東電問題の今後に憂う

平成14年11月10日

松岡 強

 

10/17のニュークレオニクス・ウィーク紙(原子力業界紙)に「ドイツでは、原子力発電所の安全文化が電力会社による利潤追求や経済的圧力によってではなく、政府の反原子力政策によって脅かされている」との記事があった。

 「ドイツの原子力業界は”第一世代”が退職して熟練従業員の減少に直面しており、同国の法律で定められた原子力からの段階的撤退のために若者がこの業界に就職することを思いとどまっているだけでなく、”政治的な”明らかな偏見により、発電所の運転員の安全意識も低下している」とのことである。また、「安全文化の確立のために規制側も電力会社も問題の再発防止に努めてきたが、従業員は原子力反対派である緑の党の政策目標を重視する上級規制官からの攻撃を不当に考えており、これが著しく安全文化確立に逆効果となっている」。

 さらに、「政治家は電力会社と政府の”合意”にはあまり留意しないが政治的成功には熱心であり、日常業務においては実際の技術的問題が原因ではなく、政治家が国民やメディアの受けを狙うという意図から生じた問題が数多くある。このような雰囲気の中で、発電所所員は安全文化が求めている”公正で開かれたコミュニケーション”を支持するよりも、物事を自分達の中に留めておいて、発電所の規制官が命じる懲罰的な運転停止から守ろうとする傾向がある」と指摘している。

 今回の東電問題もこのようなことが遠因になっているのではなかろうか。このドイツの状況を我が国に置き換えてみると、わが国では緑の党のような原子力反対派の政治的な力は弱いが、マスコミが誇大報道するのでその影響力はドイツと似たようなものであろう。そのために反対派の意見が少数にもかかわらず世論を形成しているのが現状である。そうなると国民やメディアの受けを狙う政治家が出てくるのは世の常である。特に、原子力立地の知事が国の血税を地元への利益誘導のためにそのような行動をとっているのは嘆かわしいことである。

 問題は、今後の東電問題に対する対応である。事の本質をわきまえないで、ただマスコミ受けを考え、規制の強化をやるとドイツの二の舞になりかねない。現状はこのような流れになりつつあるようで非常に心配である。悪意でしたことではない事件に対しては十分にその本質を見極めた上で対応を取らなければますます悪くなるものである。決してマスコミ受けを考えてはならないのである。

 原子力発電所で働く人達が納得いくような、国民から感謝されるような雰囲気の中でこそ、真の安全文化というものは育まれるものである。我々国民は電気をふんだんに使いながら電気を作る人たちに感謝の態度を示したことがあるだろうか。安全文化、安全の風土とは皆で作り上げていくものである。規則で縛るのではなく、信頼と感謝の中でこそ作り上げられるものである。