原発反対の風潮の広がりを愁う 第15話
自らの首を絞める愚かさ 続
平成15年9月28日
エネルギー問題に発言する会
天野 牧男
週刊金曜日の8月8日号に「圧力容器が製造当初からひび割れ? スクープ まだ隠されていた欠陥原発」と言う記事が載りました。此れは筆者に対するインタビューをべースに作られていますが、筆者の発言をほとんど否定しています。此れに反論するために「自らの首を絞める愚かさ」という一文を当会のHPに出しました。それについて編集者の伊田氏と批判を書いた田中氏とメールのやり取りをしましたが、当方からの問いに回答することをしないで、又夫々別の記事が投稿されました。このHPはそれらに関連する問題点を明らかにするために作成したものです。
週刊金曜日の記事
週刊金曜日の8月8日号に「圧力容器が製造当初からひび割れ? スクープ まだ隠されていた欠陥原発」という4ページにわたる記事が載りました。さらに9月5日号に「政府はひび割れの情報をすべて公開せよ」という記事が掲載されました。
これらの記事は原子力発電所の最も重要な機器である、原子炉圧力容器についてであります。8月8日のものが発行されましたので、なにが問題なのか、我々の会のHPに載せ、週刊金曜日の方にもお届けしました。
このHP に対して、まとめますと、週刊金曜日の副編集長伊田浩之氏から1回、この記事の中で意見を述べている田中三彦氏から3回、Eメールが送られてきました。筆者からはそれらの内容が全く受け入れられるものではありませんでしたので、夫々に反論しました。
筆者は先方からのいずれのメールにも回答というか再度の反論をして、こちらからの質問に対し返答するように申し入れました。しかし遂に質問のどの一行にも返答がありませんでした。
そして、当方からの抗議に対しては回答をしないで、田中氏は9月5日の週刊金曜日に、署名入りの記事を掲載しました。
以下それらについての、当方の考えを申し述べますので、それに対する週刊金曜日の編集の責任者のお考えを伺いたいものであります。
スクープというもの
筆者がこの8月8日の週刊金曜日の記事を見て最初に驚いたのは矢張りその見出しであります。何せ「圧力容器が製造当初からひび割れ? スクープ まだ隠されていた欠陥原発 炉心溶融の危険性指摘する専門家も」と1ページの半分以上にわたって黒地に白抜きで、大きな字が浮き出しています。さらにこの中に「原発の心臓部。炉心が溶けて放射性物質が飛び散るなど、きわめて深刻な事故に結びつく欠陥だと指摘する専門家もいる」と続きます。このひび割れが原因で放射性物質が飛び散るのでは大変です。原子炉圧力容器が破壊して、放射性物質が飛び散るのでは、スリーマイル島以上の大惨事になります。
此処で最初に質問したのは、30年も前から、専門家の間では周知の事実ですし、専門誌にはきちんと顛末から、研究の様子、そして危険性は全くないという発表がされているものをもち出して、スクープというのですかということでした。ところがこれに対して一番激しい反論が来ました。先ず2種の辞書のスクープの定義が載せられて、そのあといろいろの人にこの問題を知っているか確かめたけれど、あの人も知らないこの人も知らないとならべられてあります。多くの人が知らないからスクープなのだそうです。 新聞社などがスクープとか、特種にどんなにこだわるかは、昔未だ白黒のテレビの頃放映されていた、確か「事件記者」というテレビドラマで知りました。事件記者にとっては、このスクープや特種は命です。そんな事もあったので、或るジャーナリストの意見を聞いてみました。そのジャーナリストの返事は、「たとえ外国の専門誌であろうがそういたものに載った内容の物を持ってきて、スクープと私達は言いません。言う言わないはその雑誌社とか記者の襟持の問題ですね」というものでした。
さらに先ほど述べたスクープの定義には、いずれにも「他社を出し抜いて、重大な事実をつかみ」とありますが、実はこの件について、週刊金曜日と相前後して、筆者のところへ報道関係では一流といわれる何社からかインタビューがありました。それらの他社の何処も出し抜かれたと言って来ていません。このことを伊田氏に伝えましたが何の反論もありませんでした。
今問題になっているのは、原子力圧力容器の内面のステンレス鋼の肉盛溶接部の下にある、低合金鋼の熱影響部に溶接やそのあとの熱処理の過程で発生する可能性のある、微小なひび割れのことです。Underclad Cracking(UCC)と言われていますので、UCCとして話を進めます。
記事の構成−驚くべきアンフェアーさ
8月8日の週刊金曜日に載った「まだ隠されていた欠陥原発」という記事が出る1月ぐらい前に、伊田副編集長のインタビューを受けました。この記事の中にかなり何箇所か、筆者が話したことが、断片的にですが割合正確に記載されています。ところがそのあとに、ここで重大な疑問が生じると編集者や、編集者が意見を集めた人たちの発言が続きます。上述の田中三彦氏の批判もその種類のものであります。
ところがこういった、筆者の意見を否定するような発言は全く筆者に知らされないで、記事にされてしまっています。その間筆者は全く無防備であります。さらに此れは田中氏とのメールのやり取りで分ったことでありますが、田中氏は伊田氏からゲラをもらって、目を通したと言っておられました。
酷いものであります。片方には何も見せず、どういう記事にするかも何も言わないで、それを非難しようとする方にはゲラまで見せて、充分に検討した上で記事にしています。きわめてアンフェアと言ってもいいような進め方ではないでしょうか。
伊田氏は東京電力等の電力会社、製造メーカー等に取材を申しいれたが、いずれも断られたと言っています。こういう編集の仕方をする週刊誌には、取材を断るのが当たり前で、のこのこ取材に応じた筆者はよほどおめでたい人種のように思われます。
彼らは自分達の言いたい主張をするためには、こうするのだと言われるかもしれません。そうだとすれば週刊金曜日はそういった週刊誌とみなして対応するより仕方がないでしょう。筆者はどなたにでも、どんな問題でも、知っている限り、正確に話をする事にしてきていましたし、これからもそうするつもりでした。しかし場合によると、相手を見て考えなければならなくなった事は、非常に残念であります。
炉心溶融の危険性
脆性破壊が起きると、この記事の中にある伴英幸氏によると、炉心溶融につながるそうです。又この記事では、ひび割れのある恐れのある原子炉圧力容器には脆性破壊を起こす恐れがあると、田中三彦氏が批判しているとあります。
批判している内容は次のようなものです。
1 圧力容器は無欠陥が大前提
2 検査で発見できないひび割れが潜んでいる可能性があることは大問題
3 溶接協会の報告書は国外のそれも一民間組織が出した研究結果。そんな報告書に安全性を頼るのは論外
4 緊急炉心冷却装置が働いた時、加熱衝撃で瞬間的に割れる「脆性破壊」を起こす恐れがある
5 溶接協会の報告書はECCSが働いても大丈夫と書いてありますが、コンピューターが発達していない30年以上前の計算が正しいかどうか疑問がある
6 運転を続けている圧力容器は、核分裂反応で出る中性子を浴び続けているので、年数とともに脆くなっている
そしてこれ等が炉心溶融の危険性の理由として挙げられているものです。
専門でない方もご覧になってるかと思いますので、第1項について一寸ふれておきます。圧力容器は無欠陥が大前提というのは、全く技術を知らない方の発言です。勿論圧力容器でも何でも欠陥がない方がいいので、どこのメーカーでもそれに努力していることは当然ですが、現実的でないことを主張しても、今日の産業社会は成立しません。先ず今現存するその圧力容器にも、どの機器にも何らかの欠陥は存在するでしょうね。圧力容器を製作する時の基準になる、我が国では経産省の規則にでも、許容される欠陥がはっきり記述されています。
材料に対しても、溶接部に対しても、どういう時にどういった方法で,どういった検査をするかが規定されています。溶接部で一番使われるのは、放射線検査で、此れは病院で胸の検査などをするのと基本的には同じものです。若し溶接部に欠陥があれば、大きさにもよりますがその像が出てきます。ここで胸の写真と違うのは、一枚一枚にその写真の感度が充分であるということを示す、ぺネトラメーターというのがあって、確認がされています。その上で現れてきた像を見て、基準に照らして、合格か、不合格か判定します。不合格であれば勿論修理して、合格するものにしますが、欠陥があっても合格したものはそのまま残されます。
こういったことを書いていると、日本中の圧力容器は欠陥だらけだと天野氏が認めた等という記事が出てきそうな気がしてきました。しかし、まあそこまでにはならないでしよう。勿論欠陥はあってもきちんと管理されています。
一方基準として作られた法規にはそういった許容値以下の欠陥があっても、確実に安全性を維持できるように、充分な余裕を織り込み、総合的に考えて作られています。理論的な解析や、長年の運転経験、製造、検査技術の進歩などについて、各方面の専門家が意見を出し合って、纏めてきているものです。
発言には責任をおとり下さい
9月5日の記事の最期の方に「天野氏は、WRCの報告書に記されている安全宣言で、UCC問題は技術的に決着しているかのように言っているがそんなことはない。・・・・・・。天野氏はUCC問題が危険だと言うなら田中はそれを証明せよ。などと乱暴な反論を展開している。強者の論理だ」と述べています。
筆者が求めているのは、前の項で述べた田中氏の主張の6件の根拠です。そのすべての問題点を述べるのは長くなるのでやめますが、第3項では国外のそれも一民間組織が出した研究結果、そんな報告書と言っておられます。報告書が信頼の置けるものかどうかは、内容によります。国の内外とか、官か民間かは関係がありません。これを9月5日の記事で、田中氏は法的根拠にならないことは明白だから「論外」とコメントしとのだと言っておられます。しかし田中氏の発言をそう解釈するのは非常に難しいことです。この報告書の内容が信頼おけないと言っているようにしか、解釈のしようがありません。
さらに4項目の脆性破壊の可能性がないことは、WRCのブリィテンで明白に結論付けられています。このWRCのブリィテンの写真が、9月5日の田中氏の記事の端に載っていますが、その中には世界の各地からの専門家による、当時としてかってないほどの充実した報告と、その取り纏めがなされています。此れには我々も参画し、時間、人、金をかけて検討に当りましたし、結論を纏めた会議にも参加しています。それを田中氏はお読みになったと言っておられます。読まれた上で、その内容を全く否定しておられるのですから、何故そうなのか技術的根拠を示すべきだというのが、どうして乱暴なのでしょうか。
飛び込んできたミサイル
9月5日の田中氏の記事の初めの方にですが、「天野氏は『反論をHPに載せた』とわざわざわれわれに鏑矢を打ち込んできた。不愉快だ。反論されたから不愉快なのではない。領空侵犯に目を光らす某国の戦闘機のように、反原発的な記事や発言を見つけると・・・・・」とあります。貴誌の8月8日号の記事は、週刊金曜日の伊田副編集長が纏めたものです。彼が筆者の所にインタビューを申し込んでこられたので、当時この問題に関係していましたから、技術的なことについてなら、お答えしましょうとお相手しました。その中ではこのUCC対策をとっていない初期の原子炉圧力容器には、UCCが存在する可能性のあることもお話をしました。それが圧力容器の安全性に全く問題がないことも、又それをどう確認したのかもお話しました。
それから1月ほどして、伊田副編集長から週刊金曜日が送られて来ました。中を見ると、その時のインタビューの内容を使って、8月8日の『スクープ まだ隠されていた欠陥原発』という4ページの記事が載せられていました。この中で筆者の発言を引用したあとで、田中三彦氏が批判をされて、UCCは圧力容器の安全性に問題がないという話を否定し脆性破壊が起きる恐れがあり、計算に疑問があるなどと述べられていました。
余りにもひどい内容ではないかと思ったので、我々の会のHPに事実と全く違う発言とか、先ほど述べたものですが、ただ危険だとか、中性子を浴びているから脆くなっているとか、そういった幾つかのおかしい点について田中三彦氏にその根拠を伺いました。
今の田中氏の発言はそのHPに対するものですが、領空侵犯に目を光らしているどころか、当方がまったく無防備のところに、いきなりミサイルが飛び込んできたのです。しかしそんな物が打ち込まれたのですから、当然の抗議したのですが、田中三彦氏の発言は事実を著しく歪曲したものと言わざるをえません。
不思議なアナロジー
この田中三彦氏の記事の中には、このほかに沢山のおかしな内容がありますが、それをすべてあげつらっているのは、時間と手数の無駄になりますので、あと一,二述べるだけにしておきます。
終わりの方に「UCCを持つ原子炉圧力容器は、生まれつき軽い不整脈を持つ心臓のようなもの、論理的にはたぶんはるかに危険だろう」とあります。どうしてこんな非科学的なアナロジーが成立するのでしょうか。こういった置き換えは政治家が得意とするもので、うまくすり替えたアナロジーで相手を変に納得させるのに使います。科学評論家として説明されると、どうして論理的に軽い不整脈を持った心臓になるのですか。これが従来から田中氏が使ってこられたレトリックだとすれば、そのいい加減さにはあきれる思いです。
法規と技術
一言付け加えておきますが、今現存の原子炉圧力容器は、すべて我が国の法規どおり作られ、すべての検査に合格しています。又この法規には、初期の圧力容器が製作された当時は存在しなかった、供用中の機器に対する検査基準も含まれています。今存在する可能性のあるUCCは、現在の法規で定められている検査では、発見されません。又事実発見されていません。したがって法規的な問題は全くありません。
ただ規則の上で問題がないからと言って、技術的な検討は、必要と思われるものには、徹底して行います。WRCが主催した検討会で、国際的に専門家を集めて、衆知を結集して綿密に検討したUCCへの対応は、全くこのきわめていい実例であったと考えています。
理解できない現状
筆者が入社したのは昭和25年でしたから、原子力などという仕事は全くありませんでした。その後たまたま原子力の業務を担当する事になったのですが、そこで学べば学ぶほど、この技術の素晴らしさを認識するようになりました。この技術は人類がかって手にしたものの中でも、最高の物の一つです。我々の会のHPに載せている「原発反対の風潮の広がりを憂う」という筆者の記事の一つに、「危険でないものは役に立たない」というのを入れておきました。原子力エネルギーも使いようによってはきわめて危険であることは、周知のことであります。しかし今日の人類はそれを見事に制御して、我々にとって欠かすことのできない電力を作り出すエネルギーたりうることを証明してきました。CO2が大きな国際的な環境問題になっている時、CO2を発生しないで大量の電力を供給できるのは、原子力発電だけです。
どうしてこれだけのものに、未だ根深い偏見があるのかが、不思議でなりません。確かに技術的にも管理の面でも、いくつかの問題はあります。しかしだからといって、原子力は駄目だというものでは全くありません。失敗を糧としてよりすぐれて、安全で、人類に役に立つものにすることが出来るものです。先入観なく見ていただきたい。
先ほどの週刊金曜日に載せられたような、全く技術的根拠のない、ただ人々の恐怖をあおるだけの記事は何のために書くのでしょうか。これによって原子力発電の、適切な運用が阻害されるような事があれば、それは書かれたご自身にとっても、社会環境の悪化という深刻な付けが廻ってくる事になるのです。