原子力発電反対の風潮の広がりを愁う

第22話 こんなにも脆弱な地球の大気(その2)

天野牧男

これは『21世紀の環境とエネルギーを考える Vol.24』(時事通信社)に掲載された筆者の同タイトルの記事の一部であり、第21話に続くものであります。この項も同社の了解を得て掲載するものです。炭酸ガスは年々その発生量を増加させ、是弱な地球の大気にインパクトを与え続けています。その増加を抑制する手段について色々考えられていますが、明白に有効な効果をもたらしてくれるものは、原子力発電しかありません。

                                                  

7.二酸化炭素の総量と排出量

 

今大気の中の二酸化炭素の総量は1兆8500億トンと言われています。一方現在毎年地球上で排出されている二酸化炭素の量は、1999年の報告によりますと、年間約230億トンです。これは現在ある大気中の二酸化炭素の1%をかなり越える値です。この全量がそのまま大気中の二酸化炭素量の増加につながるわけではありませんが、現在の排出量が大変なものだという事は認識されるだろうと思います。


 我が国は二酸化炭素の排出量の削減に関しては、最も努力している国の一つですが、それでも2000年には12億3700万トンの二酸化炭素を年間に排出させていて、その値は図表2に示すように年々増加しています。

1990年以来、産業部門での二酸化炭素の排出量の増加はほとんどありませんし、2001年には、多少減少しています。しかし他の部門では常に増加しており、特に全排出量の25%を超える運輸部門ではさらに増加を続ける勢いです。これ等のため、我が国は先日の京都会議で1990年の二酸化炭素の排出量の6%を減少させると約束しましたが、減少するどころか、2000年には総量でも約10%増加しています。産業部門が増えていないにもかかわらずです。

 

8.二酸化炭素の排出をどう抑える

8.1 自然エネルギー

 

ほとんどの環境に関する文献や著述には、二酸化炭素の排出の問題に関しては、自然エネルギーの活用が鍵であると出てきます。最近取り上げられている主な自然エネルギーは太陽光発電と風力発電ですが、冷静にこれ等の発電方式が二酸化炭素の排出を削減するだけのものになりうるか検討しておく必要があります。総発電量の1%や2%の電力を賄うのでは充分ではありません。やはり10から20%の発電量をカバーするものでなければ、真に有用なものとは言えなません。

確かに此処に太陽光発電設備や、風力発電設備があればエネルギーのもとは太陽光なり風ですから、燃料費はただで、多少の維持費だけで済むかも知れません。しかしこのシステムには次の三つの大きな問題点があります。

その第一は発電コストです。自然の分散型のエネルギーは密度が低いため、如何しても効率が悪く、結果として排出した電力のコストが高価になります。又建設費も大変で、これも電力代を押し上げる原因になっています。

第二は発電が本質的に気まぐれな事です。太陽光発電は夜は駄目ですし、曇りや雨ではほとんど機能しません。風力発電は当然ながら風が吹いてくれなければ、駄目ですし、強すぎても駄目です。台風などの風だと風車が破損してしまうので、強風の時は停止させます。このことは激しい電力供給量の変動をもたらします。こういった激しい電力供給の変動があることから、少量の電力を電気容量の大きい配電系統に投入するのであれば、それによる外乱の吸収も可能ですが、発電電力が増加すれば、その影響を吸収することが困難になって来ることです。自然エネルギーによる発電は、地方の送電容量の比較的小さい地域に設けられる可能性が高いため、この影響はさらに大きくなり対策に多大な費用が掛かります。
 第三は、電力というものは、需要家が必要だという時に供給しなければ役に立ちません。

必要な時に供給できなければ、需要とのミスマッチが発生する事になります。このミスマッチを解消しなければ、安定した電力供給にはなりません。このためミスマッチが大きければ大きいほど対策には当然多大な費用がかかります。この費用は自然エネルギー発電設備の建設費用、運転費用に上乗せされるものです。

上の図表は各種電源のライフサイクル中に排出する二酸化炭素の総量です。太陽光や風力からの発生量が余り少なくないのは、建設過程でのエネルギー消費が多いなどの理由によります。

 

8.2 水素エネルギー

 

クリーンなエネルギーとして水素エネルギーという声が、最近特に高く叫ばれるようになって来ました。国内の二酸化炭素の排出量の25%を超える運輸部門からの排出量の削減は、非常に重要ですが、それには電気自動車化と水素燃料の利用が有力な手段です。

電気自動車はその限りでは、熱の放射以外何も放出しませんが、電気を作る時、二酸化炭素を排出しない電源が必要です。それと安価で、寿命の長い電池の開発が重要な課題です。

水素を燃料として発電する燃料電池も有用な手段ですが、やはり水素を作る時に二酸化炭素を排出するものでは困ります。大量の水素を作るための原料は石油かLNGでありますが、いずれも二酸化炭素が発生します。水素にだけ眼を向けるのではなく、全体を見る必要があります。

先日醗酵関係の著名な学者が、ある微生物の中に水素細菌とよばれるものがいて、ブドウ糖をエサとし、有機物や水を分解して水素を発生するものがあって、それを水素の生産サイクルに組み込んでやれば、無公害のエネルギーが永遠に出来て、原子力エネルギーなどいらなくなりますと述べておられました。それは非常に結構なのですが、有機物を分解すると二酸化炭素が出てこないのでしょうか。お酒を造る時も二酸化炭素が出ます。お酒ぐらいならいいですが、我が国のエネルギーの何%かを賄うものにすれば、当然二酸化炭素の大量の排出があるはずです。

なお現在の水素についての課題は運搬方法です。水素貯蔵合金も考えられているようですが、未だ問題は沢山ありそうです。

水素が環境維持のためにも非常に有用なエネルギー源でありますが、その水素も二酸化炭素を排出しない方法で作る必要があります。現状では、二酸化炭素を排出することなく、実用の規模で水素を生産する方法は、原子力発電か水力発電による電力を利用するしかありません。

 

8.3 足るを知る生き方

 

人類の生活をもう少し足るを知った物にしていくことは、非常に大切な事だと考えています。人間が餓えに苦しむのは困りますが、あまり飽食するのは問題です。もう数年以上前の事になりますが、スコットランドを旅しました。ドーノッホというスコットランドの最北端に近い、北海に面した小村のホテルに泊まって、近くの景勝地などを見て廻りました。鮭の遡る美しい渓流などもありました。その小村を歩くと、道に沿って石造りの家々が続きます。一軒一軒がそれ程大きくはありませんが、綺麗にさっぱりと造られていました。庭は通りに面して、低い石かレンガで作られた、ほんとに低い塀が造られています。庭の中には薔薇をはじめとして、沢山の草花が咲き乱れていて、通る人にも「どうぞご覧下さい」とその楽しみを分けてくれていました。勿論そこに住む人たちの実際の生活を分ったわけではありませんが、ささやかに、しかし内容豊かに生活する人たちがここにいるのではないかという感を強く受けました。

これからの我々の生活は、足るを知るをそのベースにおく必要があると思います。筆者が卒業した旧制の高等学校の寮歌の一つに「見よソロモンの栄耀も 野の白百合に及かざるを」という一節がありました。物質だけではない、精神的な豊かさを求める生き方も大切でしょう。こういった考え方を日本も含め、世界の多くの人たちに理解され、それが大きな動きにするように何とかしたいと考えます。ただ現実には、たとえ国連などがその気になって動き出しても、世界がそういった方向で動くようになることは、そう容易なことではないと思います。 

 

8.4 原子力発電

 

現在二酸化炭素を出さないで、大規模にエネルギーを供給が可能なのは、原子力発電と水力発電だけです。ただ水力発電は国内では既に立地の関係で新規の開発はほとんど不可能です。

若し我が国で原子力発電をすべて停止して、これを石炭火力発電に切り替えますと、二酸化炭素の排出量は大体2億3千万トンぐらい増加します。これは全排出量の22%になります。これを逆に言えば石炭火力発電所を、原子力発電所に切り替えれば、二酸化炭素の排出量を大幅に削減する事も可能だということです。今原子力発電所を1基石炭火力に変わって建設しますと、年間に600万トン削減できます。これは我が国の二酸化炭素の排出量の0.5%に当ります。

原子力発電を高い信頼性を崩すことなく、安定したエネルギーの供給に耐えるだけのものにする必要は極めて高いものである事は言うまでもありません。勿論原子発電にも、未だ解決すべき問題、使用済み燃料の処分とかプルトニウムの活用など、ありますが、それを多くの人の努力で解決し、本当に人類に貢献するものにしていくことが、この大気に関連する問題にとって、最も大切な事であると考えます。

原子力発電が必要なのは何も我が国だけではありません。世界にとって必要な技術なのです。我が国で信頼性の高い、安価で操作性のいい技術を確立してあれば、国際的な貢献も出来る事になります。我が国の将来にとって、特にエネルギーや食料や資源の多くを他国から輸入している我が国は、国際貢献の出来る国であるか否かは極めて重要な事です。資源のないこの国にとって、強力な取引材料、手段を持つ事は、我が国の存在感を高める事になり、我が国の将来にとって極めて大きな意味があります。これは恐らく我々の持つ事の出来る最大の武器ではないかと考えます。