大飯3号の事故被害額に関する論文について

エネルギー問題に発言する会

神山 弘章

1.WASH-1400について

  石川先生が適切なコメントをされているので,私は何ものべることはない。

 

2.仮想事故について

  「重大事故」、「仮想事故」と言う言葉はわが国の原子炉立地審査指針の中で使われており、以下の様に定義されている。

     重大事故:敷地周辺の事象、原子炉の特性、安全防護施設などを考慮し、技術的見地からみて、最悪の場合には起こるかもしれないと考えられる重大な事故

     仮想事故:重大事故を超えるような技術的見地からは起こるとは考えられない事故 
 原子炉立地審査指針では原子炉の立地の摘否を判断するために仮想的な事故を想定し、その地点の気象条件(卓越風向、大気安定度)、周辺の人口などを考慮して事故の際の被爆量を判断の目安にしている。原子炉が出現した初期には事故の実情が充分分っていなかったので、安全を確保するためには出力に応した隔離距離が必要と考えられていた。非居住地域、低人口地帯などはこの考えに基づいている。

    仮想事故の放射能放出に際しては,その時原子炉が保有している希ガスの100%、よう素の50%が放出されるとしている。これは裸の原子炉が臨界事故を起こした条件に近い。すなわち原子炉圧力容器、格納容器、安全系などの存在を全く無視した条件である。すなわち設計基準事故(DBA)の条件ではない。DBAでは設計によって評価が異なる。例えば、ABWRでは冷却材喪失事故は考えない。

     したがって,仮想事故想定のデーターを用いて現実の原子炉の安全性を評価することは意味がない。事故被害額を算定したいなら一般事故のデーターを用いるべきである。立地審査では仮想事故における原子炉周辺の各方位について被爆量を計算している。原子力公開資料室へ行けばわが国の全ての原子力発電所の資料が見られる。仮想事故の被爆量に適当な係数を掛ければ損害額が得られるが、これは現実の事故評価とはかけ離れたものである。重さの議論をしている時に長さを論ずるようなものである。また、判断の目安についても現時点では検討の余地がある。

 

3.説明責任

  論文に誤りがあれば、直ちに指摘する必要があるが、訂正されない場合には第三者には全く分らないので、経過を公開することが必要である。

  世の中には絶対安全は存在しない。通常、10-6以下の事象に対しては費用対効果より無視される。(2001年における交通事故による死亡は9.8×10-5

    旧ソ連の重戦車のような車でドライブしている訳ではない。一般の人々にはあらゆる機会を利用して現実を理解してもらうことが必要である。個々の表現に余り神経質になることはない。また,感情的な反論は逆効果になる。

 

4.メディアリテラシー

  1本のペンは無実の罪の人を救うことが出来るが、また一般大衆を予想外の災難に陥れることも出来るのである。第2次大戦の初期の頃の東西の報道を見てみよう。

  人間は必ずしも完全ではない。この前提で原子力は進められてきた。どの社会にも例外はある。学者にも、技術者にも、経営者にも、裁判官にも、それを見分けることが生き残るために必要である。“書を読みてこれを悉く信ずれば書を読まざるに如かず”

    メディアは文科省の広報部でもなければ公の教育機関でもない。株式会社であることを忘れてはならない。一般に流れている報道全てが真実とは限らない。メディアは読者、聴取者に敏感である。