばかり、Beyond his
Ability のことであったろう。
"もんじゅ"の Na 漏事故以降、「高速増殖炉サイクルの実用化戦略調査研究」の場において、燃料形態、冷却材形態の再評価が行われている。冷却材としては、Na
が、その物性上の特性により、熱移送並びに、低圧システムが採用可能の観点から最も優れた冷却材であるとの位置を失ってはいない。そして、筆者も含めて、技術者は、「Na
が漏れて何が問題か? Na 火災が起きて何が問題か?速やかに消火できれば問題はなかろう」と主張したいところであるが、"火災"が起きる、Na
冷却型 FBR は、現状の日本の土壌には馴染まないのではないかと。 He(Gas) 或いは、Pb-Bi 冷却型の FBR の開発を目指すべきではないだろうかと。
2. 最後に”もんじゅ”の今後について<現実問題の部>
2-1. 何が何でも、「上告」訴訟に勝訴しなければならない。
これについては、多言を要さないところである。上述
1-3.と、少し矛盾すると取られるかも知れないが、それとは別次元の問題、つまり、「違法の明白性を問わない」としている異例な判決姿勢、『変更申請』に対する安全審査が開始される前に、結審し、且つその判決で「安全審査の全面的やり直し」を結論着けている大矛盾に対しては、少なくとも闘わねばならない。
控訴側となる、METI,安全委員会、開発機構は襟を糺して誠実に対応すべきである。
2-2. 開発側として、充分に留意しなければならない観点。
(1)<技術的留意点>
'95/12の事故で停止後、既に 7年以上が経つ。「上告」、「勝訴」を勝ち得て、「工事認可」後、「改造工事」「試運転」にはさらに2,3年は必要であろう。
つまり、停止後10年経過した際の設備面から、機器材料の問題、特に、燃料、そして、冷却材の部分的循環は継続しているものの、Stagnant領域での腐食の可能性はどうなのか?
が、最大の留意点であり、試運転前に、実機に密着した総点検が必要であろう。
(2)<体制的留意点>
大きな問題は、「"もんじゅ"に精通した技術者や、研究者 の Project
からの離散」である。これは、特に、FBR 事業での生業が極めて厳しい状況にあると見られるメーカー側に多いと思われる。国が十分に支援する必要があろう。
また、意識改革も含めた機構改革がなされた、開発機構においても、事故直後に巷での論評の中に見られた、「最先端技術に
Involve している との自負が、昂じて驕りになり」また、「同時に、指示・命令系統の不透明さと、Last Man 意識の希薄さがみられた」と言うような体質は、一掃されていることが望まれる。
− 以上 −