もんじゅ訴訟第二審結果に関する感想
平成15年2月20日
小佐野 勝春
1) サイクル機構側にもんじゅが国の施策としての仕事であること、および従来の原子力発電所設置に関する訴訟の例から当然この裁判も勝訴すると甘く考えていたのではないかとの疑問がある。その慢心が裁判への戦略を欠いた対応となり、今回の結果に至ったと考えられる。
2) 裁判官が、技術的な知識を十分持ち合わせていないことは当然予想されていたことである。その裁判官が如何に自分達の主張を理解するように仕向けるかが重要なポイントであったが、そのための戦略がなかった。あるいは、勝訴する戦略を立て、訴訟を有利に展開させるリーダシップを持った人がいなかったと思われる。
3) 技術者は、自分の技術に自信を持っており、それゆえに裁判官を含め一般の人が自分達の技術を受け入れないことを「バカなこと」と思いがちである。また、技術の説明を求めると、技術的な詳細にこだわり、大局的に理解させる方向を誤らせることがある。今回の説明がどのように行われたかを知らずに批判することは、適切でないと思われるが、技術的な説明が体系的にわかりやすく行われたといえるのか疑問である。
4) 新聞報道によれば、裁判官は再三にわたりサイクル機構に変更申請に関するナトリウムとコンクリートの反応対策について質問していたが、サイクル機構からは変更申請に係る説明は何も無く、裁判官の心証を悪くしたようである。この報道の真偽は判らないが、サイクル機構に裁判を有利に展開する為の戦略がないことが、このような話に発展したのではないかと思うのである。
5) 軽水炉による原子力発電が電力供給の30%台にある我が国の現状において、原子力政策の弱点は、核燃料サイクルが確立されていないことと、最終的放射性廃棄物処理場が確保されていないことであると思う。原子力に反対する勢力は、核燃料サイクルを成立させないか、あるいは最終的放射性廃棄物処理場確保を阻止できれば、原子力発電は成り立たなくなると考え、もんじゅやプルサーマルの問題に積極的に取り組んできたのではなかろうか。一方、原子力を推進する側では、核燃料サイクルや放射性廃棄物処理場は原子力発電を始めた以上当然実施することに決まっているかのように考えてきたが、一般の人はこれを理解できないでいる。このギャップを埋める為の原子力施策が欠けていることも今回の訴訟結果に結びついたのではなかろうか。
6) 我が国のエネルギー問題を国民によく理解させ、原子力について考える機会をどのように提供するかを抜本的に見直す必要があるだろう。原子力に関する広報も国、県、地方自治体等で似たり寄ったりのパンフレット等で行われている。原子力発電所の自主検査に絡む問題等をも含め、我が国の原子力政策を見直す良い機会ではないかと思う。そのリーダシップを原子力委員会や官僚に求めるのでなく、民間のシンクタンクを作り、交付金の使い方、広報の展開方法等エネルギーに関する施策を大局的に見ていくように出来ないものかと思っている。
以上 (東海村役場にて)