エネルギーのキリギリス
 

                            エネルギー問題に発言する会     杉野 榮美

蟻か、キリギリスか!
 私たちが、幼い頃読んだイソップ物語の一つに「蟻とキリギリス」と言う、有名な寓話があります。 働き者の蟻は、暑い夏中せっせと食糧を集めて、やがて来る寒い冬に備えて、それを備蓄していましたが、楽天家のキリギリスは、蟻が働くのを横目で見つつ、その間中大好きなバイオリンを弾き続け、とうとう着の身着のままで、冬を迎えてしまいました。 キリギリスはお腹が空いて空いて我慢できなくなり、虫の仲間の家を訪ね、食べ物を無心して回りましたが、どの虫からも余裕がないと断られました。 代わりに虫たちは、キリギリスに「蟻さんが夏の内から、良く働き、食糧を蓄えているので、お願いしてみては」と勧めました。
 キリギリスは、止むに止まれず、蟻の家に無心に行き、蟻の好意で、やっと食べ物にありつけましたと言うお話でありますが、実はこの寓話には話の続きがあるのだ言うことを、ある落語家から寄席で聞きました。
 それは、キリギリスが蟻の家に無心に行き、扉をノックしましたが、何度叩いても中から返事がないので、キリギリスがそーっと扉を開け、蟻の家の中を覗いて見ましたら、驚いたことに蟻が皆過労死していましたと言う悪いジョークでした。 この後半の悪いジョークは別としまして、この寓話は「備え有れば憂いなし」と言う、イソップの私たち人間に対する痛烈な警句とは言えないでしょうか。

備え有れば憂いなし!
 さてこれに関連して、「災害は忘れた頃にやって来る」と言う寺田寅彦の有名な言葉がありますが、昨今私たちの周りでは、いろいろな意味での災害に対する危機管理の重要性が叫ばれていることは、ご承知の通りであります。 例えば、安全保障の問題では、国際的には多発テロや不審船問題などによりクローズアップされている有事法制および体制整備の問題、国内的には大地震、大噴火などの自然災害への対策、経済大恐慌や原子力災害などの人為的災害への対策などが挙げられております。
 また私たちが生きて行くために不可欠な食糧の問題でも、異常気象や旱魃などによる大不作や食糧危機などへの対策の必要性が挙げられております。 また私たちの生活や産業にとって欠かすことの出来ないエネルギーの問題でも、オイルショックの再現や電力危機発生などの可能性に対する対策の必要性が挙げられております。
 特にこのエネルギー問題では、戦中、戦争直後のエネルギー不足のことが忘れられません。 ガソリン不足による木炭自動車、頻繁な停電、バッテリー応用の灯火、ローソクの常備使用など、どれを採ってみましても、現在の生活環境では到底考えられない不便な生活を強いられました。 また第一次オイルショックの時の急激な品不足や物価高騰なども、まだ私たちの記憶に新しいところのものであります。
以上の、どの問題を採ってみましても、何時それが発生するか人知では測り知れず、また一旦事が発生しますと、それに対する十分な準備と心構えが出来ていないと、国中が大混乱に陥る可能性のある問題ばかりなのではないでしょうか。
 問題が起こってからの対応では、一切が遅きに失し、国全体として大きな損失を蒙る恐れがあると言えるのではないでしょうか。 
 ここに私たちとしては、何時やって来るか分からない災害を想定して、予め十分時間をかけて、議論とコンセンサスの構築に取り組み、今からその災害に対する十分な準備と心構えを築き上げて置くことが、危機管理上 大変重要ではないかと思うのですがいかがでしょうか。          
 私は、昭和30年代初期の、日本の原子力の黎明期から、ごく最近までメーカーの第一線で働いていた者でありますが、今は一市民としての立場から、エネルギーの安定確保と言う、日本の危機管理上の重要問題に関して、日頃感じておりますことを、ここに申し述べさせて頂きたいと思います。

世界は大人だ!
 米国のレーガン元大統領が就任する直前の、1980年頃であったと思いますが、当時米国はカーター元大統領の下で、強力な核不拡散政策を推進しており、原子力発電の推進にもどちらかと言うと消極的でありましたが、来るべき共和党政権の下で、その路線変更を図るべく、レーガン政権発足直後に大統領補佐官に就任したアンダーソン氏の主唱で、ホノルルにおいて、民主導の日・米・西独3カ国の原子力平和利用推進のための国際会議が開催されました。
 日本からは故・大島元東大教授以下民間人8名(私もその一員)、米国からはアンダーソン氏ほか大学、産業界、シンクタンクなどから80数名、西独からは主としてアデナウワー財団(シンクタンク)などから20数名が、夫々出席しました。 会議は2〜3日間位続いたかと記憶しますが、その間米国のシンクタンクの出席者などから、私たち日本からの出席者に対して、数々の厳しい質問が投げかけられました。
 例えば「日本は、原子力発電を国として推進しているが、ウラン資源は何年間分確保しているのか。
 米国は2005年まで確保しているぞ」などと、米国の国力と戦略を誇示するような、私たち民間の出席者が戸惑うような質問が飛び出しました。 実は、当時の米国は、主として核不拡散政策上の理由から、日本が使用するウランに、米国の紐付きウランを使用するように圧力を加えて来ておりまして、日本がフランスなどからウランを購入することをけん制しておりました。
 また「日本のメーカーは、米国のメーカーとライセンス契約関係にあるので、将来日本のメーカーが原子力発電プラントを世界に輸出しようとしても、米国政府の許可が必要だぞ」などと、まだ日本のメーカーがプラント輸出を視野にも入れていない時期に、核不拡散および産業政策上の視点から、日本のメーカーが米国の発電プラント輸出の強力なライバルになることを警戒し、けん制しておりました。
 更に私が驚きましたことには、この会議は民主導の国際会議でありましたが、米国の出席者の中に、私服の米海軍将官が4人程オブザーバーとして参加しており、熱心に情報を収集しておりました。  
私はこの会議へ出席した経験を通しまして、エネルギー問題、殊に原子力発電などは、それが平和利用であっても、各国の国力、国益、政策、資源、思惑などが複雑に絡み合い、それが前面に押し出され、競い合い、うかうかしていると自国の利益を損ないかねない重要問題であると痛感いたしました。

エネルギーは戦争だ! 
 また私は、第一次オイルショック直後の1980年頃であったと思いますが、西独のミュンヘンで開催されました第11回世界エネルギー会議(WEC)に出席いたしました。
 この会議は、1924年第1回ロンドン大会以後、最近では3年毎に、主催地を替えて開催されていますが、世界90数カ国の主要なエネルギー関係者(主催国首脳、各国エネルギー担当大臣を含む数千人)が一堂に会して、エネルギーと環境、社会、経済などとの関連やエネルギーの有効利用法などを討議し、社会およびエネルギー政策決定者に意見具申、助言、勧告などを行う、国連の信任を得た唯一の国際会議であります。 本大会では、第一次オイルショックの直後でもあり、産油量増産と原油価格抑制の重要問題をめぐり、OPECを中心とする産油国側と、工業先進国を中心とする消費国側とに分かれて、激しい論戦が展開され、参加各国が夫々の国益を主張しました。
 また環境問題に関しても、国境を越えて拡散する大気汚染と酸性雨の問題をめぐって、主として欧州の関係国間で、「貴国が排出する硫黄酸化物やチッソ酸化物が、国境越えてわが国に流入し、酸性雨となって、わが国の森林を破壊している。
 もっと貴国は規制を強化すべきだ」などと、互いに相手国を非難し、責任を擦り付け合う、壮烈な論戦が繰り広げられました。
 私はこの世界エネルギー会議における、参加各国の国益をめぐる激しいせめぎ合いを目の当たりにしまして、エネルギー問題は、よく「エネルギー戦争」といわれますように、やはり武器を使用しない国際間の戦争だなあとつくづく実感いたしました。 
 またそれと同時に私は、ここに採り挙げました事例からお分かりいただけるように、世界の国々は、エネルギーや環境問題に関し、国益とは何であるかについて、国としての長期、短期のポリシーをしっかりと持っており、国際会議などでその立場などを堂々と主張して、交渉を自国に有利に持って行く積極的な、不断の努力をしており、その点世界の国々は大変大人であるなと思いました。それに比較いたしますと、私たちの場合、誠に残念ではありますが、エネルギーの安定確保に対する、国としての基本的な政策もコンセンサスもなく、エネルギー資源にしましても、国全体が平和ボケしているのでしょうか、いつでも好きな時に、好きなだけ市場から手に入れることが出来ると考えているとしか思えない、丁度前述のキリギリスのような油断をしていると言えるのではないでしうか。
 このような状態を無策のまま続けていて、私たちは世界から取り残され、気が付いた時には全てが手遅れになると言う事態に陥る危険はないのでしょうか。
 そのような時に、私たちをあの蟻のように助けてくれる国が一体あると言えるのでしょうか、そう私は心配せざるを得ないのであります。

日本のエネルギーは大丈夫か?
 そこで一つ私たちは、日本を含む世界のエネルギーの現状とその将来を、エネルギーの安定確保の視点から概観し、日本のエネルギーが置かれている状況を検証し、把握して置くことが大切ではないでしょうか。

(1)省エネは今どうなっているのでしょうか? 
 第一次、第二次オイルショック以後、省エネの必要性がクローズアップされましたが、今それはどうなって 
 
いるのでしょうか?  実は、最近ではその熱も冷め、この10年間で逆に世界の一次エネルギー消費量
 は10%強も増加しております。 しかもこの増加傾向は、今後も主としてアジアの発展途上国を中心に、
 続くものと予想されています。
(2)それでは今、世界はどの位のエネルギーを使用しているのでしょうか?
 一人当りのエネルギーの消費量(石油換算トン/人)を、地区別に、2、3の例で比較して見ますと、北アメ
 リカは6.3、ヨーロッパは3.5、日本は4.0、アジアは0.8、世界の平均は1.5でありますが、アジアの人口と
 GNPの急成長とを考慮しますと、アジア地区のエネルギーの消費量は今後急激に増加するものと思わ
 れます。
(3)その場合、世界のエネルギー資源はどの位持つのでしょか?  
 今後世界各国が、夫々必要とするエネルギーを消費した場合、採算性のある、採掘できる世界の一次エ
 ネルギー資源の量は、一体何年分位あるのでしょうか?  それを資源別に見て見ますと、石油は41年
 間分、天然ガスは62年間分、石炭は230年間分であると、現時点で予測されていますが、何れの資源
 も有限で、何れ近い将来に深刻なエネルギー不足を招来することが予想されます。 そうしてその不足
 する事態が、太平洋戦争の時のように、国際間の紛争の大きな原因となる恐れがあることも考えられま
 す。
(4)昨今、世界のエネルギー市場はどうなっているのでしょうか?
 オイルショック以後の、昨今の世界のエネルギー市場の現状は、幸い石油などは市場原理が機能して
 おり、需給および価格面とも小康を保っていますが、EUやアジアの諸国において、化石燃料に対する輸
 入依存度が高まりつつあり、将来の需給関係に若干の不安要因を残しております。 それに加えまして、
 世界的に電力の自由化が進み、経済競争が厳しくなって、石油に替わり天然ガスを多用する傾向が顕
 著となり、世界各国でパイプラインによるコストの安い天然ガスを大量に購入する傾向が急速に増大し、
 天然ガスの需給が逼迫化(ダッシュ・フォア・ガス)しつつあると言う、予断の許されない状況も出て参り
 ました。
(5)世界各国のエネルギーの自給の度合いは? また夫々エネルギーをどのように確保しているのでしょ
  うか?
 世界各国、特に工業先進国の間では、一次エネルギーの自給の度合いは色々でありますが、日本と同
 様自給力の小さい国においても、その国情に応じて、その国に最もふさわしい方策で、夫々エネルギーを
 安定に確保していることが分かります。 日本の場合は、エネルギーは石油(53%)、石炭(17%)、原子力
 (16%)、天然ガス(11%)などで確保されていますが、自給の度合いは僅かに21%しかなく、しかもその大半
 は原子力であります。 ドイツは、エネルギーを石油(40%)、石炭(25%)、天然ガス(21%)、原子力(13%)など
 で確保していますが、自給の度合いは40%で、その大半を石炭と原子力に依っています。 フランスは
 
エネルギーを原子力(39%)、石油(36%)、天然ガス(13%)、石炭(6%)などで確保していますが、自給の度合
 いは52%で、その大半を原子力に依っています。 米国は、エネルギーを石油(40%)、石炭(24%)、天然ガ
 ス(24%)、原子力(8%)などで確保していますが、自給の度合いは78%で、それを石油、石炭、天然ガス、原
 子力などの夫々に依っています。 ロシヤは、エネルギーを天然ガス(52%)、石油(22%)、石炭(16%)、原
 子力(5%)などで確保していますが、自給の度合いは157%で、その大半を天然ガス、石油などに依ってい
 ます。 最後に中国ですが、エネルギーを石炭(59%)、石油(18%)などで確保していますが、自給の度合
 いは99%で、その大半を石炭と石油に依っていますが、最近中国は石油の輸入国に転じております。
(6)それでは、日本はエネルギーを安定に確保できるのでしょうか?
 以上見て参りましたように、日本の場合は、他の工業先進国と比較して、エネルギーの自給の度合いも
 極端に少なく、またその大半は原子力に依っており、しかもその原子力の開発が大変遅れていることを
 考えて見ましても、非常に厳しい状況に置かれていることが分かります。 その上、前述しましたように、
 世界はパイプラインによる安い天然ガス化に急速に移りつつありますが、日本の場合、現在のところ液
 化天然ガスの利用の道しか選択肢がなく、コスト的に不利になっております。 加えて、日本は相変わら
 ず中東のオイルへの依存度が高く(87%)、産油国や産ガス国に対する価格交渉力が相対的に小さいた
 め、高い物を買わされることなり、結果的に割高にならざるを得ない宿命にもあります。
 現在でこそ、化石燃料を主体とする、世界の一次エネルギーの需給関係は、市場原理が機能し、比較
 的エネルギーの安定確保上の問題は浮上していませんが、もし産油国や産ガス国に紛争が起きたり、
 ダッシュ・フォア・ガスの動きや、EUやアジアにおける化石燃料の輸入への依存度などに急激な変化が
 生じたり、有限な世界の化石燃料埋蔵量が枯渇する兆候が見え始めましたら、日本を含んだ世界各国
 のエネルギー安定確保の動きは、一体どうなるでありましょうか。 エネルギーの自給の度合いが極端
 に低い日本は、工業先進諸国の中で、真っ先にパニック状態になるのではないでしょうか。
 確かに日本も、世界の他の工業先進国と同様、化石燃料や原子力や水力以外のオプションとして、持
 続可能な自然エネルギーの利用の道を模索、開発中でありますが、技術的にも、経済的にも代替エネ
 ルギーとしては、当分時期尚早であると言うのが、偽らざる、世界共通の現状であります。 従いまして、
 日本の場合、以上のような現状を放置しておりますと、将来のエネルギーの安定確保の点において、
 重大な、取り返しのつかない禍根を残すことになるのではないかと恐れるのであります。

今こそ国民的合意のエネルギー戦略が必要だ!
 以上、日本を含む世界のエネルギーの現状と将来の予測を、エネルギーの安定確保の視点から、概観して見ましたが、今後、私たちは、エネルギーを安定に確保する問題を論ずる場合、環境問題を避けて通ることはできません。
 その環境面では、1997年12月の京都会議(COP3)の議定書により、主要国の温室効果ガス排出削減目標として、2008年から2012年に先進国から出される温室効果ガスの年平均排出量を1990年レベルより少なくとも5%(日本は6%)削減することが、打ち出されております。 日本の場合、その目標達成の条件には、排出権取引きや森林吸収効果と共に、原子力発電の増設がはっきりと組み込まれております。
 従いまして日本においては、前述のエネルギーの安定確保の視点からも、また京都議定書を批准し、国際公約の排出削減目標を達成しなければならない環境上の必要性からも、原子力オプションの行使を、国全体として真剣に考えなければならない時期に来ているのではないかと、私は思考するのでありますが、ご承知の通り、国民的合意がなかなか成り立たず、原子力発電の増設は遅々として進展していないのが現実であります。                
 従来、原子力発電所の建設は、民間では主として電力会社、そうしてそれを支援するメーカー、また国側では主として監督省庁が中心となり、国策として推進されて来ましたが、実態は民間主体による原子力推進であったと申しても過言ではありませんでした。 ところが昨今、民間側の主役である電力会社は電力自由化の荒波を受け、独立電力供給業者や自家発電業者との熾烈な価格競争、また最近ではガス会社や他電力会社との料金値下げ競争に巻き込まれると言う、経営上の緊急課題に直面されています。その上、熱効率の高い液化天然ガス複合サイクル発電の出現などにより、原子力発電の相対的な経済優位性を見直そうという気運と、原子力発電所建設用地の取得の難航などが相俟って、電力会社は、従来原子力に置いていた軸足を少しずつ変えつつあるのではないかと思われてなりません。 
 それが杞憂であればよろしいのですが、そうでなくても電力自由化に伴い、新規に参入する、比較的身軽な小売の電力供給業者との価格競争は、電力消費者にとっては福音でありますが、電力の安定供給や環境保全の面で、重い社会的責任を負う電力会社にとっては、大変に厳しい挑戦であると推察されます。 従いまして、そのような状況が、際限なく、無策のまま続くならば、長期的視野からの大型投資を必要とする、電力会社による原子力発電の建設は、大変な試練に直面せざるを得ず、代わって化石燃料を使用する発電設備(前述の液化天然ガス複合サイクル発電でも、石炭火力の約50%の大量の炭酸ガスを排出します。これに対し、原子力発電は石炭火力の僅か2%程度です)が主として増設され、前述の排出削減目標の達成は益々困難となる恐れがあると思われます。 これでは一体、日本のエネルギー戦略と環境対策の行方はどうなっていると言えるのでしょうか。
 私は心配でなりません。
 日本が、国として真に原子力オプションを行使する必要があるならば、国としての基本的なエネルギー戦略を立案し、必要に応じて法制化して、原子力発電の位置づけと必要性に対する国民的合意を形成する努力をし、原子力発電を推進する国としての具体的な施策を打ち出す必要があるのではないでしようか。
 殊に国として、原子力発電や持続可能な自然エネルギー発電を含むエネルギーの基本政策を早期に策定し、国民に原子力の必要性と安全性を理解していただく指標となる方針を打ち出す努力や、電力生産県に対する更なる立地促進策の策定や説得などに、もっと真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。
 また電力会社が、種々の困難と直面しつつ、国策としての原子力発電を推進しようとしている努力を後押しする更なる施策、例えば「エネルギーの安定確保を担うための負担」と言う名目で、原子力発電設備を持たない、比較的身軽な小売の電力供給業者に、送電線使用料への上乗せを求めるとか、炭酸ガスの排出量に応じ、石炭や石油など化石燃料を使用する発電に、いわゆる炭素税を導入し、環境保全への寄与度を視野に入れた不公平感の是正を、国として図るなどの施策をもっと真剣に打ち出す必要があるのではないでしょうか。
 また民間側としましては、原子力発電の経済性をより一層向上させる自助努力を怠らないことは勿論でありますが、原子力発電に対する国民的合意の形成に不可欠である、原子力発電への国民の信頼を回復する不断の努力と、例え事故が起きても、それが重大事故に繋がらないように、信頼性、安全性をより一層高める技術的努力と、その事故の情報公開をより一層徹底する努力などを、官民挙げて取り組む必要があるのではないでしょうか。
 また私たち国民も、エネルギーを将来にわたり安定に確保することは、いかに難しく、また私たちおよび子孫の生活に大切であるかをよく理解して、まづエネルギーの節約に一層の努力をすると同時に、既に日本の電力供給の1/3が原子力発電に依っており、地球環境の保全のためには、今後暫くの間は、原子力発電に頼らざるを得ないと言う現実を良く認識し、そのためには如何なるエネルギー・オプションが良いのかを常に考え、国民的合意を形成する際に、単に原子力は嫌いだから、分からないから反対と言うのではなく、しっかりと日本のエネルギーの将来を見据えて、意思決定をしなければならないと思うのですが、いかがでしょうか。  
 原子力発電所1基を建設するためには、最低10年の歳月を要します。
 前述いたしましたように、日本の場合、世界の他の工業先進国と比較して、エネルギーの自給の度合いは遥かに低く、逆にオイルの中東依存度は高く、天然ガスも液化に依存せざるを得ず、持続可能な自然エネルギーの開発状況も未だしであり、ハードルの高い環境問題もクリヤーしなければならない現状を考えますと、国として一刻も早く、国民の合意を得たエネルギーの基本的な戦略を確立し、国家百年の計をスタートさせる必要があると考えるのですが、いかがでしょうか。
 よくドイツやスウエーデンなどで、原子力発電を段階的に廃止する政策決定が行われたことを取り上げ、だから日本も原子力発電を止めるべきだと言う議論をされる人もおられますが、あの決定は各国夫々の政治事情の産物的な面もあり、またそれを少しは許容するエネルギー事情に寄るところであることも事実であります。 しかも段階的廃止を実現化する条件である代替エネルギーもまだ出来ていないのが現実であります。
 従いまして私たちは、世界の環境を守りつつ、日本のエネルギーを将来にわたり安定に確保するために、日本としてどうあるのが最良であるかを熟慮して考え、今こそ国民的合意を得たエネルギー戦略を策定することが、日本の将来に最も大切なことであると考えます。
                                                          以上

   

  

 

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