東電問題−この難局をこうして乗り切る

(エネルギー問題に発言する会、座談会)

               平成14年11月17日

1. まえがき

 

原子力発電所における自主点検作業記録の不正等の問題(いわゆる東電問題)は、データの改ざん,隠蔽という「反社会的行為」によるもので、立地自治体は勿論のこと多くの国民の原子力当事者への不信感を極度に増長せしめてしまった。この結果、現在の原子炉へのプルトニウム混合燃料の使用の計画は白紙にもどされ、今後の原子力政策に多大の影響を及ぼし、我が国のエネルギーセキュリティの上でも課題を残すおそれすら出てきている。

このような状況下で、本会としても何等かの行動を起こすべしとの空気が高まってきており、まず運営委員会を主体にした座談会を催し、ざっくばらんに意見を交換することにした。

この資料は、座談会の記録をまとめたものである。座談会の議論のストーリーは要旨を参照されたい。

 

2. 事実関係の確認

 

この問題の経緯原子力安全・保安院の中間報告の要約をレビューし、座談会の参考とした。

 

3. 一連の事件はなぜ起きたのか,その本質は何か

 

○ そもそもの発端は、技術的な評価により「安全性に問題ない」となった事象を、その後どう扱ったかということが問題である。当事者はこの事象を発表することによる地元へのインパクト,規制当局の取扱い,顧問会の先生方がどう判断されるかなど悩んだに違いない。また、その対策に要する会社の莫大な労力や関係先へのインパクトなども考えなければならない。安全上の問題でなく、自主点検の領域であるにもかかわらず、オープンにすれば話がどんどん大きくなり、原因究明や顧問会対応で相当長期の時間を必要とし、この間プラントは停止しなければならなくなるだろう。反面、これを外に出さないとしても、それなりの根拠がいる。このようなことを短時間のうちに十分考えて判断しなければならないが、恐らく当事者にとっては苦渋に満ちた決断ではなかったかと思う。決して私利私欲のために行ったものではない。それが最近の報道ではまるで悪人扱いされているのが残念だ。

○ 最初の判断が問題だった。あとはいわば毒饅頭をリレーしてきただけと云える。米国では、100基以上の原子力発電所が稼動している。事故や損傷の経験も多数ある。わが国の電力会社やメーカーでも、おおよそのところは把握しており、炉内構造物のトラブルなどの対応も事前に検討している。しかし、実際に初めて経験した人はその影響の大きさにたじろいでしまい、安全上の問題でもないこともあり抑えてしまったのではないか。

○ 規制側と電力会社との関係において、技術的に納得できぬことを押し付けられた結果だと思う。相手が同一に判断できればよいのだがそうではない。そこを一方的に押し付けられる。たとえば、車1台走っていない制限時速40kmの広い道を60kmで走ったとして捕まる。恭順の意を示すであろうか。お互い率直に「技術的に間違っていたな」と言い合える風土にあればこうはならなかったと思う。

○ 原子力の点検では、安全に関係する設備は国が検査し、それ以外の設備は電力の自主点検に任せている。自主点検は、当初、火力と同じやり方で良いという判断でやっていたと思う。たとえば、タービンの羽根は傷を手直ししてピカピカに磨いてならべる。検査官は何処を如何に直したかは聞かない。どのように手入れするかは電力の判断に任せている。原子力の自主点検も同じ考えで始まったが、今ではそれでは済まなくなってきた。世の中が変わってきた。

○ 技術的におかしいと思った時、多くの人にそれをアピールできるシステムか何かあったらよいと思う。実際には、それを言うと運転の再開が遅れるというより、「地元の政治情勢まで影響を及ぼすので言わないでくれ」ということがあった。これなど技術者はあずかり知らぬ世界である。技術的に困ったらオープンに議論できる場がどうしても必要だ。今後は出来るかもしれないが。

 

4. 安全・保安院の報告書についてどう考えるか

 

○ 中間報告に「原子力以外の人が関与しなかった」とあるが、問題はとにかく裁量行政が多いことがあげられる。しかも裁量が人によったり、場合によって違う。現場の人から見るとこの点が一番大きい問題である。裁量の範囲など、法律の専門家を入れてしっかり議論する場すらない。電力会社もそれをやってこなかった。維持基準ができても全て解決できるわけではない。裁量のところをどうするか,電力の自由化が進む中で規制との対応をどうするか,マスコミとの対応をどうするか,その辺の基本方針が報告書には欠けている。

○ この「原子力以外の人の関与」という点では、技術評価力の点で難しい。現場で何かあれば、社内のその道の専門家を呼び集めて充分検討して答えを出す。会社としてのアウトプットは当然原子力部門から出るが、それだけを見て原子力の人ばかりで検討しているなどと言う人は実態をあまりにも知らなさすぎる。今以上の人が関与しても技術的に議論できるわけがない。電力会社の報告書を見てもその点実態に合っていず、世間におもねた表現になっている。

○ 報告書に「説明責任」という言葉が盛んに使われているが、数年前まではこんな言葉は聞かなかった。今までは規制側と企業の関係や第三者に対してどうかというようなことは「広報」の問題としてとらえていた。今は、規制側と共に事業者も国民に説明する責任があり、それをやらぬと原子力は前に進まないという認識だ。それも大事だが、未だ日本の社会には定着していない。時代は変わった。具体的にどうするか新しく考えねばならない。

○ 「このように技術的に間違った判断があった」というなら分るが、報告書にはどこにも見当たらない。安全上問題がないと判断した事象は公表しないという誤認識があったと報告されているが、何が誤認識か。原子力屋ばかりでやったからおかしいと報告されているが、何が本当におかしかったのか,具体的に書かれていない。先ほどあった40kmと60kmの話も車の性能が上がり、ブレーキが良くなったら規制を変えて良いはずである。それが無かった。

○ 安全に対する規制の概念をはっきり決めないと、世の中の人は納得してくれないだろう。米国は何事も透明性を尊び公開して行く社会だ。われわれもその流れに乗ってゆかねばいかんのではないだろうか。

 

5. 報告手段と報道について

 

○ 日本は科学技術の発達の過程で遅れている。今まで大きなトラブルは経験していない。良い物を作って当たり前という考えだ。海外では、汽車,飛行機の例をまつまでもなくものすごい事故を起こしている。日本にはそれが無かった。原子力も実証された技術を導入したはずであったが最初はトラブルの連続だったが、いちいち発表していなかった。プラントが停止する場合は発表していたが、新聞発表しないと発表したことにならないというのはおかしい。米国では新聞発表されていない事柄なども原子力の雑誌(ニュークレオニクス・ウィーク)などでかなりオープンに発表している。NRCに報告しない情報でも新聞以外に溢れている。そこに体質的な違いがある。日本では、プラントが止まると必ず「止まる」話と「中間的」な話と「立ち上がった」話と3回出る。したがって、プラントを止めてはいけないと必死に改良してきた。しかし、ちょっとした傷でもどこまで発表すべきかはっきりしなくなってきた。シュラウドも5個交換した。テレビにも出た。「クラックが無い」と云って交換したわけではない。新聞に出なかったらおかしいというのは変えてゆかねばならない。公開の原則がだんだん厳しくなってきたが、シュラウドなどどこまで出すかというところが遅れていた。その辺よく煮詰めないといけない。そして決ればドンドン出すという風にしてゆかねばならない。例えば検査結果などある場所に置いておき、誰でも見られるというようにしておくのが良い。全て新聞社に出してゆくのは大変だ。

○ 今、問題になっているのは安全に係わる規則ではない。日付とか数字の間違いとかおよそ技術に関係のないところで騒がれている。「原子力村」といわれるのもカチンとくる。何も原子力工学を出た人だけがやっているのではない。材料屋,強度解析屋,などいろいろな科学者,技術者を動員してやっているのだ。

○これは、全体の人が知っているか、一部の人だけが知っているかを区別したい日本独特の考え方なのだ。

○ 今までは「あの人達に任せておけばよい」であった。一旦何か起こると「あの人達を叩け」となる。政治の世界も戦争の時も同じだ。日本はそういう国なので、そこにあまり腹を立てず対策を相談してゆこう。

○ 高校時代の友人があの新聞報道の後電話をかけてきた。第一声が「おい安全なのか」だった。世間一般で考える安全とわれわれが考える安全にはギャップがある。われわれは、構造強度については信頼性の問題と捉えプラントの安全性とは一線をかくしているが、世間は同じ問題と捉えている。両者で共有する「安全」をどうやれば上手く表現できるかだ。

○ 昔、原子力を始めた時は「原子力は安全の技術」と言われた。現場の人は今でも一番気を遣って仕事をしている。しかし、国民との間で安全性についての基準が違う。この会では、それをどのように埋めてゆくかということを検討するのも大きな役目だ。

○ シュラウドなど今回の問題は安全問題ではない。当初報道は騒いだが、この頃は「データ改ざん」「偽りの申告」ばかりだ。なぜそういうことをせざるを得なかったのかのつっ込みはない。逆にいえば「偽り」や「不正」を無くせばこの問題は解決するはずだ。「偽り」や「改ざん」を皆無にするのが大事だ。

○ 今回の問題の投げかけた影響はそれほど簡単なものではない。わが国の最優良事業者が「偽り」や「改ざん」をしたということで、国,電力,メーカー,学者を問わずわが国の原子力関係者の言うことは全く信用できないと国民が信じてしまったということである。こういう人がいくら「原子力は安全」と言っても信用できないということである。国民の信用回復には相当の覚悟がいると思う。

○、初期の段階から、特例申請をキチンとやるべきであったと反省している。自分達を守ってくれるのが検査データであるのに、何故データ改ざんなどやったのか理解に苦しむ。いまやプラントを止め検査をやり直すしかない。そんなことで「うそ」をつく会社など信用できるかとやられている。その点については情状酌量の余地はない。せめてこの教訓としては維持基準とか科学的に物を考える委員会をきちっと作って欲しいと思う。

○ 敦賀一号のシュラウド・サポートに傷があり、安全の問題ではないかと言われたので、新聞記者に入って見てもらった。よく見えないくらいの微細な傷で、削り取らなくてもよいのではないかという声もあった。傷は全部削ったが、先生方からも「削っても意味ないだろう」と言われた。あれが安全問題だとの認識は何も無かったし、まわりもそうであった。シュラウドの取替えは、当初計画240日に対し実際は540日かかった。大変な工事であった。

○ 新聞は浜岡にせよ東電にせよ情緒的社会的問題として扱う。本当に安全かというような技術的な面は書いてもらえない。

○ 新聞は維持基準にまず関心を示し、次のステップとしてやれ検査の人数を増やすとか組織を変えろとか書いている。本当は人数でなく人材が不足しているのだ。

○ 解説記事を書いても掲載されるかが問題だ。石川先生の記事が電気新聞にのったが、あれは仲間内の業界紙だ。やはり、まず朝日。朝日にはすばらしい投稿欄もある。

 

6. 技術的な問題点と対応,維持基準は万能薬か

 

○ 維持基準は大事で早急に作るべきだが、万能薬ではない。大事なことは裁量行政を止めることである。委員会を作って、グチャグチャした話をひとつづつ片付けてゆかねばならない。

○ 維持基準だけでは駄目。現場へしわ寄せするのが一番良くない。皆さんの現場から色々と意見を聞いているが、本当のところが表へ出てこない。電力やメーカーが色々と問題点を集めてきて棚ざらしにするぐらいのことをしないと南さんの辞任がかわいそうだ。韓国も日本と安全条約の交渉中に「東電問題もあるし信用できない」と発言したらしいがこれは困る。水中溶接とか外国でやっていても日本は駄目なものがある。これらの問題をあらいざらい出して、必要なことをドンドンやってゆけば随分よくなるのではないか。

○ 「物」が壊れるかどうかで安全を担保しているのではない。30何年も原子力を営々とやってきて国民の生命や財産に影響を与えるようなことはやっていないのに、今回のような騒がれ方は誠に残念だ。

○ 今マスコミを含めて関係者は皆「これまでの基準では建設したときの姿が常に要求される。だから維持基準が必要」と言うが、減肉とか摩耗のような経年劣化的なものは、これまでも規制側のオープンな場で認められている。維持基準が作られても、その辺の事情が上手く伝わらないとまた「ウソをついた」とケチをつけられるおそれがある。また維持基準は一種容器と一種管だけだ。二種、三種はどうしてくれるのか。さらに、検査結果を国が評価する時、力がないので先生方を集めるとなると今やっている事の繰り返しになってしまうおそれがある。

○ 一種容器,一種管が認められぬと前へ進めぬから、まずこれの維持基準を作った。二種、三種設備は今機械学会で検討されている。

○ 米国ASMEでは民間から国へ要望することにより、規制が改正されるということが比較的自由に行なわれているが、日本はどうなるのか。

○ その点は問題ありと認識して、現在検討されている。

○ 米国ではシュラウドに傷のあるプラントが10基運転されている。地震力の強化策としてタイボルトやバンドをしたりして簡単に済ませている。わが国では、現在地震がきたときにどうなるか解析中である。

○ 米国ではASMEがしっかりしたデータに基づいて許容欠陥など決めているが、日本ではデータも十分でないと思うがどうするのか。

○ わが国でもASMEと提携してデータベースの交換など行っている。

 

7.     同じようなことがまた起きぬか

 

○ 生きているものだから、また起きるだろう。電気新聞に書いたが、中国ではプラントの運転形態は中国式ではなく、他国で上手くやっているところを真似て欧米式だった。日本は火力のベースをそのまま引きずっている。現場で問題が出たら外国ではどうやっているのかをよく調査すべきだ。IAEAでは東電問題で日本の信用は地に落ちている。日本も早く表に出すべき話は出してしまって、手を打っていかなければならない。

○ 現場の裁量の余地とかあいまいさが残されたままだと、同じような問題が再発し、内部告発が出て報道され、「ごまかし」など同じような事になってしまうおそれがある。

 

8. 信頼を回復するためには

 

○ 「偽り」とか「改ざん」と報道され、国民から信用を失ったのが大きい。今までのように「原子力のことは事業者とメーカーが世界に通用する技術を駆使してやっているのだから任せて」とはいかなくなった。「もんじゅ」も動くまで10年はかかるだろう。信用回復をどういう手段でやるか。

○ 当然のことながら、「偽り」や「改ざん」は一切しない。さらに、公に出て話のできる場を作らないといけない。

○ 一般の人は不安でなく不信だ。技術を離れてどうやって分ってもらえるか。

○ 両輪で物事を考えていかねば駄目だ。社会性だけで走り、技術論を外すのはいかんと考える。

○ 朝日新聞の世論調査の結果が10月8日に報道された。2000年12月の面接調査では、原発推進賛成が33%,反対48%だった。原発事故に対する不安は「大いに」と「少し」を合わせて75%であった。今年10月5,6日に電話調査した。原発事故に対する不安は「大いに」と「少し」を合わせて87%と増えているが、原発推進に賛成は38%,反対44%で、賛成が増え、反対が減っている。「不安」は「ウソ」とか「偽り」のせいであり、原発の賛成が増えたということは原発への理解が増えているとみてよいのではないか。福島と新潟では全く違う数字であったし、PWRの地元は冷静であった。したがって、原子力そのものを否定したものではないと考えてよい。

○ 一般の人の感じる「安全」とわれわれの考える「安全」がずれているのは不味い。シュラウドとチェルノブイリを同列に議論するのもおかしい。

○ 今後そいういうことをきちんと説明してゆかねばならぬ。GE社もNRCへの報告は義務としてしっかりした基準を持っているようだ。打合せの席上でも報告の要否につきはっきり発言するし、社内すみずみまで浸透している。日本もきちんと報告するシステムつくりが必要。懺悔して「この通りやっている」という実績を作らねばならない。

○ 今までは規制側と意見の相違があっても避けてきた。しかし、これからは弁護士を帯同してでもやるということを会社のトップまでその気にならぬといけない。現場だけでは何も出来ぬ。

○ 見方を変えぬといかんのではないか。あまりにも電力/役所間のギャップや、安全についての原子力業界/一般の人たちのギャップが大きすぎた。医療や食品などの業界では一般の人たちを消費者として捉えている。我々の業界は消費者との間に幾つもの段階がある。一般の人たちにどうやって原子力を理解してもらうべきか。もっと発言せよと言われるが、発言しずらいこともある。一方、一般の人達は何を言われても理解できないし、納得できない。そこで不安のみつきまとう。何故苦渋の決断をせねばならなかったのかの本音の話をせねばならない。

○ これまで我々も消費者にやさしく語りかける努力をしてきた。国民にもいろいろな人がいるが、分ってくれないと考えたほうが的を射ている。規制当局と電力・メーカーの関係が、堂々とオープンに本音の話をするようになれば国民は安心するだろう。その点保安院の中間報告は何か胡散臭い感じがする。

○ 皆さんの話を聞いていると、弱い人が傷を舐めあっているようだ。これは規制当局の下に電力、その下にメーカーの構図がもたらしたものではないか。この際規制当局を変えてゆくべきだ。一体この保安院の報告書は何だ。

○ メーカーが規制側にコンタクトすると電力から「コラ!」とやられる。電力が規制当局の上に言うと、例えば火力とか他のところでガツンとやられる。しかし、これからはそれを恐れずトップを含めて腹をくくらねばならぬ時代か。

○ 保安院がまた何か組織を作り、焼け太りになるのではないか。これは許せぬ。NRCのジャクソン委員長は維持基準を早くから採用したので、英,独,仏,中国なども全てこれにならった。日本だけがやらなかった。規制側に理念をしっかり持ったトップを据えないと駄目だ。「新聞なんか怖くない」とガンガンやる人でないと。

○ 保安院はJCO事故後焼け太りでオフサイトセンターを作った。今回も焼け太りの予告をしている。

○ 焼け太りと言うが、行革の嵐の中で自分から増やそうなどと考えていない。地元知事、議会の要求から始まった発電所の停止している現状を打開し、運転を再開するには、法改正や組織改正といった具体的対策を国会や県議会等の政治の場で示す形がとられ、結果として実質的、技術的内容の検討不足のまま、組織人員の増加となる。
規制される側からの不満を吸収するのは、どこの国でも当事者でない別のところに行ける権威あるシステムを持っている。日本も是非そのようなものを作らないといけない。

○ 日本は学会がだらしない。ASMEをベースとした維持規格など日本機会学会が2000年に作ったが、先生方にもっと頑張ってもらわないといかん。

○ 原子力委員会然り、安全委員会然りである。

○ 今度の事件で原子力を理解してもらえる良い機会が来たと考えるべきである。この機会を活かして新しい体制にもっていってもらいたい。コンプライアンス,不条理,微細な傷など議論できるようになった。一般の人も、ちょっとした傷と本当のプラントの安全とは違うということを分ってもらえるようになってきたのではないか。今だとじっくり話を聞いてくれる。この機会を大いに活用しよう。

 

9. エネルギー問題に発言する会としてどう対応するか

 

○ まず声を出せと言うことだ。電力がこれまでいろんな場面で苦渋の決断をしていることを、全体論ではなく一部を見た印象でもよいから、自分の経験をずばりと言っていただくことが必要。体験者の声が一番効果あり。そのうちマスコミもだんだん私たちの言うことが分ってくると思う。

○ 原子力界共通の体質として、中では言うが外へは言わない。米国なら外へちゃんと言っている。電力の立場も分るが、規制側に対してもっとフランクに持っていって相談すべきじゃないか。耐震設計の見直しなどもう何年もやっている。泊はなんとかなったが、島根はまだはっきりしていない。しかし、原子力業界からは一向に抗議の声が上がらない。

○ この9月~あちこちで講演しているが、どうしても「東電の話」にいってしまう。新潟では「どうして新聞は原子力をいじめる記事ばかり書くのか」と質問された。愛媛大学では普段私語が多いクラスだが、この話を始めると一斉にシーンとなり皆聞き耳を立てていた。関心をもたれているのは事実だ。今こそ、原子力の人たちが一斉に発言するチャンスであり、かつまた必要である。発電所の運転を経験した電力関係者の話など貴重だ。折角この会を作ったのに発言が少ない。起承転結など少しぐらい外れていても良い。一部の観点であっても「私はこう思う」で良い。

○ 先日当会のホームページに掲載された「東電問題後の分析」は少し過激だったが面白かった。新聞社は投稿欄を持っているのでこのような肉声をドンドン投稿していくべきだ。一週間待って掲載されなかったら、採用されなかったと判断し、当会のホームページを活用されるとよい。

 

10. 結び

 

出席者の論点を少しでも分りやすくと考え、いくつかの項目に分けて発言の主旨をそこなわないよう羅列の形式でまとめた。マスコミの論調は沈静化した感があるが、まだ中間報告の段階であり、この問題は進行中である。この時期に会員による自由闊達な討論ができたことは大変良かったと思う。この問題の進展の状況に応じて、また別の機会に討論することも考えられるが、とりあえず「この会としてどう対応するか」の項で話し合ったことをできるだけ実行していくことが大事なことだと思う。

 

        

日時:平成14年10月23日(水)14:30−17:00

出席者:(敬称略、順不同)天野牧男、阿部進、荒井利治、池亀亮、石井亨、石井正則、石川迪夫、小笠原英雄、小川博巳、澤井定、篠田度、杉野栄美、土井彰、長島廣忠、林勉、益田恭尚、松岡強、松田泰、松永一郎、水町渉

招待者:尾崎正直氏、中村政雄氏

司会:岩井正三、加藤洋明、高橋英昭