座談会「東電問題 この難局をこうして乗り切る」要旨

 

この事件が起きた本質は、自主点検で安全上問題がないと評価されたシュラウドの傷を公表することによって、事後に如何に莫大な時間と労力を要する事態に展開して行くかを憂慮した苦渋と決断の結果である。裁量行政のなせる災いでもあった。政治的煽動的配慮のないオープンな規制当局や立地自治体への技術的説明と議論ができる場さえあればこのことは起こり得なかった。

一方、原子力安全・保安院の中間報告では、原子力の閉鎖的体質と言う強調が目立ち、この事件の起きた本質、報告書に云う技術的に間違った判断や公表の誤認識の底流にある問題の本質に触れていない。これらを含めて、規制当局として、透明にして公開を尊ぶ現代社会に於いて安全に対する規制の基本的概念と姿勢を明示すべきであった。

いま我が国に於いて原子力は、報道を通して発表しなければ報告したことにならならず専門家に任せておけないという慣習は間違っている。米国では報道以外にNRCを通じて幾らでもオープンに発表されている例を見習わなければならない。加えて今回は、報道は技術論を抜きにして情緒的社会的問題へと転化して行った。端的に言えばこれこそ今回の事件を誘発し且つ規制当局をしてかような報告をさせた要因でもある。報道は技術的に真実を国民に報道すべきである。

 維持基準の重要性が万能薬のように叫ばれている。検査結果についての裁量処理や顧問会を作って時間を掛けて検査評価をするような事態に至れば今までの繰り返しである。規制側は人員を増やすのではなく技術力を付けて対応しなければ、維持基準は生きてこない。プラントは生き物であり、すぐに同様のことは起きる可能性がある。海外のやり方をよく調査してこれを見習い、規制のあいまいさを無くして対応しなければ、また、国民の不信感を呼び国際的にも更に厳しい評価を受けることになる。

 報道による「ウソ」「偽り」の強調によって、国民の考える「安全」と技術的「安全」の真実とのギャップだけが増大した。この情緒的社会的不信の解きほぐしとあわせて「安全」に関するギャップを縮小するためのできる限りの活動と、規制側と電力当事者間でオープンに本音で技術的話し合いができるようにすることである。今回の事件によって当事者と規制側、当事者と国民の間で本質的な会話ができる機会到来の兆しができたと言っても過言ではない。これによって今回の事件の本質も次第に理解されることを期待している。

我々「エネルギー問題に発言する会」は現場の実務体験者の集まりである。技術の真実を発言し、「安全」を始めこの議論で浮かび上がった色々なギャップの解消に役立つ活動をして行かなければならないと考えている。