平成16年4月19日(改1H16/4/20)
河野太郎様(衆議院議員・自民党)
平成16年4月15日の朝日新聞の私の視点で「原子力政策 負担重い再処理は中止を」(末尾添付)ということで投稿されていますが、我が国の根幹であるエネルギー政策について主として経済性より判断して反対を述べられています。これに対し、再処理を含む原子燃料サイクルについての誤解があるのではないかと思い、私の意見を述べたいと思います。是非これに対する貴お考えをお聞かせいただきたいと思います。
なお、2)項目の最初の2行は少し正確性を欠いていましたので削除しましたので御了解願います。
神戸市北区泉台 松岡強
(エネルギー問題を発言する会、EEE会議メンバー)
記
1)
再処理をやめるかどうかということは長期的な我が国のエネルギー政策をどうするかということだと考えます。その視点がなく、表面的な欧米動向やもんじゅ・プルサーマル計画の低迷および経済性より判断して、再処理を中止せよと言われているように思えますが、再処理を止めて長期的に我が国のエネルギー政策をどのようにしたいのかお考えかを聞かせて頂きたい。貴方が力を入れています自然エネルギーと省エネルギーで対応するのであれば、その量的な面を含め実現性があるのかお聞きしたい。特に風力や太陽光エネルギーは、日本では風が吹いている時間や太陽が出ている時間は10〜20%なので、残りの80〜90%は急速起動の火力発電に頼らざるを得なくなりますが、風力や太陽光発電と同時に火力発電も建設して、経済性と炭酸ガス抑制に繋がるのでしょうか。お教えいただきたい。
2)
いままで日本は非常な努力をしてやっと再処理の認可を得てきております。もし再処理の許可がなくなれば、高速増殖炉による核燃料のリサイクルはできなくなり、結局日本はエネルギーの自立ができなくなるでしょう。再処理を中止した後、高速増殖炉による燃料サイクル路線も止めるというのでしょうか。ウランも数十年で枯渇するでしょう。また、現在の軽水炉を継続するのであればその使用済み燃料は永久貯蔵・直接処分することになりますが、その貯蔵・処分場所は再処理路線の廃棄物より量的にも放射能レベル的にも高いのですが問題なく対処できると考えているのでしょうかお教えいただきたい。
3)
再処理費用が計画より大きく上昇した最も大きな原因は、マスコミや地元の色々な反対・妨害により建設がスムーズに進まなくて、工程が大幅に伸びたことです。多数の設計・建設・据付関係者が10年も20年も遅らせられると建設費が上がるのは当然です。それも技術的な問題ではなく、政治的な問題で遅れると士気も下がり、潜在的なトラブル発生要因にもなります。本来ならそれを最小限にするのが政治ですが、残念ながら金にからんでそれに便乗しているのが政治の実情です。そうではあっても曲りなりも六ヶ所再処理工場は運転開始間近になりました。それを中止するというのでしょうか。中止してどのような代替エネルギーがスムーズにいくとお考えですか。かって40、50年前原子力発電も日本国中が大歓迎した時代があったのに、それがいつの間にか政治的に利用され、技術的にはすばらしい成果を挙げているのに、「ただ原子力というだけで悪い」という風潮になっていると思います。マスコミや世論の風潮に流されずに、真に日本の長期的なエネルギーの安定供給を考えた政策を進めるのがほんとうの政治ではないでしょうか。
4)
貴方が書かれた記事の中で、既に保有している38トンのプルトニウムの消費を5基で計算していますが、10〜20基で消費するとすぐに使い切ることができます。原子炉の中には原子炉を制御する制御棒の入る燃料と制御棒の入らない燃料があり、1/3の炉心をプルトニウム(MOX)燃料にするということは、制御棒が入らない燃料にプルトニウム燃料を使い、制御棒が入る燃料は今まで通りのウラン燃料を使用することにより、制御性が悪いプルトニウム燃料の影響を無くしています。したがって、原則として現行の52基のすべての原子炉でプルトニウム燃料の使用は対応できますので10〜20基を選定するのはそれ程問題ありません。また、欧米は再処理してプルトニウムを使う方針を転換していると書かれていますが、フランスはプルトニウム路線を続けていますし、米国も再処理路線を再開しようとしています。
5)
また再処理の操業に9兆円かかるから大変だといっていますが、再処理工場を操業するのに費用がかかるのは当然です。今後40年間の操業で9兆円かけて、使用済み燃料をリサイクルし、それで発電し、それによりその発生費用を回収することになります。原子力発電において燃料費は全体の発電原価5.3円/kwhの3割程度と安いので、その燃料費が最近問題になっている未制度過去分の費用(電力自由化以前に払うべきであった費用)を含めても全体的には数%程度の上昇にしかなりません。原子力の発電単価は石炭・天然ガス・石油等の火力発電のそれ(6円〜10円/kwh)に比べ十分に低いものです。原子力発電が高くなる要因はマスコミや地元の反対や妨害による建設遅延や運転再開遅延が主たるものであり、それを政治で解決することが最も国益にかなうものです。したがって貴方が書かれたような「巨額の国民負担」にはならないはずです。むしろ再処理を中止して、風力や太陽光での代替のほうが「計り知れないほどの巨額な国民負担」になると思います。我が国は水力という自然エネルギーを最も早く最も活用しており、風力や太陽光等の利用は「マスコミ受けはするが実際は巨額な国民負担」になるものです。一方、再処理工場とは、ウラン鉱山の中にある99.3%の燃えない燃料(ウラン238)が燃える燃料(プルトニウム)に変化したもの、および燃える燃料(ウラン235)の燃え残りを使用済みの燃料から取り出して、次の新燃料として利用するもので、正に事実上無限の油田やガス田を発見・発明したようなものです。再処理を考えるということは、最終的には高速増殖炉により燃えない燃料(ウラン238)をすべて燃える燃料(プルトニウム)に変えて、ウランをすべて使い切るということで、現在日本に貯蔵されている使用済み燃料をリサイクルするだけで数百年分の燃料が作り出せるという正に夢の燃料サイクルを完成させると言うことです。そうすることにより我が国はエネルギー自立ができ、中東の紛争に一喜一憂することが必要なくなります。燃料をリサイクルするという他のエネルーでは考えられないような利点を持った再処理を真に理解すれば中止など言い出せるはずはないと思いますが如何お考えでしょうか。
以上
(添付) 私の視点(16.4.15 朝日新聞) 衆議院議員(自民党)河野 太郎
◆原子力政策 負担重い再処理は中止を
年金の保険料が様々な施設や保養所の建設のために流用され、無駄な国民負担が増えてしまったことは記憶に新しい。しかし、今、年金問題よりもはるかに巨額の負担が、「再処理」という政策によって合理性の議論もないまま国民に押しつけられようとしている。
我が国の原子力政策では、軽水炉で燃やしたウラン燃料の燃えかすからプルトニウムを取り出す「再処理」を行う計画だ。この再処理は、ウラン価格が急騰した70年代には合理的な政策だったかもしれないが、今日ではウランの国際価格はきわめて安定しており、プルトニウムを取り出して使う核燃料サイクルをする費用面でのメリットは実は全くない。
プルトニウムは核兵器の原料である。北朝鮮が5`のプルトニウムを抽出したと騒ぎになっているのに対し、我が国は38dのプルトニウムを既に保有している。我が国は高速増殖炉でプルトニウムを燃やす計画だったが、「もんじゅ」の事故などにより、高速増殖炉の実現のめどが立たなくなった。
そこで経済産業省と電力会社は、プルトニウムをウランと混ぜた混合酸化物(MOX)燃料にして軽水炉で使うプルサーマルという「敗戦処理技術」でプルトニウムの処理をするという。
しかし、原子炉の3分の1をMOX燃料にして1基の原発が消費するプルトニウム量は年間0.3〜0.4d。5基でプルサーマルをしても38dのプルトニウムの処理をするには20年はかかる。そんな状況の中でも毎年5dのプルトニウムを取り出す六ヶ所再処理工場(青森県)を稼動させようとしている。
経産省も電力会社も、なぜいま我が国で使用済みのウラン燃料の再処理をしてプルトニウムを取り出す必要があるのかということについて納得できる説明をしていない。
おそらくそんな説明はできないのだろう。米国やヨーロッパの多くの国でも原子力発電はしていても、再処理をしてプルトニウムを使う方針を転換している。しかし、経産省と電力会社は再処理の必要性に関する説明を国民にしないまま再処理工場の稼動を既定路線として、それにかかる費用を電力料金に上乗せして国民に転嫁するという議論を始めている。
再処理工場を稼動させ、我が国にとって全く必要のないプルトニウムを取り出して使う愚行には、今後さらに9兆円がかかると電力会社は言い始めている。
もっとも再処理工場の建設そのものも当初7千億円の費用が見積もられていたが、完成時には3倍の2兆円がかかった。原子力関係の費用はいつもこうやって予算をはるかに超えることになる。再処理やサイクル計画の国民負担も大きく膨れあがる可能性が高い。国民は、何の説明もないまま、何の同意もないままにこれを負担しなければならないのだろうか。
経産省と電力会社の企てでは、9兆円の多くは電力料金に上乗せされることになる。つまり国会や政治が監視できないようにしてしまおうというのだ。
一度、そう決めてしまえば、9兆円がどんなに増えても国民は気がつかずにその費用を払い続けることになる。現実の費用が予算を超えても経産省も電力会社も痛くない。
これだけ巨額の国民負担に関する問題なのに、国民的な議論が始まらないのはおかしい。自民党も民主党も電力会社やその労組に遠慮してかモノを言わない。マスコミも大きく取り上げない。
国民負担は、日本経済と将来世代の重い足かせになる。この愚挙を止め、国民が納得する現実的な政策をつくるのが政治の責任だ。今なら、まだ間に合う。