吉田康彦氏(大阪経済法科大教授)の原子力批判論文に関連した

金子先生の問題提起に関して

 

平成147

柴 山 哲 男

 

1 西欧諸国の脱原発傾向は逆流することはないか

  脱原発傾向は一時的なもので、従来の原発推進路線の反動のような形でしばらくは振り子が脱原発側に振れるとしても何れ原発容認側に振れ戻しがあると考えています。将来的には振れを繰り返しながらある値に収斂するのではないでしょうか。時期的には不明ですが、例えばアメリカでは反転の動きが始まっていますし、ドイツでも政権交代があれば可能性があると思います。長期的にはエネルギーの需給、特に石油資源の枯渇、価格上昇などが引き金になると考えられます。なお、原文では石油問題を中東問題、OPECなどの政治課題と捉えておられますが、これも大きな要因であることは確かですが、根本的には発展途上国の需要拡大と資源の有限性が本質的な課題であり、あと何年かの時期は別としても資源問題の逆流はあり得ないと考えています。

 

2 原子力は歴史的使命を終えたのか

  上記の理由で原子力の使命は一時的に停滞するとしてもエネルギー問題を解決するためには原子力の活用以外には最終解はないと考えており、然るべき時期には改めてその使命が再認識されることになるのではないでしょうか。但し、今後の経済成長を考慮すると電力需要の伸びもある程度抑えられたものになると思いますし、先進国では過去のような大幅な伸びになることは考え難いと思います。

  日本においては現在4基の原子力発電所(東通、浜岡、志賀、島根)が建設中であり、泊、敦賀(2基)についても建設が決定、更に地元折衝中のものも8基程度あり、あまり報道はされていませんが着実に進展していると考えて良いのではないでしょうか。政党でも一部を除き、原子力に対しては推進乃至容認が大勢を占めています。むしろ現在の電力需要から見るとオーバーペースとも言える状況です。使命を終えたとは言えない状況にあると言えると思います。

 

3 「市民社会」とは何か。原子力は「市民社会」とは相容れないか

  「市民社会」の定義は良く分かりません。「市民」についても中産階級、有権者、住民、国民などの用語と同義なのか異義なのか判然としていません。それは別としても最近は住民投票等の手段により直接に住民の意志が表現されるようになると原子力のみでなく廃棄物処理施設、空港、基地など地元住民として直接に利益または利便性を感じない施設については否定的な意見が多くなることは止むを得ない面があると思います。住民投票の位置付けなどについては専門外なので省略しますが、住民の中にもかなりの数の賛成者もあり、必ずしも相容れられないものとは言えないと思います。世論調査などを見ても不安視している人が多い反面、必要性は認めている人もかなり多く、楽観はしていませんが、悲観的にも考えてはおりません。なお、原文には「市民による自己決定権要求が民主主義の成熟」のように書かれていますが、自己決定権と併せて決定結果に対する責任が伴って初めて成熟と言えるのであって、自己決定権のみでは半熟状態ではないのでしょうか。

 

4 原発の「安全神話」は崩壊したのか

  原発の「安全神話」とありますが、設計者から見ると最初から事故は起こり得るものと想定して、そのための対策として事故の発生防止、拡大防止、被害の防止対策を講じており、事故発生は極力防止するものの事故が起こらないことを前提としたものではありません。我々の説明不足はあったかも知れませんが、被害、特に大規模な原子力災害が起きないということが、事故が起きないという「神話」に置き換わってしまったのではないかと思います。また、事故あるいは事故とは言えないトラブルの発生時に「あり得ない事故」「あってはならない事故」と報道されることが、「神話の崩壊」という表現になるのかと思います。神話が崩壊したのではなく、創られた神話がなくなっただけのことと思っています。過去の「事故」はJCO事故を除けば殆ど全部が設計時の想定範囲内です。但し、JCOおよびチェルノブイリ(炉の特殊性もありますが)のように多重の安全違反が重なった場合に災害に発展する可能性があることについては、当初の設計では想定し得なかった面があります。

 

5 原子力はコスト面で不利か

  発電コスト算定には各種の前提条件があり、燃料費の条件などによっても異なるため最新の条件での結果は承知していませんが、あまり細かい差を議論しても意味がないのではないでしょうか。今後原油価格の変動、環境税などの条件が変われば、結果も代わってくるでしょうし、大勢として大きな差はなく設定条件によって若干異なる程度と認識しています。コスト的に不利とは思っておりません。但し、原子力発電の性格上初期投資費用が多く、トータルコストとしての差はなくても、電力自由化等の論議の中で短期の利益を追求する場合には、回収に期間のかかる投資が不利になることは考えられます。税制面等で何らかの対応がとれればとも思いますが。

 

6 安全性と発電コストは二律背反か

  本項については先にどなたかの見解が表明されていますので、省略します。

 

7 原子力が「環境に優しい」という利点はないのか

  二酸化炭素の放出がないことに対して、原子力に批判的な人からは、原子力は放射性廃棄物があり、環境に優しいとは言えないとの議論があります。問題は廃棄物を出すか否かではなく、廃棄物の量と管理の問題だと思います。放射性廃棄物の場合、量的には一般の産業廃棄物に比べて圧倒的に少なく、このことと放射性であることの必要性から、厳重な管理が必要であり且つ可能になっています。二酸化炭素の場合、外部に放出されたものが制御不能になるのに対して、一部外部に放出される微量な放射性物質を除けば、廃棄物を管理出来るか否かの差があると思います。将来二酸化炭素についても固定化し、外部放出を避けられることになれば別ですが、環境的には有利であると行っても過言ではないと思います。

 

8 「温暖化対策を原発で」の声は聞こえてこないか、それはなぜか

  表には出ていませんが、実際にはかなりの人が原子力の必要性を感じているのではないでしょうか。今回の地球温暖化の国際会議が、主として欧州の環境グループの主導で進められていることが、原子力が表面に出られない理由の一つと思っています。また、欧州は日本などに比し、目標達成がやや有利という面もあると思います。原子力が完全に排除されなかったことだけでも良かったのではないでしょうか。排出権取引から原子力が除外され、一部には原子力にNOとの報道もありましたが、現実問題として排出権取引として他国に原子力発電所を建設することは、ここ当面はあるとは考えられませんので、自国の原子力発電所が対象になれば当面は良いのではないでしょうか。また、温暖化対策即原子力というのは一般の人たちから見ると一寸議論の進め方が早すぎると思います。各種の対策を講ずる中で、原子力の優位性、必要性を示して行くことが必要ではないかと思います。現在各国で目標達成のための方策を立案中ですが、計画が少し進んだ状態で他国でも原子力が見直される可能性は十分にあると考えています。

 

11 プルトニウム再利用を柱とする核燃料サイクル確立は不可欠か

将来のエネルギー問題を解決するためには、プルトニウムによる増殖を行うことが不可欠であると思います。将来核融合が実用化されればということもありますが、現時点では実用化の見通しが未だ立っておらず、発電に成功したとしても経済性などの見通しが不明のために、開発を継続する必要はありますが、カウントに入れることは無理だと思っています。古川先生の提唱されているトリウムサイクルについても将来のオプションの一つとして検討の必要はあると思いますが、燃料サイクルまでを含めて実用化迄には相当の期間、費用を要し、現在のプルトニウム路線に替わりうるとは思えません。

  プルトニウム利用は将来の高速炉、増殖炉での利用が前提となるべきで、プルサーマルのみでばサイクルと言えるかどうか分かりません。この点で現在の長期計画などでは高速炉の開発を前提にはしていますが、経済性の点と従来のスケジュール開発に批判のあったことより、やや迫力が不足しているような気がします。硬直的な運用は避ける必要がありますが、目標は明確に定めた方が良いのではないかと考えています。目標を明確に定めることにより核燃料サイクルの確立の意義がはっきりするのではないでしょうか。

  余計なことになりますが、現在の余剰プルトニウムは持たないという政策が唯一のものかどうか、例えばプルトニウムは適切に保管管理するというオプションをとる余地は全くないのかという感じもしています。保管にはテロ、爆撃に耐えうる厳重な地上または地下の貯蔵庫が必要となり、プルトニウム単体での保管は行わず、ウランとの混合状態で保関すること、組織的な奪取を避けるために(燃料としての加工時には容易に除去可能な)高ガンマ物質等を意図的に混入させることも考慮の必要があると思います。また、自国での核開発の疑念を払拭するために、(法解釈の問題は別として)非核政策を改めて明確にする、適切な査察の受入等各種の対策が必要になります。勿論大量、長期の保管は保管費用が膨大になること、長期保管中のプルトニウムの変質などを考えると実際問題としては避けるべきと思いますが、一時保管のオプションがあれば、プルサーマルの実施、再処理の運転、高速炉開発などで幅のある対応がとれるのではないかとも思います。

 

19 再生可能な新エネルギー(風力、太陽光等)は今後いつ頃までに、どの位伸びるか、それを一層促進するための実行可能な措置は何か。、

  新エネルギーの開発は積極的に進める必要があると思いますが、エネルギー密度が低いこと、供給安定性の面などの問題点は明確に示す必要があります。特にエネルギー密度の問題は、一般の人から見ると無尽蔵に供給されるように思われるので、きちんとした形で示しておく必要があります。以前の記憶で誤りがあれば訂正して頂きたいのですが、太陽光は開発が進んでも四畳半程度のスペースで100W程度と聞いたことがあります。開発が進まない理由として経済性が挙げられることが多いですが、それは事実としても一般の人たちから見れば開発費を投入して普及すれば安くなるのではないかと思うのは当然だと思います。本質的に上記の理由として導入促進の必要はあるものの基幹電源とはなり得ないということを、だから原子力と言うことではなく、正確に伝えることが必要であると考えています。

 

以上