核燃料サイクルを考える

2003.10.7

エネルギー問題に発言する会

株式会社BWR運転訓練センター

   中尾 昇           

 

1.はじめに

 2003年9月24日の新聞に、「1977年当時、米国は日米関係の悪化を恐れ、核燃料再処理を容認した。」という記事が出ました。どういうことでしょうか。これは、このほど秘密解除された米政府文書などから明らかになったもので、当事者はカーター大統領と福田赳夫首相でしたが、マンスフィールド駐日大使の提言が効を奏したとされています。

当時カーター大統領は核不拡散を重視する政策を発表し、完成間近だった動力炉・核燃料開発事業団(現JNC:核燃料サイクル開発機構)の東海再処理工場も、プルトニウムの抽出が可能なことから、反対の意向でした。駐日大使は、

 (1)英国、ドイツ、フランスの再処理を認め、日本の再処理を認めないのは日本を信頼しないような対応であり拙い。

 (2)日本はエネルギー危機にみまわれており、再処理問題に「死活的」利益がかかっているとみている点に配慮すべきである。

などと提言し、カーター大統領はその提言を飲んだということです。

資源小国日本は、原子力開発当初から、その目標を核燃料サイクルの完成に置き、長きにわたりその方針を堅持しつつ現在に到っていますが、米国も日本が「死活的」と考えているエネルギー政策に対し、それなりの理解を示したわけです。

その後東海再処理工場も,1981年に本格稼動を開始しました。しかし,1997年、同工場内で火災が発生し、消火作業中に爆発事故が起こりました。このとき消火確認について虚偽報告がなされ、結局それが引き金となって、動力炉・核燃料開発事業団は1998年に核燃料サイクル開発機構へと改組されるにいたりました。

ここで注目いただきたいのは、このように不幸な経緯をたどったにも拘わらず、日本の悲願たる“核燃料サイクル”という名称をもった組織が出来上がったという事です。このような名称をもった機関は諸外国にもおそらく皆無でありましょうし、そこに日本のなみなみならぬ強い決意が込められたものと思われます。

かような背景があるにもかかわらず、使用済み燃料の取扱い方法や再処理そのものの必然性などについて、核燃料サイクルを巡る議論が百出しており、長年にわたる国策あるいは死活的という割には、将来の姿が国民にはわかり難いというのがいつわらざる現状と思われます。また、昨今の原子力にかかるさまざまな不幸な出来事(JCO事故、もんじゅナトリウム漏洩事故、東電による検査・点検時のおける不正問題など)が原子力発電のみならず、核燃料サイクル全般にわたる信頼を大きく失墜させている事も事実です。

このため、原子力委員会では、核燃料サイクルの意義や妥当性を原点に立ち戻って検証し、国民の疑問に対して真摯に応じてゆくとしていますが、エネルギー問題、環境問題、経済性、放射性物質の扱いなどが絡み合っており、その上技術的に高度なこともあって、なかなか一筋縄には行かぬようです。

以下の章では、核燃料サイクルについて、わが国がなぜ基本路線とし、それを堅持してゆこうとしているのか?という点を中心に考えてみたいと思います。

 

 

2.エネルギー資源

  なぜ核燃料サイクルが日本にとって「死活的」なのでしょうか?それを理解するためには日本のエネルギー事情について調べてみることが必要です。日本のエネルギーは

  石油 50% / 石炭 20% / 天然ガス 13%

と、いわゆる化石燃料に80%以上依存しています。残りは16%が原子力で2%弱が水力です。また、そのエネルギー自給率は約4%でしかありません。

エネルギー自給率は安定な国家の維持のためのきわめて重要な指標となりますが、ここに準国産エネルギーとして原子力を勘定に入れることで、やっと20%となります。それでもカナダ(149%)、英国(123%)、米国(74%)、フランス(50%)などと比べ、かなり低い値となっています。

なぜここで原子力を“準国産”と呼ぶか?というと、次の利点があるからです。 まず、原子力は少ない燃料で大きな発電量が得られ、備蓄に適しているということです。燃料の重さで比べると同じ出力で発電所を運転するのに石油火力は原子力の6万倍、石炭火力で11万倍もかかるのです。また、使用済燃料をリサイクルすることによって、燃料のウランを節約し、新たにプルトニウムという独自の国産資源を生み出すことができるようになるということです。この点については、あとで3章にて再度触れたいと思います。

 このように原子力はウラン資源を有効に利用することにより、我が国の脆弱なエネルギー供給構造を改善する能力を持っています。これによって化石燃料海外依存という体質を改善できるのです。

つまり、原料のウランこそ輸入に頼らざるを得ませんが、ひとたび“核燃料サイクル”が完成すれば、元のウランから、発電しつつプルトニウムという新たな燃料を生み出せるのです。よって、ある程度のウラン備蓄さえ目処が立つと原子力は持続的に長期間運転できるという事です。

ウラン備蓄は、化石燃料備蓄に比べ容易ですが、その上資源保有国は次のとおり、政情の安定した、国際情勢に左右されない国々なのです。

オーストラリア 21%/ カザフスタン 19%/ カナダ 10%/南アフリカ 8%   これに比べ石油の場合、次のとおりその輸入先の約80%が政情不安定な中東となっています。

アラブ首長国連合 24%/ サウジ 22%/ イラン 13%/ カタール 11%                   

大切なエネルギー資源は、安定した供給に支えられるべきであると考えられますが、その重要性は

オイルショック時代を振り返ってみるとさらによく理解できると思います。

 1973年(第一次オイルショック)、1978年(第ニ次オイルショック)と二つの出来事で、原油価格は1バレル3ドル→12ドル→34ドルと急激に上昇し、インフレや産業界への打撃という事態に到ったのです。大切なエネルギー資源の価格については、何としてもこのような事態が繰り返さぬよう努力をする必要があります。

また、またその努力を続けてもよくいわれているように化石燃料はいつかは枯渇してしまうものですから、それに代わるものを見つけておくことが大事です。世界のエネルギー資源の可採年数は

石油 40年/ 天然ガス 61年/ 石炭 227年/ ウラン 64年

とされており、石油文明も、我々が期待しているほど長続きしないかもしれません。そして特に用途の広い石油は燃料に消費することをできるだけ抑え、後世に残すべきという意見が強くなってきています。 

いま新エネルギーとして風力や太陽光発電に力が注がれていますが、いかに力を入れても全面的に化石燃料に代わるほどのものにはなれません。特に太陽光発電の導入では世界のトップレベルを走っていますが、わが国の計画値ではこれら二つの新エネルギーを足しても、2010年度において全エネルギーの1%以下程度にしかなりません。

 もう一つのポイントとして中国や東南アジア他開発途上国の一人あたりのエネルギー消費量を考えてみることが必要です。これらの国々のエネルギー消費量は日本の1/5程度の低さにとどまっています。これらの国々のエネルギー消費量が先進国に近づくに従って、化石燃料の消費量が飛躍的に上昇し、当然価格にもはねかえってくることになるでしょう。

 我が国のようなエネルギー自給率の低い国は、こういう時代に備えて万全の計画を持つ必要がありますが、今のところ原子力以外に先を見通すことは極めて難しいといわざるを得ないのです。

 これが「死活的」とされるゆえんであり、日本が原子力の開発に何の迷いもなく邁進してきた理由でもあります。それゆえ原子力委員会は一貫して“サイクル路線”という姿勢を堅持している訳です。

 

 

3.核燃料サイクルの意義

 さて、わが国ではウラン燃料を使用し、軽水炉で発電を行っています。燃料の使用後はいわゆる“使用済燃料”といい、ゴミのような印象を与えがちですが、その中にはウランやプルトニウムが90%以上残っています。

 昨今、どんなゴミでもその有効利用や次の世代の人々に負担をかけないという考え方から、さかんに再生利用の道を探っていますが、使用済核燃料も例外ではありません。この90%以上のウランやプルトニウムを使用済核燃料より取出して、再び原子燃料として利用する方法を“核燃料サイクル”と呼びますが、これも資源の有効利用を目的としたものです。六ヶ所村に建設中の再処理工場は使用済燃料を“再処理”し、プルトニウムやウランを取出す施設です。

 また、このとき取出したプルトニウムやウランを混ぜてMOX(モックス)燃料に加工することができます。

MOXはMix(ミックス)されたOxide(オキサイド:酸化物)という意味で、これはウランの酸化物とプルトニウムの酸化物を混ぜたものという意味です。また、このMOX燃料を軽水炉で利用することをプルサーマルといいます。

 すなわちプルサーマルとは、Pu(プルトニウム)を軽水炉すなわち熱中性子炉(英語でサーマルリアクター)で利用するという意味です。このように軽水炉の使用済み燃料を再処理し、回収されたウランやプルトニウムをMOX燃料に加工して、再び軽水炉で利用する方法を、核燃料サイクルのなかの“軽水炉サイクル”といいます。

 このプルサーマルはすでにフランス、ドイツ、ベルギー、スイスなど各国で行われていて、20年以上の利用実績がありますます。日本でも「ふげん発電所」で772体のMOX燃料を使用しましたが、これは世界のトップとなる実績なのです。このような立派な実績をおさめつつ「ふげん」発電所は惜しくも2003年にその運転を停止しました。

 プルサーマルを行うと、資源(天然ウラン)の利用効率が理想的には約1.5倍にあがります。また、これにより使用済み燃料から、最大で元の燃料の約4割を供給する事が可能なのです。

 このプルサーマルを基軸とした軽水炉サイクルは、まだ、中間段階の技術であり、究極は“高速増殖炉サイクル”であるとされています。昔、高速増殖実験炉「常陽」や同じく原型炉「もんじゅ」を開発しようとしていた時代、メデイアは高速増殖炉を“夢の原子炉”と呼んでもてはやしたことがありました。その理由は、高速増殖炉サイクルが完成すれば、ウラン資源の利用効率が60-70倍に上がるからで、この実用化こそが本来目指してきたものなのです。

軽水炉で核燃料サイクルを進めるということは、この高速増殖炉の実用化を待ちつつ、再処理やMOX燃料製造技術を確立し、核燃料サイクル技術を実用化していくという一つのステップであるといえます。

 結論として、我国の“核燃料サイクル”路線は資源の有効利用とそれに基づくエネルギー自給率の向上を目指したものといえます。プルトニウムは、発電所のなかで生まれるものですから“準国産エネルギー”すなわち輸入に頼らなくても良いエネルギーに分類されるのです。

 このように使用済燃料を再処理するプルトニウムやウランが回収できるのですが、それらの残りカスは“高レベル放射性廃棄物”と呼ばれる放射能レベルの高いゴミとなります。

 このゴミはガラスと混合して固めいわゆる“ガラス固化体”という安定した保管し易い形状にされます。そして30〜50年間貯蔵して放射能レベルを低くし、発熱量を小さくしてから地下深くの安定した地層に埋める計画(地層処分という)とされています。

 核燃料サイクルにはまだまだ多くの課題が残されています。たとえば、青森県の六ヶ所村の核燃料サイクル施設は現在建設の最終段階に入っていますが、建設費は2兆円を越す巨額の投資になっています。そこでサイクルはカネがかかるとして、使用済み燃料を再利用しない、いわゆるワンススルー方式または直接処分方式に切り替えては、という意見も出るようになってきました。また、地層処分についても、その処分地が決められないという問題があります。地層処分は、技術的にはかなり先の見えるところまで研究開発が進んできましたが、何分、千年オーダーという長期的な視野を必要とし、環境への影響を心配されている現状などを考えると、引受け手を説得するには相当の期間を要する事でしょう。

 地層処分する場所を、最終処分地といいますが、この候補地の選定は公募方式にすると法律で定められています。

科学技術的には大丈夫でも、処分地決定の際には、いわゆるNIMBAY症候群(Not  In  My  Back  Yard--------自分の裏庭にはゆるさない!)によって、相当もめるのでは、と思われます。これは、一般のゴミ処理場などの立地騒ぎと同じようなものかもしれませんが、立地候補の市町村にとっても、ゴミを引受けるわけですから、それと引き換えに何らかの利益を求めざるを得ないと思われます。

つまり原発立地地域では、電源三法交付金や雇用効果などで、さまざまな財源効果を得ていますが、最終処分地もそれなりに所得効果や財政効果を期待することと思われます。原発立地と最終処分地の違いは、後者が完成後の雇用効果がかなり小さいだろうという事で、立地効果の一過性が懸念されることです。

なお、付け加えるならば、最終処分地の操業開始は平成40年代後半ごろということになっています。この計画が大幅に遅れたり不成立になったりすれば、核燃料サイクルそのものが行き詰まる、まさに“トイレなきマンション“状態になり、国の原子力政策全体が身動きの取れないものになってしまいます。

 

 

.プルサーマル

 この章では“軽水炉サイクル”の中核技術であるプルサーマルについて、現状を確認したいと思います。

 プルサーマルは、一口でいってしまえば、わが国では残念ながら順調には進んでいません。当初計画では2010年までに累計で16ないし18基の原子炉にMOX燃料を装荷し、プルサーマルを実施するということになっていました。

 その最初となる関西電力の高浜発電所のプルサーマルは、MOX燃料を製造したイギリスのBNFLという会社において、1999年に検査データ改ざんが明らかになった事から、実施を中断したままです。この補償として、関西電力はBNFLより約64億円受け取りましたが、日本側としてはこのようなものでは全くたりないほどの大きな被害を受けたといえるでしょう。

 福島県のプルサーマルは、2001年福島第一原発において実施される予定でしたが県知事は2001年2月より,県独自のエネルギー政策を検討するとして、“エネルギー政策検討会”を立ち上げ,現在もそれが継続中のため、宙に浮いたままとなっています。この検討会の中間報告書では、国の“サイクル路線”の必然性について、多くの疑問が出され、最終報告書がどのように,いつまとまるのか予断をゆるしません。

 新潟県では、2001年5月にプルサーマル実施の是非を問う住民投票が刈羽村で行なわれ、賛成1533票、反対1925票という結果となりました。この結果を受けて東京電力では実施を見送りました。

 福島県,新潟県の両方とも,課題は公衆への説明不足といってもよいのでは?という感がありますが、冒頭に述べたごとく,技術的に問題なくとも公衆に受け入れられぬという宿命を持ったのが、“核燃料サイクル”であると思われます。したがって、国では何らかの抜本策を打つ時期に来ているのではないでしょうか。すなわち,原子力行政そのものの曲がり角にあると言えましょうが、ことプルサーマルに限って話を進めるならば,公衆の不安はつぎの2点に集約できるのではないかと思います。

(1)    プルサーマルは原子炉の安全性を損なう?

(2)    プルトニウムという物質を扱うべきでない?

この他にも、経済的に合わぬとか,ウランが安いのでプルサーマルは不要だとか,いろいろ言われていますが、これらは、公衆にとって、問(1)、(2)をクリヤーしてからの話にしても良いかとおもいます。

 そこで、問(1)についてですが、これは純粋に科学技術的なテーマで、すでに解決済といえます。特に指摘したい点は、“すでに、これまでも原子炉のなかでプルトニウムは生まれ、そして燃えている”ということです。現在の原子炉でもウラン燃料は燃焼しつつプルトニウムを生み出しており、その使用済燃料にもプルトニウムが含まれているという事です。このプルトニウムを生み出す能力を高めた原子炉を高速増殖炉と考えていただいても良いと思います。(高速増殖炉ではプルトニウムが増殖するので、そういう名前をつけられました。)

 こうして、原子炉の中でうまれたプルトニウムはそのまま燃料となるので、ウランと同じように燃焼し、原子炉トータルの発電量の約30%をまかないます。勿論プルトニウムが全部燃えてしまうわけではなく、燃え残りがあります。この燃え残りのプルトニウムと有用なウランを取り出して再利用するのがプルサーマルです。

 このように普通に使われている原子炉はプルトニウムをも利用していますが、その原子炉内の燃料の三分の一をMOX燃料におきかえても本質は変わらず、従来どおりの安全性を確保しつつ運転できます。これは、現行技術の延長であり、科学技術的にも十分説明されています。わが国のプルサーマルはそういう技術的に説明出来、公衆の受け入れが容易と思われるところからスタートしてゆく計画になっているのです。

 プルサーマルは前にも述べた通り、特にヨーロッパ諸国においては多くの実績があり、新しい技術でも何でもないのです。また、わが国においても敦賀発電所一号機や、美浜発電所一号機でも試験的にMOX燃料を装荷し、その健全性が確認されている他、ふげん発電所では、燃料の70%までMOX燃料に置き換えて運転するなど、さまざまな実績があります。

 これに対し、反原発団体などは、MOX燃料を用いると、

  核暴走事故が起こりやすくなり、不安全になる。

  制御棒の能力が落ちて危険性が増す。

  燃料棒の破損が起き易い。

等と、反対していますが、これらは技術的には全く根拠のないものといえます。残念な事に、これら“中傷”に対し、国側は徹底的な、または断固たる態度をとっていないというのがいささか歯がゆいところです。これらのポイントはかなり技術的に高度なところもあるので、たとえ、国や電力会社ががんばってみても、一般公衆にとって、どちらが正しいという判断を個人的に出来ず、下手をすれば国家権力が圧倒的な力で、“か弱き善者を封じ込めた”という図式にはまってしまいそうですが………….。

 

 

.プルトニウム

 この章では、問(2)について考えてみたいと思います。プルトニウムという物質はなぜ公衆に忌み嫌われるのでしょうか。

それは“耳掻き一杯で、数万人を殺戮”と書かれたりしたこともあり、“既知の物質の中で、飛びぬけて毒性が強い”というイメージが、メデイアによって公衆に焼きついている事、さらに、原子爆弾の材料になるということも大きなネガテイブ要素になっているからだと思われます。

ここでいう毒性とは、よく知られている重金属による中毒のことではなく、メインとなるのは、放射線による障害(癌の発生)のことですから、これについて考えてみたいと思います。

一つの誤解から説明すると、ラジウム温泉でよく知られ、広く医療用などに用いられているラジウム(Ra−226)の方がプルトニウム(Pu−239 : 原子燃料の主物質)より強い放射能を持っているということです。、これ一つみても、プルトニウムが他と比べて、とても安全には管理できないほど危険であるというイメージは、全くぬれぎぬをきせられたものだといえます。

事実、プルトニウムもラジウム同様、に医療にも用いられています。また現在稼動している原子炉の中でも前に述べたとおりプルトニウムが燃焼しており、その使用済み燃料のなかにもプルトニウムが含まれているのですが、きちんと管理され安全に取り扱われています。また、冒頭に述べた東海再処理工場では、600トンを越える使用済み燃料を再処理し、取り出したプルトニウムを安全に取り扱った実績があります。

このように、プルトニウムはその取り扱い方法や厳重な管理が確立されており、外部に出てゆかないようになっているので、一般公衆にとっては他の放射性物質と比べて、特別視する必要はありません。ですから問題は、万一外部にプルトニウムが放出されたらどうなるのか、ということに絞れます。

プルトニウムは、アルファー線という放射線を出しますが、この放射線は紙一枚で止ってしまいます。そして、空気中では数センチメーターで止まってしまいますから、何らかの経路で人体に取り込まれた時が主たる問題となります。また、飲み込んだときは、消化器系の吸収率が低いため大部分が体外に放出されます。ですから、プルトニウムが最も重大な健康被害を及ぼすのは、ゴミのように空中にただよっているものを吸い込んだ場合です。次のデータは、体重70kgの人の半数が30日以内に死亡するであろう、すなわち急性の50%致死量を比較したものです。

  ボツリヌス菌毒素………    0.00035mg

  ダイオキシン…………・    0.07mg以下

  プルトニウム(吸入)………    13mg

  プルトニウム(飲み込み)……… 32000mg

これは電気新聞特別増刊号2001年Vol―7に出ているものです。また、これと違って、晩発性の致死量を考える時、1,3mgの吸入で癌が発生するという米国のコーエン博士の評価もあります。プルトニウムの毒性については、データも少なく、評価方法や実験方法などにも大きく左右される事は否めません。したがって、これらのデータは大雑把に傾向を見る程度にしておくのが良いでしょう。しかしながら、これらのデータで見る限り、他の毒素と比べて特別猛毒とは言えないことだけははっきりと分かります。

さて、プルトニウムは固体なので、万一外部に放出されても、細かいチリになって多量に漂うという事態は考え難いのですが、もし何者かによって、ばら撒かれたとしましょう。コーエン博士の評価では、大都市に1キログラムのプルトニウムをばら撒いたとしたら、平均的な気象条件のもとでは、約60人の癌死の可能性有りとしています。ただし、これは、化学物質や、毒ガスのような即死に近いものと違って、少なくとも、10年以上の潜伏期があるという点に注意すべきです。また60人というのもきわめて大きめに見積もった数であり、現実的な想定をすれば数人のオーダーになるのではないか、としています。

 つまり、世間でいわれているようなテロリストがそのような行為に出ても、目的を果たせないという事です。彼等も厳重に管理されたプルトニウムを危険を冒して強奪し、ムリにムリをかさねて大都市にばらまき、10年後を楽しみに待っているとはとても思えません。わが国の地下鉄サリン事件と比べるべくもなく、別の方法をとると考える方が自然です。

 

 それでは、テロリストがプルトニウムを強奪し、それで原子爆弾を作るという、これもメデイアで時々出される話ですが、どれほど信憑性のある話でしょうか。これを論じる時に、まず知っておくべき知識として、わが国の発電用原子炉(軽水炉)の中で生まれるプルトニウムは“原子炉級プルトニウム”といい、兵器級プルトニウムと比べ不純物(Pu239以外のもの)の多いものである、ということです。この原子炉級プルトニウムを用いて、原子爆弾をつくることは、難しい事とされています。つまり、不純物が邪魔をして、きわめて取り扱いが難しい上、よしんば上手に設計してもどの程度の爆発を起こせ得るのか、実際に作ってみて何度も実験せぬと予測のつかぬものだと考えられます。

 また、一口に作るといってもそのためには一線級の核工学者、化学者、火薬取扱者、冶金学者、電子工学者、機械工学者、、、、、、、など多くの専門家ががっちりと力をあわせ、金と時間を費やしてやっと成功するかしないかという事を考える必要があります。これら一線級の人々は実生活でおそらく、相当恵まれた環境のもとに生活している事でしょう。ですからこのようにリスキーで無意味な仕事にタッチしようと言う人を多数みつけてチームを作るのは至難の技でしょう。

 テロリストにとっては、そんな難しい道をたどらなくても目的を果たせる、つまりプルトニウムのような厳重な管理下に無い、危険物や方法が沢山あります。残念な事に、昨今そのようなテロリズムが多発している事は否めません。生物、化学兵器の材料などにもプルトニウムのような厳重な監視体制が出来たらと、つくづく思います。

 

 

6.おわりに

 わが国では40年近く“骨太の国策”とし、一貫して燃料サイクルを進めてきたわけですが、その成果は合い半ばしています。原子力発電ではまずまずの成功を収めていますが、サイクル分野ではそれほどの成果が得られていないというのが実情ではないでしょうか。

 現状では、核燃料サイクルとして中間的な位置付けにあるプルサーマルですら、軌道に乗っていません。その一つの原因は“プルトニウムは危ないので使うべきではない”という迷信のようなもので、公衆が判断していることがあげられます。どうしてこのような誤解で、世論が動かされてしまうのか?という点については、やはり当事者の説明不足と言わざるをえません。公衆に対し極めてゆがんだ、そして不安を与え続けるメデイアの力に対抗する術を、当事者は使わなかったということでしょう。これは単なる誤解ですから、現実的な処方箋は難しいかも知れませんが、科学技術的には底が割れているだけに、そのうち収まってくるべき類のものです。

 一方、一筋縄でゆかぬのが、一般公衆をリードしているべき有識者間(賛成、反対の如何を問わず)の国策路線変更論や,もっと厳しいサイクル是非論でしょう。このなかにはかなり大きなファクターとして、サイクルの経済性が,議論を呼んでいます。プルサーマルも例外でなく,ウラン価格が安いので当面その必然性が無いという見解もそれなりの根拠があります。これらの議論はこれまでに投資した資金を効率的に回収し、これからの投資額をできるだけ抑え、本格的サイクル時代によりスムーズにたどり着くための方法論であると言えます。

 これらの議論のなかには、本稿で触れなかった核不拡散にかかわる国際条約も含まれています。これは一口で言うと,核兵器を作らない事、その条約に基づく保障措置にしたがって核兵器の材料となりうるプルトニウムをきちんと管理するということです。さらにわが国には核武装するようなことは決してないという事を明白にするためにも、余分なプルトニウムを持たないようにする,という対外的な約束があります。これを守るためにも、再処理して出てきたプルトニウムを軽水炉で消費するプルサーマルを当面やって行く、というのが大方の一致した見方となっています。エネルギーを求め,太平洋戦争に挙国一致で突入した過去を持ち,何でもできる技術先進国たるわが国ゆえ、透明性のある施策を必要とするのです。“憲法を守り、平和利用に徹します”という基本姿勢を理解してくれるのは自国民だけと思い、常に対外的に誤解を招かぬように進める必要があるという事です。

 

 さて、このようにわが国ではプルサーマルを中核にした“軽水炉サイクル”を当面続け,それによってサイクル全般に関する経験を積み、やがてくるであろう“高速増殖炉サイクル”につないでいくとされています。それでは究極の高速増殖炉サイクルはいつ頃完成するのでしょうか。これを完成させるためには当然のことながら高速増殖炉が必須となります。

3章で触れた、高速増殖原型炉「もんじゅ」はその名のとおり、引き続いて実証炉や実用炉を作ろうと、6000億円の建設費を投じて作られたものです。かように大事なもんじゅが、事もあろうに司法によって裁かれるという失態を演じてしまいました。またゴールともいうべき実用炉がいつ完成するのか、はっきりしないというのが偽らざる現状です。タイムスケジュールなしの国家プロジェクトなど、エネルギー問題に関心の薄い公衆にとって噴飯ものといわざるを得ず、ここにサイクル不要論など、国の方針に批判的な意見が多く出てくる原因があるのではないでしょうか。またそこに、当面の経済性を考慮して、路線を変更せよと言う有識者の意見が出てくる原因があるのではないか、と思われます。

 これと好対照といえるのが、それほどメデイアの攻撃にもさらされず、食料自給のために投じている巨額の費用であり、これをしてやっと食料自給率40%を守っているのです。2000年度のわが国の農業生産者向けの補助金総額は約6.5兆円で、農家収入の64パーセントをしめています。この割合は、欧米先進国の約2倍にも上っています。そのうえ、公衆は世界価格よりはるかに高い値段の農産物を購入しており、世界で最も食料品価格の高い国に分類されているのです。ちなみに米の生産者価格は、米国で100円/Kg,中国で80円/Kg程度です。

一方、エネルギー自給率は4%に過ぎず、このままいくと国家としての自立が危ぶまれる心配すらあるといえます。コシヒカリを食べられるのも,老人福祉も,住宅も、すべての根幹を握っているのがエネルギーといえるからです。

この自給率を上げるという事のためにはできる限りの知恵と努力を注ぐ必要があります。農業と違い、巨額を投入しようとしても、わが国内にはエネルギー原料の生産者がいないからです。さらに、科学技術的に将来が見通せている自給エネルギーという点について言えば、いまのところ原子力と言う準国産エネルギーしかないのです。ところがその原子力といえど、ウラン資源の可採年数は64年と言われているので、何十年という先を見通すならばその資源としての利用率を飛躍的に向上する必要があり、そこに核燃料サイクルの意義があるという事です。

   

                         以上