もんじゅの判決について
平成15年1月30日
大井 昇
判決についての感じは「よくこんな難しい専門的な事柄を、仕事柄と言うものの、非専門家の裁判官がおやりになったな」ということです。判決文を見ればわかる通り、並みの勉強ではありません。この川崎和夫さんと言う裁判長は、原子炉には「絶対安全」あるいは他の技術とは違う各段に高い安全性が求められると、大真面目にお考えになったのでしょう。このお考えは証人尋問などの過程で、裁判官の個性を反映して固まり、この判決文になったのでしょう。新技術を推進する側にとっては、このような裁判官に当たったのが、大変な不幸で不運だったのです。
これは訴訟そのもののついての基本的な問題を提供していると考えます。つまり原子力のような高度の専門性と偏ることの無い判断を必要とする技術を、通常の裁判にゆだねている現在の法体系への疑問です。たまたま海外再処理委員会の顧問をしておれれる谷弘さんにお会いして雑談をしていた際、ヒントになるお話をお聞きしたので、ここで披露しご参考に供したいのです。谷さんは運輸省のご出身で科技庁、国際機関、原研などで要職を経験された方で、ご存知の方々も多いと思います。
谷さんのご指摘は運輸省の所管である船、飛行機などでは、事故原因の究明が中心ではありますが、裁判(一審)は海難審判庁や航空・鉄道事故調査委員会の所掌で、高度の専門家集団が判断に当たられるということです。確かに、飛行機の事故などを考えると、余程の専門性と偏らない判断が無いと無理、つまり通常の裁判では無理というのが容易に理解できますね。日本は三権分立を取っているので、最終的判断は裁判所しか無いわけですが、非常に専門性の高い分野については、このように事前に技術的審査機関が審査をし、裁判所もその判断を参考にするという手法が取られています。勿論同じような仕組みを、今の原子力の組織にすぐに当てはめるというのは、原子力安全委員会などがある現在のシステムから見直す必要があるかも知れません。しかし新技術を挑戦する社会として、今後是非考えて行く必要がある事項であると思います。