原子力発電反対の風潮の広がりを愁う

第23話 こんなにも脆弱な地球の大気(その3)

天野牧男

 

これは『21世紀の環境とエネルギーを考える Vol.24』(時事通信社)に掲載された筆者の同タイトルの記事、第22話に続く最後の部分であります。脆弱な地球の大気を守る最善の手段は、原子力発電であることは言うまでもありませんが、それが本当に役割を果たすには、信頼性を高めることが必要です。新しい技術を開発し、定着させ、大きな事故を発生させないためには、失敗を許容することの重要性を、国民的レベルで認識する事がきわめて重要です。

 我々の子孫のためにも、この脆弱な地球の上で、どう人類が生きていくか、真剣に考える必要があります。 

 

9.原子力発電への信頼性

 

先日もある中年の婦人から、筆者が会社では何をやってきたのか、聞かれたことがあります。

「一番長く従事したのは、原子力発電所の仕事です」

と答えると、間髪をいれず

「原子力、おおこわ!」

とやられました。

「原子力がどうして怖いのですか」

と聞き返すと、先ず返事がありません。時には

「チェルノブイリがあったではないですか」

と返ってきますが、チェルノブイリがどういった発電所なのかは、勿論全くご存じありませんでした。原子力がただ怖いのです。或いは何か嫌悪感があるようです。

「原子力発電所ご覧になったことがありますか」

「いいえ、見に等行きたくありません」

原子力発電に対してこういった感覚を持っているのは、一部の婦人だけではありません。

特に最近の原子力発電に対する、信頼はすっかり落ちてしまいました。そうでなくても時々、実質的な内容は僅かな事でも、大きく新聞に取り上げられ、又かといわれてたところへ、東京電力の情報の隠匿、改ざん等があって。まさに地に落ちた感があります。環境の維持改善のために、有効に働いてもらわなければならない原子力発電がこれでは、きわめて困ります。

 

10.技術を開発するためには

 

我が国と欧米との間に一つ大きな物の考え方に対する格差があります。それは技術の進歩のためには、何が必要かということです。我が国の場合、戦後特に工業が急激に発展しました。この一つの大きな原因は、欧米の進んだ技術を取り入れ、それを理解、吸収して自家薬籠中のものにし、高い品質の物を競争力のある価格で、販売できるようにした事にあります。この過程では、既に技術的に確立した物を持ち込みましたから、日本から見たら新しい製品であっても、ほとんど失敗をしませんでした。既にそれらの製品は欧米では、世に出ていたのですから、当然です。又それでも失敗するなら、よっぽどいい加減な事をやっているんだとみなされたものでした。

 昭和50年代になって、我が国の産業界の努力で、かなりの点で欧米の技術に追いついてきて、これから新製品を造るとなると、自分で開発しなければならなくなります。一から始めなければならないとなると、そう簡単にはいきません。かって欧米の産業がなめたと同じ苦しみを乗り越える必要が出てきました。

 18世紀後半から蒸気機関を初めとする、動力機械が作られだしましたが、

開発の初期の段階ですから、事故が続きました。特にボイラーの爆発が多くの人命を奪い、これがアメリカのASMEという有名な規則が出来るきっかけになりました。この規則が出来、その内容が整備されてくるにつれて、事故は激減しました。このほかにも有名な事故は色々あります。ワシントン州のタコマ海峡の吊橋が強風のために崩落したり、アメリカのリバティー船という1万トンぐらいの戦時標準船が2百隻以上も、次々に瞬時破断して沈んだり、最初の商業用のジェット機、コメット機が2機続けて墜落するとか、人類は多くの事故を経験していますが、これ等が技術をどれだけ進歩させたか分りません。今日構造体の強度に対する信頼性を高めたのは、これ等の痛ましい事故であります。

 こういった大きな事故でなくても、小さなものは沢山あります。事故とまで行かなくても、失敗というようなものは数知れずありますが、問題はそれらからどう、何を学ぶかです。残念ながら未だ人類は、何にもないところから、問題を見出す能力は余りありません。しかし失敗すれば、何処がどう悪いか分ります。これを徹底的に追求する事は可能です。

 

11.ハインリッヒの法則と国際原子力事象尺度

 

労働災害の発生についてハインリッヒの法則というのがあります。重大災害1件があると、その影に29の軽度の災害があり、その下には災害にはならないが、危うく災害になりかかったというのが300あるというのです。事故や失敗にも同様な傾向があるというのです。という事は300の小さい失敗にどう対処していくかが、大きな事故を起こさない重要な対応になります。

 原子力の事故の深刻さを評価する基準として、国際原子力事象評価尺度(INES)というのが作られています。これは原子力の関係施設で事故などが発生した時、その程度を国際的になるべく普遍的な尺度で示そうとするものです。一番ひどいのが7で、7から4までを事故、3から1を異常な事象、0は尺度以下と8段階に分類されています。チェルノブイリが最も深刻な事故の7で、スリーマイル・アイランドでは、人が危害を受けてはいませんが5です。我が国の原子力発電所では、最悪が2で1件、あとはすべて1以下です。ただ我が国での最悪の事故は、JCCの臨界事故で、これは尺度4になっています。従業員の致死量被ばくというのがこの分類とされた理由です。

ハインリッヒの法則はここでも考えられます。尺度0とか1のレベルの異状な事象が起きた場合でも、それへの対応が重要です。レベルが下がるほど、数が増えるものですが、これをきちんきちんと潰していく事が、重大災害を防止するための大切な手段です。問題が起きたらそれをはっきり公表して、原因を調査し対策を立てて、再発防止策を確立し、適用します。これがプラントの安全性を高める最善の方法です。そしてこのためには、一寸した問題でもはっきり表に出して、オープンに評価することが大切です。

 

12.問題点の公開とその許容−失敗に学ぶ

 

トラブルを公表する事は、設備の所有者にもはっきりした覚悟が必要なのですが、技術の進歩というのはそういったものだという社会全体の認識もきわめて重要です。INESのレベル0や1なのに「又原発から水漏れ」とか「信頼性を裏切る」などと新聞に大きく出されることは、決していい結果をもたらしません。このレベルのものは如何しても数は多くなります。「またか、またやった」と叩くのではなくて、それにきちんと対応する事が安全性を向上する手段になります。ましてその対処に少し手続き的な問題があったとして、プラントを長期間起動させなかったりするのは、もってのほかです。技術の進歩というものは、こういったことへの適切な対応から生まれるのだという事を理解する事が必要です。

 発電所の所有者は問題が発生したらすべての情報をオープンにする。そしてそれの徹底的な解明が必要です。原子力発電所でレベル4以上の事故は困りますが、そういう事がおきなないようにするためには、0でも1でも発見された物をきちんと解決し、それを他の発電所にも通達して、問題点があったところを改造する事です。

 スリーマイル・アイランド発電所の事故は、人的被害はありませんでしたが、軽水炉では最大の事故でした。しかしこのあと、アメリカでは産業界が自主的に、事故を調査し、不具合の事象を分析する組織INPOを作り、徹底した検討が行われました。あの失敗は小さいものではありませんでしたが、その結果発電所の改善が図られ、災害発生のリスクは全く桁違いに減少しました。

 このことから、意図的ではない過失を罪として罰する事は決していいこととは思われません。アメリカでは航空事故の場合,、故意である場合を除いて、過失事故に対しては免責にしているようです。御巣鷹山にJALのジャンボ機が墜落した時も、尾翼の隔壁を修理したボーイングの担当者は刑事的な処罰を受けなかったはずです。責任者を罰するより、正しい情報が得られることを優先するという考え方です。日本では何かあると真っ先に駆けつけるのが、警察のようですが、それも必要かもしれませんが、事実の正確な把握と、それによる技術の進歩を優先する、失敗を許容し、失敗に学ぶという風潮が非常に大切だと考えます。

 この世の中では、どんな優れたものでも、必ずと言っていいほど欠点もあります。その欠点だけ突っついていけば、どんなに可能性のあるものでも、駄目になってしまいます。これは人間でもそうだと思います。原子力発電所には非常に高い可能性があります。これを皆で守り立てれば、必ず人類にとって有用なものになって行きます。しかし寄ってたかって潰していけば、結局自分達にその損失がかかってくるだけです。

 この失敗に学べという話は、アメリカで1982年に “To Engineer is Human”(技術をすること、それが人間−設計の成功に果たした失敗の役割)が発行されたり、最近日本でも「失敗学のすすめ」などの著作が出版され、失敗こそが成功の鍵だとはっきり主張されてきた事は、非常に良いことであり、大切なことだと考えます。

 

13.日本の知識人

 

此処で少し踏み込んだ発言になるかもしれませんが、日本の知識人というジャンル、人によっては定義は変わるでしょうが、まあ大体の概念としておいていただきます。このジャンルの方々に対して、筆者が気になっているのは、その知識人が重要なそして少しデリケートな問題になると、それに対し何か他人事の様に対応するあり方です。例えば環境の学者の方達の論文や解説記事で、全部とは言いませんが、多くの方の記事の中で、地球の環境を守るには二酸化炭素の排出を抑える必要があるとまでは述べられています。しかしその対策として出てくるのは、省エネと自然エネルギーまでです。原子力発電が有効な手段だという発言はほとんどありせん。

最もこれは日本だけの現象ではないようです。フランスにコォンビ(Bruno Comby)氏という環境学者がおられます。ENE、「原子力のための環境学者」という会を造りそこの会長をしています。彼も筆者と同じような嘆きを口にしていました。

「環境学者達が、環境のためには原子力と言わないのが困ったものです」

確かに、こういった傾向は日本だけではないかもしれませんが、多くの知識人が充分に知識をお持ちなのに、何かこういった問題に対して無関心を装っているように思えて仕方がありません。

何か知識人といわれる方々の、こういった事象に対して正対するという態度が足りないように感じるのは筆者だけでしょうか。

 

14.結び

 

 地球の生命体が作ってきた壮大な体系を支えて、この素晴らしい環境を作ってくれているのは、地球を包むほんの薄い大気です。かって火星にも組成は違いますが大気がありました。今それはほとんど消滅しています。この大気を大切にする事は、我々の生活を維持していくために最も必要ではないかと思います。

 人類の英知はこのきわどい瞬間、人間の生産活動が高まって、エネルギーを大量に必要になって来て、地球の温暖化が避けられなくなりそうになったこの時に、二酸化炭素を出すことなく、人類にエネルギーを供給する事の出来る、原子力エネルギーの利用法を発見し、開発する事が出来ました。この技術を巧みに利用することを、すべての人類が真剣に対応しなければなりません。その原理が素晴らしければ素晴らしいほど、潜在する危険性もまた大きくなるものです。それをきちんと管理していく事が必要ですし、それがなければ人類は21世紀を乗り切ることも容易ではなくなるように思います。

 ユングフラウを見たあと、スイスの各地を巡って、マッターホルンを眼にするために、ツエルマットを訪れました。マッターホルンは、一日の間にも激しくその様相を変えていました。吹き付ける雲に身を任せているマッターホルンをジーと眺めていると、その姿がスフィンクスに見えてきました。前を通る旅人に、難問を問いかけていた、ギリシャ神話に出てくるスフィンクスにです。吹き付けるアルプスの風の、うなるような声が響いて来ました。

「人間よ! 神がお前を創ったのは、この自然を賛美させるためだったのだ」

「人間よ! この自然を、この美しさを、そのお前が滅ぼそうとするのか」

的確な返事が出来なかったら、人類はその餌食にされてしまうしかないでしょう。